7日夕刻から8日午前、ネットに昭和天皇祭のニュースが出るのを待っていたが、何も無し。これまで宮中三殿での儀式は公開されなくても、武蔵野陵を拝礼される佳子さまのお姿がニュースになっていたのですが、昭和100年の今年、昭和天皇祭を報道する価値無し、と判断したのは何処の何方だったのでしょう。
週刊新潮今週号、昭和100年シリーズのグラビア記事で昭和天皇のあの日を偲ぶ。
グラビアには他にも沢山の写真が掲載されています。
この写真は1987年(昭和62年)11月22日。翌年の8月15日全国戦没者追悼式の壇上に進まれた昭和天皇のお姿を記憶している者には、そしてその後の皇室の姿を見て来た者にとっては、胸が締め付けられるような写真です。
、、、右端のかた、こうして見ると、この頃から何も考えていないというか、ノー天気でいらっしゃったのねぇ、と言いたくても、、、ああ、言ってしまった。
11歳で皇太子、20歳で摂政宮。この写真は23歳の昭和天皇。
1946年10月22日 名古屋市役所前
1947年12月7日 広島
1949年5月20日 福岡県田川市
1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分 崩御
前年お倒れになって、しばらくしてから毎日、陛下の御容態が報じられ、聞く方も辛い毎日。崩御の一報がTVに流れた時は正直「陛下はお楽になられたのだ」とほっとしました。
家族で「頑張って、頑張って、国民に正月を祝わせて、おなくなりになった。最後の最後まで国民のことを考えてくださって、有難うございます。」と話し合い手を合わせたことでした。
その日、すぐに国民は自発的に昭和天皇の喪に服し、世の中全体火が消えたようにひっそりとなりました。
後に、平成の天皇が「先帝の葬儀では、長い時間、国の経済が止まり国民に無理を強いた。自分の時には、ああいうことはしたくない。」と、言われたが、国民は誰かからの指示があったからではなく、そうしたいから各々のやり方で昭和天皇の喪に服したのに、何てことをおっしゃるのか、と、この時、平成の天皇のことが少しイヤになった。
週刊新潮のグラビアには、「大喪の礼」の厳粛にして美々しきあれこれの写真が無いが、TVで中継された大喪の礼で、解説者が「大喪の礼がこのように行われるのは、これが最後だろう」と言った通り、もうあのように盛大に送られる天皇は向後無いのだ、と、今は解る。その時は、「これが最後」とは思わなかったのですが…。
1984年(昭和59年)1月2日
2025年1月2日
何ごともないという幸せ、、、まさに、それはこの4人のかたのこと。
世界に、日本に、皇室に、何ごとも無いということはない。しかし、この4人のかたには「何ごとも無い」のでしょう。
週刊新潮も上手いことをいいますね。