憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

30日 明治天皇例祭の儀 、、、宮中祭祀がいよいよ混沌

2024-07-31 01:04:10 | 令和の皇室
明治45年1912年7月30日明治天皇崩御
※1910年8月29日 韓国併合
※1911年10月10日 辛亥革命勃発 1912年2月25日宣統帝溥儀退位

宮内庁発表によるご予定には三笠宮家高円宮家、それぞれの女王方と久子さまの拝礼のご予定があるものの、天皇家並びに皇嗣家には拝礼のご予定が記載されていなかった。
令和に入って、いつの間にか天皇が祭祀の予定を発表しないのが常態になっている。
それに対して皇嗣家は、祭祀が行われる度に秋篠宮殿下【殿上】紀子さま【殿上】佳子さま【庭上】と拝礼の場所を示してご予定を発表して来たのだが、今回明治天皇例祭の儀で、初めて皇嗣家のご予定から、祭祀の予定が消えた。
これは、何を意味するのか。

宮中祭祀がいよいよオカシイ。



天皇、皇后両陛下ご動静(30日)
2024/7/30 18:19 産経新聞
【午前】
陛下 明治天皇例祭の儀(皇居・皇霊殿)
皇后さま 明治天皇例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所)

😨 取り合えず、今上は明治天皇例祭の儀に臨まれたようです。
宮内庁HPに皇嗣ご一家の30日ご日程はまだアップされていませんが、おそらく拝礼されたでしょう。

天皇が為すべきことの第一は国安かれ民安かれと祈る祭祀です。
祭祀のご予定が発表されて、ご予定通りに祭祀が行われていくさまを見て、国民は安心することができる。少なくとも私はそうです。
拝礼のご予定が発表されている皇嗣家のご予定を見て、今上と雅子さまがいい加減でも皇嗣殿下と紀子さまがしっかりと祭祀を行っておられるから、まあ、大丈夫だろう。と思っていたのですが、皇嗣ご一家まで祭祀のご予定を発表しないというのは、、




😐 今から、ほんの3年前、2021年「明治天皇例祭の儀」の記事。







😮 まだ上皇ご夫妻の引っ越しが終了しておらず、赤坂御所から皇居入りされていたころです。
19年ぶりに祭祀にお出まし、というのも凄いですが、、、朝7時に皇居入りされるなど祭祀に意欲を持っておられたらしい雅子さま。3年の間に何があったのでしょう?
私の想像ですが、、、愛子さまが結局どうにもならなかった、、、じゃないかな?

2021年は愛子さまが成年になられた年です。
成年式の準備を始めた愛子さまに「これなら、何とかいける」と周囲は希望を持っていたでしょう。雅子さまも「訓練すれば出来る」と信じていた7月。
12月、成年式を終えられて国民の前に登場した愛子さまに国民は拍手喝采した。3か月遅れの記者会見では愛子さまの予想外の暗記力に国民は驚いた。
が、そこまでだった。世間に向けて、どんなに愛子さまを持ち上げてみせても、実態は雅子さまの期待どおりに訓練が入らず、ついに雅子さまは愛子さまに託していた一縷の望みを失ってしまわれたのではないだろうか。





、、、何かが違う


7月第5週~8月第1週 ご予定

2024-07-29 21:26:20 | ご予定
天皇ご一家
7月29日(月)
天皇陛下 御所(離任韓国大使との面会)

皇嗣家
7月31日(水)~8月1日(木)
秋篠宮ご夫妻、悠仁さま 岐阜県訪問(第48回全国高等学校総合文化祭「清流の国ぎふ総文2024」出席と地方事情視察)

三笠宮家
7月30日(火)
彬子さま 伏見桃山陵(明治天皇山陵例祭の儀)
瑶子さま 日本武道館(「第58回全国道場少年剣道大会 小学生の部」出席)
7月31日(水)
瑶子さま 日本武道館(「第58回全国道場少年剣道大会 中学生の部」出席)
8月1日(木)
瑶子さま 日経ビル(第48回「水の日」記念行事「水を考えるつどい」出席)
8月2日(金)~4日(日)
彬子さま 山形県訪問(「第45回全国中学生選抜将棋選手権大会」出席と地方事情視察)

