皇室葬儀令(大正15年10月21日皇室令第11号)
※1947年(昭和22年)5月2日廃止
第1章 大喪儀
<略>
第2章 皇族葬儀
- 第十二條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王薨去シタルトキハ宮内大臣直ニ之ヲ公告ス
- 第十三條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃又ハ攝政タル親王内親王王女王薨去シタルトキハ當日及其ノ翌日ヨリ三日間廢朝ス喪儀ヲ行フ當日亦同シ
- 第十四條 親王親王妃内親王王王妃女王薨去シタルトキハ三日以内ノ日數ヲ勅定シ廢朝スルコトアルヘシ喪儀ヲ行フ當亦同シ
- 二 前項ノ場合ニ於テハ宮内大臣之ヲ公告ス
- 第十五條 親王親王妃内親王王王妃女王国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝ス
- 第十六條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃又ハ攝政タル親王内親王王女王薨去シタルトキハ喪儀ニ關スル事務ヲ掌理セシムル爲宮中ニ喪儀司ヲ置ク
- 二 喪儀司ノ官制ハ別ニ之ヲ定ム
- 第十七條 前四条ノ規定ハ七歳未満ノ殤ニ之ヲ適用セス
- 第十八條 喪儀ヲ行フ期日場所及墓所ハ宮内大臣之ヲ公告シ国葬ノ場合ニ於テハ宮内大臣内閣總理大臣ノ連署ヲ以テ之ヲ公告ス
- 第十九條 喪儀ニハ直系卑属タル皇族男子班位ニ依リ喪主トナル直系卑属タル男子ナキトキハ勅命ニ依リ喪主ヲ定ム
- 二 喪主事故アルトキハ勅命ニ依リ喪主ノ事ヲ行フヘキ者ヲ定ム
- 第二十條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ノ霊代ハ之ヲ其ノ殿邸ニ安置シ一周年祭ヲ訖リタル後之ヲ皇霊殿ニ奉遷ス
- 第二十一條 喪儀ハ附式ノ定ムル所ニ依リ之ヲ行フ但シ已ムコトヲ得サル事由アルトキハ其ノ一部ヲ行ハサルコトアルヘシ
※廢朝(はいちょう)
天皇が、服喪や天変地異などのために、朝務に臨まないこと。諸官司の政務は平常通り行われる。輟朝 (てっちょう) 。
皇族の葬儀の構成(大喪は別する)
(wikiより)
- 皇族が薨去(死去)し、宮邸内に遺体が安置される。
- 御舟入りの儀(おふねいりのぎ) - 納棺にあたる。
- 拝訣 - 天皇、皇后、その他皇族などの弔問が行われる。
- 正寝移柩の儀 - 霊柩が当該皇族の邸宅に設けられた正寝(せいしん)に安置される。
- 通夜 - 数日程度、正寝にて通夜にあたる儀式が行われる。
- 轜車発引の儀 - 轜車(じしゃ、皇族用霊柩車)で、邸宅から豊島岡墓地に柩が遷される。
- 斂葬の儀 - 葬儀・告別式にあたる「葬場の儀」と納骨式にあたる「墓所の儀」から構成される。
- 葬場の儀 - 勅使・皇后宮使・その他皇族による葬儀が行われる。古来より天皇・皇后は皇族の葬儀には直接出席せず、使者を遣わすのが慣わしである。終了後、告別式にあたる一般拝礼が行われる。
- 出棺
- 火葬 - 近年は斂葬の儀は豊島岡墓地で行われるため、落合斎場で火葬に付される。
- 墓所の儀 - 遺骨が墓に葬られる。土盛りをして仮に塚を設け、数日一般拝礼を受け付けたのち、正式な墓を造営する。
- 天皇、皇后は諒闇に服す。
皇室服喪令(明治42年6月11日皇室令第12号)
※1947年(昭和22年)5月2日廃止
😌 昔のひとでも、文章では解りにくかったのでしょうか。
早わかり図が附されています。
😐 皇族男子が皇族、および皇族から華族になった者の喪に服する場合。
😐 皇族女子が皇族及び皇族から華族になった者の喪に服する場合
😐 皇族男子及び皇族女子が華族の喪に服する場合。
皇室は何処までが御親戚?
