30日孝明天皇例祭儀
幕末の動乱期、15歳で即位した天皇は、幕府と朝臣に振り回される中、 1867年1月30日〈慶応2年12月25日〉 36歳で崩御。当時より毒殺の噂があった。
1967年2月13日<慶応3年1月9日>明治天皇践祚(14歳)
今週、天皇ご一家の予定は発表されていないが、今上は皇居・皇霊殿 で行われた孝明天皇例祭の儀に臨まれた。
雅子さまはご欠席。
※皇后の出席を必要とする祭祀への欠席と、皇后の出席を必要としないが身を慎んで過ごす必要がある祭祀への御慎みは分けるべきと思われます。
今後、欠席とお慎みを分けて書くことにします。
皇嗣職大夫交代
吉田尚正氏
津川雅彦・・ゼッタイに「似てる」と言われてきたでしょう。笑。
それは、ともかく
いよいよ悠仁殿下の加冠の儀から大学進学へと皇嗣家は正念場を迎えます。
どうか、しっかりと悠仁殿下をお守りいただけますように。
秋篠宮家側近トップ交代 吉田尚正・元警視総監が皇嗣職大夫に就任
1月30日 FNNプライムオンライン
秋篠宮家を支える宮内庁皇嗣職のトップ、皇嗣職大夫が2月1日に交代し、元警視総監の吉田尚正氏が就任することになった。
2月1日付けで、皇嗣職大夫に就任する吉田氏(64)は警察庁出身で、福岡県警本部長や警視庁の警視総監などを歴任し、2022年からは宮内庁の御用掛として、秋篠宮ご夫妻の公務などに同行していた。
2024年9月に18歳を迎える長男・悠仁さまの成年皇族としての儀式などに対応していくことになる。
警視総監経験者の大夫就任は初めて。
退任する加地隆治氏は、警察庁出身で宮内庁の宮務主管を経て、令和となってからは皇嗣職大夫として7年半にわたり秋篠宮家を支え、お代替わりや、長女の小室眞子さんの結婚などの対応にあたった。
加地隆治氏 私から見れば、よく頑張ってくださったと思います。
お疲れ様でした。
愛子さまはいじられキャラ?
いよいよオカシイ週刊誌
お誕生日御近影撮影のためにつくろわれた愛子さまは、さすがに御所育ちの皇女さまです。
いますよね。黙っていれば美人なんだがなぁ~と残念がられる女性。
愛子さまについて、ご優秀伝説の流れから学習院大学大学院進学、ご留学を前提に絶賛記事を書いて来た週刊誌だったが、結局日赤ご就職に落ち着いて、、、
週刊誌各誌、愛子さまの扱いがもうヤケクソ!
「留学するのは厳しい」…愛子さま「日赤内定」のウラにあった「皇室の事情」と、「意外な人物」への気遣い
2024.01.28 週刊現代
😁 「留学するのは厳しい」事情と聞けば、ついに!愛子さまの本当の学力、人間力が明かされるのか!?と読んでみたら、なーんだ。
”「成年皇族が少ない、という問題でしょう。もし、ご自分が大学院に進学されて、留学すればその間、天皇皇后両陛下を支える人やご公務を行える人が限られてしまう。そうしたバランスを考えると、自分がやらなければ皇室が持たないのでは、とお考えになっても不思議ではありません」 ”
😁一度も単独公務をされたことの無いかたがねぇ~。
「不思議はない」と言われても説得力がありません。
愛子さまのご覚悟のほどは、これから為さることをみていれば解るでしょう。
😁 『週刊女性』
愛子さまが就職されたのは、佳子さまと悠仁さまのせいだと言っている。
😱 佳子さまがご降嫁された後、皇室と悠仁殿下を支えるために留学をあきらめたんですって!
😁 『女性自身』
「紛争の地へ行かれるかもしれない」ではなく「行きたいと思っているに違いない」という話です。
原爆ドームにはあまり興味をお持ちではなかったような。
2023年10月、日赤ご訪問。
足元に立ち位置マークする代わりに机を斜めに置いてお迎え。
😁 『女性セブン』
愛子さま就職内定 雅子さま追いかけ会社員になる
何これーーヾ(≧▽≦)ノ彡☆ばんばん!!
しかし、週刊誌各誌どこも「愛子さま、日赤就職内定で高まる愛子天皇への期待」とは書かない。これまで愛子さまが滑っても転んでも「これで愛子天皇への期待がますます高まった」と書いて来たのに足並み揃えてパッタリと書かない。
不気味ですね。
各誌とも、佳子さまに早く降嫁していただいて、後釜に愛子さまを据えるという構想は一致している。女性宮家創設に舵がきられたのか?