憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

ゲナゲナ話でなく(2)・・天皇皇后皇嗣編(メモ)R5、1~6月

2024-01-13 22:54:43 | 令和の皇室


神社新報年間購読では、一昨年の記事はもう読めなくなっています。間もなく昨年の記事も読めなくなるのでは、と昨年令和5年の天皇皇后両陛下皇嗣皇嗣妃両殿下のご拝礼の記事を残しておこうと思います。

皇后の記載が無い祭祀は、皇后欠席を意味します。
皇嗣妃殿下が拝礼されている祭祀は、皇后の出席を要する祭祀であることを意味します。

👈・・皇后の出席を要するにもかかわらず雅子さまが欠席した祭祀


聖上 新年の祭祀に出御 新年一般参賀も三年ぶりに
記事番号2023011600000100000001 日付令和05年01月16日
天皇陛下には一月一日未明、年の初めにあたり宮中三殿の隣に建つ神嘉殿の南庭で四方拝に臨ませられ、伊勢の神宮並びに山陵及び四方の神々を御遙拝遊ばされるとともに、同日の歳旦祭に出御され、三日の元始祭を御親祭になられた。 
<中略>
天皇陛下には一月一日午前五時三十分、黄櫨染御袍を召されて神嘉殿南庭に出御された。庭燎の篝火が揺らめくなか玉歩を進ませられ、白砂の上に真薦・藺薦と厚畳が敷かれ二双の四季の屏風をめぐらせた御拝座に著御。神宮をはじめ山陵及び四方の神々を遙拝され、五穀豊穣と国家国民の安寧を祈念遊ばされた。
 引き続き陛下には、宮中三殿で歳旦祭に臨まれた。神饌・幣物が奉られた賢所・皇霊殿・神殿にそれぞれ出御され、内陣の御座で御拝礼。陛下の入御ののち、秋篠宮皇嗣殿下にも黄丹袍を召されてお出ましになり拝礼された。

三日の元始祭では午前十時、天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて出御され、賢所・皇霊殿・神殿それぞれで、御拝礼ののち御告文を奏せられた。
 続いて黄丹袍姿の秋篠宮皇嗣殿下がお出ましになり三殿で御拝礼。五衣・小袿・長袴を召された皇嗣妃殿下にも御同列でお進みになり拝礼された。

😕 元始祭・・皇后欠席。👈

昭和天皇の崩御日である一月七日、皇霊殿と東京・八王子市の武藏陵墓地内の武蔵野陵(昭和天皇山陵)で、昭和天皇祭の儀が執りおこなはれた。
 皇霊殿では神饌・幣物が奉られたのち、加地掌典長が祝詞を奏上。午前十時、天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて出御され、内陣の御座で御拝礼になられたのち、御告文を奏された。
 続いて黄丹袍を召された秋篠宮皇嗣殿下が御拝礼。皇嗣妃殿下にも五衣・小袿・長袴姿で御同列にてお進みになり拝礼された。
同日午後には皇霊殿で、昭和天皇祭御神楽の儀が執りおこなはれた。神饌が奉られ、加地掌典長が祝詞を奏上。午後五時、天皇陛下には出御され御拝礼遊ばされた。
 続いて秋篠宮皇嗣・同妃両殿下がお出ましになり御拝礼。その後、式部職楽部による御神楽が深夜まで奏せられた。 

😕 昭和天皇祭皇霊殿の儀・昭和天皇祭御神楽の儀・・皇后欠席👈

この号には前年令和4年12月15日に行われた大正天皇祭の儀について記載がある。

大正天皇例祭 
旧臘二十五日には、皇霊殿で大正天皇例祭の儀が執りおこなはれた。
 皇霊殿では、神饌・幣物が奉られたのち、加地掌典長が祝詞を奏上。午前十時、天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて出御され、御拝礼遊ばされた。
 続いて黄丹袍を召された秋篠宮皇嗣殿下が拝礼され、皇嗣妃殿下にも五衣・小袿・長袴姿で御同列にてお進みになり御拝礼。

😕 令和4年12月25日大正天皇例祭の儀・・皇后欠席👈
 

宮中三殿の皇霊殿で 孝明天皇例祭の儀
記事番号2023021300000100000003  日付令和05年02月13日 
 明治天皇の御父君で第百二十一代・孝明天皇が崩御された日にあたる一月三十日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で例祭の儀が執りおこなはれた。
 神饌・幣物が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には午前十時、黄櫨染御袍を召されて出御され、内陣の御座で御拝礼遊ばされた。
 陛下入御ののち、秋篠宮皇嗣殿下が黄丹袍姿でお出ましになり、皇霊殿の御座で御拝礼。皇嗣妃殿下にも五衣・小袿・長袴を召され、御同列にてお進みになり拝礼された。 