現行民法と同じく、旧皇室親族令でも配偶者以外血族は6親等、姻族は3親等までを親族と定められていました。
皇室親族令(明治43年3月3日皇室令第3号 )
※1947年(昭和22年)5月2日廃止
第二章はいずれ悠仁殿下のご婚儀が話題になる時に見て見ましょう。
😐 親族令にも図が附してあります。
親族(血族)親等図
<自己>に秋篠宮殿下をあてはめると、三笠宮大殿下は祖父母の弟となられます。
配偶者は0親等ですから、大殿下と同じ4親等とみなされます。
彬子女王は秋篠宮殿下から見て、祖父母の兄弟の孫で6親等、ぎりご親族ですが、悠仁殿下から見ると7親等、もう親族ではありません。
同じく瑤子さま、承子さまも秋篠宮殿下からは6親等ですが、悠仁殿下、佳子さまからみれば7親等です。
ちなみに愛子さまから彬子さま、瑤子さま、承子さまを見ても同じです。
彬子さま、承子さま、皇室典範を改正して三笠宮家高円宮家の当主格ではなく当主となるか、女性宮家の創設、あるいは養子を認めてもらわないと皇室に存在し続ける意義がなくなってしまうかもしれません。
当主になるということは三笠宮号を継承するということ。
現在は三笠宮を苗字のように使用されているだけで、三笠宮は崇仁親王に授けられた宮号です。彬子さまは三笠宮号を継承してはじめて三笠宮の当主となられるのです。
当主と当主格を同じもののように扱って論議していると、女系天皇派に騙されてしまいますから、ご用心。
宮号の継承は、皇位継承と同じく男系男子によって継承されています。
天皇家に皇位継承者が絶えた時に、すぐさま宮家から皇位継承者を立てることができるよう天皇を祖する男系男子によって宮号は継承されなくてはいけないのです。
三笠宮寛仁殿下は男系男子による皇位継承派だったと言われますが、彬子女王はどうかしら?
ご自分が大正天皇直系皇族であると、そして三笠宮家にプライドを持つ彬子女王にとって、三笠宮が消滅することは耐えられないのではないでしょうか。
三笠宮の名を残すことができるのなら、と女系天皇派に鞍替えするのも厭わないのではないか、、すでにその気配はあるようにも見えるのですが?
皇室親族令、親等図続き
親族(姻族)親等図
百合子さま逝去で天皇家など5日の服喪 19日の愛子さま佳子さまの鴨場接待取りやめ
11/15(金) 16:54 TBSNEWS TIG
三笠宮妃百合子さまの逝去をうけ、きょうから天皇ご一家と秋篠宮家などが5日間、三笠宮家などが30日間の喪に服されると宮内庁が発表しました。
喪に服する期間は、天皇ご一家、上皇ご夫妻、秋篠宮ご一家、常陸宮ご夫妻が5日間。 三笠宮家の信子さま、彬子さま、瑶子さま、高円宮妃久子さま、承子さまが30日間です。
このため、宮内庁は19日に予定していた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまと秋篠宮家の次女・佳子さまによる埼玉鴨場での外交団接待は、取りやめると発表しました。
駐日大使などを招く鴨場での接待で、愛子さまは初めて案内役を務められる予定でした。
😐 宮内庁が鴨場接待復活を「愛子さま初めての鴨場接待」と共に賑々しく発表したのが12日。
百合子さまご薨去が15日。
宮内庁は、百合子さまの御容態をどのように捉えていたのでしょうか。
11日定例記者会見で宮内庁の黒田武一郎次長 は一般病棟に移られた百合子さまについて
「心臓と腎臓などの機能低下が進みつつあり、意識は低下した状態」
と、発表していたが、、