1909年明治42年2月11日に公布された皇室令第4号皇室成年式令は1947年昭和22年5月2日に廃されています。
これ以後に行われている「成年式」の様式は「皇室令第4号皇室成年式令」(以後皇室成年式令)のような法に根拠があるものではありません。
皇室成年式令を慣例として採用しているのですが、皇室成年式令と大きく変わっているところが2点あります。
・加冠の儀を賢所外陣ではなく皇居宮殿で行うようになった
・皇族女子にも成年式を行うようになった
「皇室成年式」が廃令になった後、新しい皇室成年式令が定められ無いままになっているので、アレンジは自由、かもしれませんね。
アレンジ自由な分、その時の関係者の思想が反映されているとも見ることができるのではないでしょうか。
徳仁親王
徳仁親王殿下は、昭和55年2月23日、成年に達せられたので、同日、皇居において成年式の儀式が行われました。
(皇太子としての成年式ではないので、国事行為たる儀式とはされませんでした。)宮内庁HPより
文仁親王
😐 宮内庁が「皇太子としての成年式ではない」と但し書きしているのに、徳仁親王と文仁親王の纓の形が違うのは、アレンジでしょうか。
悠仁殿下の成年式に変なアレンジが加えられないと良いですね。
立太子礼をうけて皇太子として成年式を行ったのは、大正天皇の即位に伴い皇太子となった昭和天皇と平成の天皇ですが、平成の天皇の場合は立太子礼と成年式を同日に行うという離れ業…
昭和天皇
大正3年(1914年)11月3日 立太子礼
大正8年(1919年)4月29日満18歳 5月7日成年式
大正8年(1919年)4月29日満18歳 5月7日成年式
平成の天皇
昭和27年(1952年)11月10日 立太子礼と成年式が同日に行われた。
皇太子裕仁親王の成年式を祝う絵葉書
1918年1月に皇太子妃に内定した良子女王の写真が並べられている。
昭和天皇の「加冠の儀」の映像が無いのは、賢所外陣で行われたからでしょう。
1952年昭和27年11月10日 立太子の礼と成年式が同日に行われた。
「皇室祭祀令」も「皇室成年式令」も既に廃令となっている。
明仁親王成年式 燕尾纓 の冠
以下1952年 ”成年式”と題された写真、3枚
😯 浩宮の中途半端におっ立った纓は現行の天皇の立纓とは違うが、、
コトバンク等で、天皇の立纓と解説される”立纓”に近い。
昭和天皇の皇子として生まれた明仁親王でも成年式に立纓の冠は用いていない。
当時皇太子の子であった徳仁親王に天皇の立纓のようなもの用いることにしたのは、誰の発案だったのでしょう?
つづく