😕 孝明天皇例祭の儀・・皇后欠席👈
この時、愛子さまも欠席。幄舎では、佳子内親王殿下、瑶子女王殿下、高円宮妃殿下が御参列。 山稜へは彬子女王殿下が行かれた。

聖上 宮中三殿に御拝礼
記事番号2023022000000100000003  日付令和05年02月20日 
「建国記念の日」の二月十一日、天皇陛下には皇居内の宮中三殿に出御せられ、御拝礼遊ばされた。
 まづ、毎月一日・十一日・二十一日の旬祭が午前八時二十分から執りおこなはれ、三殿それぞれに神饌が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。侍従が御代拝を奉仕した。
 続いて天皇陛下の御拝に先立ち神饌が改められ、加地掌典長が祝詞を奏上。陛下には午前十時、御直衣を召されて出御され、賢所・皇霊殿・神殿それぞれの内陣の御座で御拝礼遊ばされた。 
                 〇
 戦前の二月十一日、宮中では皇室祭祀令に基づき、天皇陛下御親祭の紀元節祭が続けられてきたが、戦後、占領軍の圧力により中断されることに。昭和天皇には思召しを以て臨時御拝として宮中三殿に御拝礼遊ばされてをり、上皇陛下にも諒闇明けの平成二年から出御され、今上陛下にも御即位後、毎年出御されてゐる。 

😐 陛下は「建国記念日祭」の拝礼をされたのではなく、拝礼を「建国記念日」にされたのです・・・戦後、GHQから圧力を受けて以来、昭和天皇は随分気を遣って日本の建国を祝って来られたのですね。
2月の旬祭を纏めて行った後に天皇お一人のみ拝礼という簡略化した儀式になっています。
当然、皇后の出席も必要とされていない。

天皇陛下 祈年祭の儀 伊勢の神宮には勅使を
記事番号2023030600000100000001 日付令和05年03月06日 
五穀の豊穣と皇室・国家の安泰を祈る祈年祭が二月十七日、伊勢の神宮をはじめ全国の神社で斎行された。天皇陛下には宮中三殿での祈年祭の儀に出御され、御拝礼遊ばされた。
 宮中三殿では、それぞれに神饌が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には午前十時、黄櫨染御袍を召されて出御され、賢所・皇霊殿・神殿それぞれで内陣の御座に著かれ、御拝礼遊ばされた。
 天皇陛下の入御ののち、黄丹袍姿の秋篠宮皇嗣殿下がお出ましになり三殿に御拝礼。

😐 祈年祭・・皇后の出席を要しない祭祀。

宮中三殿で天長祭の儀 令和初の御誕生日一般参賀
記事番号2023030600000100000002  日付令和05年03月06日 
天長祭は賢所・皇霊殿・神殿で斎行され、それぞれ神饌が奉られたのち加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には午前九時、黄櫨染御袍を召されて出御され、三殿それぞれで御拝礼遊ばされた。
 天皇陛下入御ののち、秋篠宮皇嗣殿下にも黄丹袍姿でお出ましになり御拝礼。幄舎では宮内庁長官以下職員、皇宮警察本部職員が参列した

😐 天長祭・・皇后の出席を要しない祭祀。

春季皇霊祭・神殿祭 天皇陛下には御告文を
記事番号2023040300000100000002  日付令和05年04月03日 
天皇陛下には春分の日の三月二十一日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で春季皇霊祭の儀を、神殿で春季神殿祭の儀をそれぞれ御親祭遊ばされた。
 皇霊殿と神殿にはそれぞれ神饌・幣物が奉られ、加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には午前十時、黄櫨染御袍を召されて出御され、皇霊殿・神殿それぞれで内陣の御座に著かれて御拝礼遊ばされ、御告文を奏された。
 天皇陛下入御ののち、黄丹袍を召された秋篠宮皇嗣殿下がお出ましになって御拝礼。皇嗣妃殿下にも五衣・小袿・長袴姿で御同列にてお進みになり拝礼された。
😕 春季皇霊祭・神殿祭・・皇后欠席👈

皇霊殿と山陵で神武天皇祭 午後には御神楽の儀を
記事番号2023041700000100000004  日付令和05年04月17日
第一代・神武天皇の崩御日にあたる四月三日、宮中三殿の皇霊殿と奈良県橿原市の畝傍山東北陵(神武天皇山陵)とで神武天皇祭が斎行された。
 皇霊殿では神饌・幣物が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には黄櫨染御袍をお召しになられて午前十時に出御され、内陣の御座で御拝礼の上、御告文を奏された。
 天皇陛下入御ののち、黄丹袍を召された秋篠宮皇嗣殿下がお出ましになり御拝礼。五衣・小袿・長袴姿の皇嗣妃殿下にも御同列で進まれ、拝礼された。

😕 神武天皇祭・・皇后欠席👈




皇嗣・同妃両殿下 英国御訪問 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
記事番号2023051500000100000002  日付令和05年05月15日 

😊 海外ご訪問前、ご帰国後の拝礼を至れり尽くせりで行われた両殿下。
民間での礼儀の尽くしかたの参考になります。勉強になりました。

<全文掲載>
秋篠宮皇嗣・同妃両殿下には五月四日から七日にかけて英国を御訪問になり、六日にはチャールズ三世国王陛下の戴冠式に参列された。御訪問に先立つ二日には皇居・宮中三殿に謁せられ、四月二十日には東京・八王子市の武蔵野陵(昭和天皇山陵)と武蔵野東陵(香淳皇后山陵)に御参拝。このほか伊勢の神宮と奈良・畝傍山東北陵(神武天皇山陵)に御代拝を遣はされた。

 宮中三殿では五月二日に「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が執りおこなはれた。
 賢所・皇霊殿・神殿に神饌・幣物が奉られ、加地正人掌典長が祝詞を奏上。皇嗣殿下には黄丹袍を召されて午前十時にお出ましになり、賢所内陣の座に着かれて玉串を奉って御拝礼になられ、外陣で神酒を召し上がられた。皇嗣妃殿下にも五衣・小袿・長袴姿で御同列にてお進みになり、同様に拝礼され、神酒を召しあがられた。
 引き続き、両殿下には皇霊殿・神殿で玉串を奉って拝礼された。 

山陵への御参拝 御代拝も御差遣 
武蔵野陵・武蔵野東陵への御参拝については、両殿下には二十日午後二時頃、お車で武藏陵墓地の御休所に御到着。そののち昭和天皇山陵へと進まれ、陵前で筑波和俊掌典から玉串を受けられて御祈念され、再び筑波掌典を通じてお供へになり拝礼された。
 そののち香淳皇后山陵に向かはれ、陵前で唐橋在倫掌典から玉串を受けられ、昭和天皇山陵同様に参拝された。
 参拝に先立ち両山陵では、それぞれ陵前に神饌・幣物が奉られ、掌典が祝詞を奏上した。
 このほか両殿下には、四月十九日に奈良・橿原市の神武天皇山陵に吉田尚正宮内庁御用掛を御差遣。御用掛は陵墓監より玉串を受け、陵前に奉って拝礼し、海外御訪問の旨を奉告。神宮には二十七日、皇嗣職御用掛の前田章利掌典を差遣され、前田掌典は豊受大神宮(外宮)、皇大神宮(内宮)の順に、それぞれ内玉垣南御門前で玉串を奉って拝礼した。
             
三殿・神宮・山陵へ 御帰国の御奉告を
記事番号2023052900000100000003 日付令和05年05月29日 
秋篠宮皇嗣・同妃両殿下には五月六日の英国国王・チャールズ三世陛下の戴冠式への御参列を済まされて七日に御帰国遊ばされ、八日には皇居・宮中三殿に謁せられた。翌九日には東京・八王子市の武蔵野陵(昭和天皇山陵)と武蔵野東陵(香淳皇后山陵)に御参拝。伊勢の神宮、奈良・畝傍山東北陵(神武天皇山陵)には御代拝を遣はされた。 

宮中三殿での「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」では、賢所・皇霊殿・神殿に神饌・幣物が奉られ、加地正人掌典長が祝詞を奏上。皇嗣殿下には黄丹袍を召されて午前十時にお出ましになり、賢所内陣の座に着かれて玉串を奉って御拝礼になられた。
 また皇嗣妃殿下にも、五衣・小袿・長袴姿で御同列にてお進みになられ同様に御拝礼。両殿下には引き続き、皇霊殿・神殿でも同様に玉串を奉って拝礼された。
 その後、御帰国にあたり天皇・皇后両陛下に御所で御挨拶され、仙洞御所で上皇・上皇后両陛下にも御挨拶をされた。 
 翌九日、両殿下には午前十時頃、お車で東京・武藏陵墓地の御休所に御到着。昭和天皇山陵へと進まれて陵前で北島清仁掌典から玉串を受けられて祈念され、再び北島掌典を通じてお供へになり拝礼された。続いて香淳皇后山陵に向かはれ、陵前で十時和孝掌典から玉串を受けられて昭和天皇山陵同様に参拝された。参拝に先立っては、両山陵の前に神饌・幣物が奉られ、掌典がそれぞれ祝詞を奏上した。
 十二日には奈良・橿原市の神武天皇山陵に吉田尚正宮内庁御用掛を御差遣。御用掛は陵墓監より玉串を受け、陵前に奉って拝礼し、御帰国の由を奉告した。
 神宮には十九日、皇嗣職御用掛の前田章利掌典を御差遣に。前田掌典は、豊受大神宮(外宮)、皇大神宮(内宮)の順にそれぞれ内玉垣南御門前で玉串を奉って拝礼をおこなった。 上皇・上皇后両陛下にも御挨拶をされた。
 




😐 次は天皇皇后のインドネシア訪問前とご帰国後

インドネシア行幸啓で 三殿に「謁するの儀」など
記事番号2023062600000100000004  日付令和05年06月26日 
天皇・皇后両陛下には六月十七日、インドネシア共和国へ御出発遊ばされた。これに先立ち十六日に宮中三殿で「謁するの儀」が執りおこなはれたほか、両陛下には伊勢の神宮、東京・八王子市の武蔵野陵(昭和天皇山陵)と武蔵野東陵(香淳皇后山陵)、奈良・畝傍山東北陵(神武天皇山陵)に、それぞれ御代拝を御差遣になられた。

 十六日の「謁するの儀」は、午前中の香淳皇后例祭ののち、午後に斎行となり、賢所・皇霊殿・神殿に神饌・幣物が奉られ、加地正人掌典長が祝詞を奏上。天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて午後二時に出御され、賢所・皇霊殿・神殿の内陣の御座に著かれて御拝礼になり、賢所外陣では御神酒を拝戴された。
 また十二日には、東京・武藏陵墓地内にある昭和天皇山陵・香淳皇后山陵で「奉告の儀」が掌典によって執りおこなはれ、増田裕一郎侍従がそれぞれの陵前で玉串を奉って拝礼。神宮では十三日、唐橋在倫掌典が豊受大神宮(外宮)の内玉垣南御門前で玉串を奉って拝礼し、続いて皇大神宮(内宮)でも同様に玉串拝礼をおこなった。
 十五日には奈良・橿原市の神武天皇山陵で、掌典により「奉告の儀」が執りおこなはれ、中村久之侍従が玉串を奉って拝礼した。
 

😕 謁するの儀・・皇后欠席👈
出発までに日はあったはずなのに、出発の前日16日。午前に香淳皇后例祭の儀、午後に謁するの儀を行うという慌ただしさ。

その香淳皇后例祭の儀

香淳皇后例祭の儀
記事番号2023062600000100000005  日付令和05年06月26日 
香淳皇后の崩御日である六月十六日、宮中三殿の皇霊殿で例祭の儀が執りおこなはれた。
 皇霊殿で神饌・幣物が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。午前十時、天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて出御され、内陣の御座に著かれて御拝礼遊ばされた。
 天皇陛下入御ののち、黄丹袍姿の秋篠宮皇嗣殿下にも御拝礼。五衣・小袿・長袴を召された皇嗣妃殿下にも御同列で進まれ拝礼された。

😕 香淳皇后例祭の儀・・皇后欠席👈
この時、愛子さまも欠席。
 幄舎では、彬子女王殿下、高円宮妃殿下が御参列 、山稜へは佳子さまが行かれた。

インドネシアより還幸啓 三殿では「謁するの儀」
記事番号2023071000000100000003  日付令和05年07月10日 
天皇・皇后両陛下には六月二十三日、インドネシア共和国から還幸啓遊ばされ、二十六日には宮中三殿で「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が執りおこなはれたほか、伊勢の神宮や山陵に御代拝を差遣され、御奉告遊ばされた。 宮中三殿では、神饌・幣物が奉られたのち、加地正人掌典長が祝詞を奏上。午前十時、天皇陛下には黄櫨染御袍を召されて出御され、賢所・皇霊殿・神殿でそれぞれ拝礼された。

 二十七日には、伊勢の神宮に御代拝として唐橋在倫掌典を御差遣。唐橋掌典は豊受大神宮(外宮)の内玉垣南御門前で玉串を奉って拝礼し、続いて皇大神宮(内宮)でも同様に拝礼した。

 また、二十八日には奈良・畝傍山東北陵(神武天皇山陵)で奉告の儀が執りおこなはれ、神饌・幣物が奉られ、北島清仁掌典が祝詞を奏上。松永賢誕侍従が玉串を奉って拝礼した。

 二十九日には、東京・武藏陵墓地にある武蔵野陵(昭和天皇山陵)と武蔵野東陵(香淳皇后山陵)で掌典職奉仕のもと奉告の儀が執りおこなはれ、梶原照平侍従が御代拝を奉仕した。

😕  帰国後の謁するの儀・・皇后欠席👈


😱 雅子さまは、令和4年12月25日大正天皇例祭の儀から、令和5年6月29日インドネシア帰国後の「謁するの儀」まで、令和5年前半、皇后が出席しなければいけない祭祀も皇后が出席しなくても良い祭祀も、全て欠席。見事なものです。




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