高円宮家
7月29日(月)
久子さま 高円宮邸(新旧海上保安庁長官との面会)
7月30日(火)
久子さま、承子さま 皇霊殿(明治天皇例祭の儀)
7月31日(水)
久子さま 高円宮邸(新旧外務省儀典長との面会)
8月1日(木)~2日(金)
久子さま 滋賀県訪問(「第55回全国ママさんバレーボール大会」出席)
8月3日(土)
久子さま 海運クラブ(「令和6年度全国海洋少年団大会」出席)
久子さま ホテルメトロポリタン(「第52回全国アマチュアオーケストラフェスティバル東京大会公式レセプション及び晩餐(ばんさん)会」出席)
8月4日(日)
久子さま 東京芸術劇場(「第52回全国アマチュアオーケストラフェスティバル東京大会 演奏会」鑑賞)


7月31日(水)~8月1日(木)
いよいよ皇嗣殿下同妃殿下、悠仁殿下お揃いで岐阜ご訪問です!

ところで、30日の明治天皇例年祭、天皇家、皇嗣家共にご予定発表がありませんね。天皇家が祭祀の予定を発表しないので、皇嗣家も付き合わされるようになったのでしょうか?

瑤子さまご公務



どちらのサイトにも名誉総裁等名誉職での関りではないのか、瑤子さまの御名が出ていないのは寂しい。

彬子さまご公務
男子の部と女子の部に分かれ、それぞれトーナメントを行います。毎年、天童市で大会が行われ、名誉総裁の彬子女王殿下の臨席を賜り、杯が授与されます。

😊 こちらには、名誉総裁彬子さまの御名がしっかりと出ています。

三笠宮家は代替わりしたかのように彬子さま、瑤子さまのご活動が盛んになって来ています。


7月第4週(22日~28日)今上ご一家ご動静 ・「光る君へ」の件(補足あり)

2024-07-29 17:02:21 | ご動静
22日~28日 天皇ご一家のご予定発表はされなかったのだが、、、

予定発表無いままに行われたご活動。
(24日)
【午前】
陛下 後宇多天皇七百年式年祭(皇居・皇霊殿)
皇后さま 後宇多天皇七百年式年祭に当たりご遙拝・お慎み(御所)

この週の陛下の御活動は式年祭拝礼のみ。ご執務も無し。
ご静養前から、既にご静養に入られているようです。

先の19日、ご予定では今上お一人と発表された後宇多天皇の御事跡に関するご進講にお出ましになった雅子さま、愛子さまでしたが、雅子さまは式年祭をご欠席。愛子さまは佳子さま等と共に拝礼されたようです。

雅子さまは23日にご養蚕納の儀に臨まれたようですが、これも本来ならご予定として発表して然るべきものでしょう。

皇后さま、養蚕の締めくくり「御養蚕納の儀」に臨まれる 繭の一部は伊勢神宮へ
2024/7/23 15:51 産経新聞
皇后さまは23日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、養蚕の締めくくりとなる「御養蚕納(ごようさんおさめ)の儀」に臨まれた。宮内庁によると、皇后さまは収穫した繭から取れた白や黄色の生糸の束を神前に供え、ご拝礼。歴代皇后に伝わる養蚕を無事終えたことに感謝するとともに、感慨深く思われていたという。
5月からのご養蚕では、日本純産種の蚕「小石丸」など4品種を飼育。小石丸の繭約30キロは伊勢神宮(三重県伊勢市)へ贈られ、令和15年の第63回式年遷宮に向け使用される。

天皇も皇后も、しっちゃかめっちゃかの祭祀。雅子さまのやる気の無さは、すでに隠しようなくなっている。


「光る君へ」の件


大層評判の良い『光る君へ』ですが、始めの2,3回を見て見るのをやめました。
一つの解釈、想をとった作者の世界、「ベルサイユの薔薇」みたいなものと言い聞かせてもムリ!脳に虫が湧くようで、、、笑

藤原行成の「皇后が祭祀をしないから、世の中に災害が起きる」という台詞が受けているようですが、、、
悲運の中宮定子に同情する私には、納得できない台詞です。
延喜式の大嘗祭の項に皇后が登場するものの、中古と言われるこの時代、後宮は祭祀に関与していません。皇后が祭祀しないも何も、そもそもしなくて良かった(してはならなかった)のです。
江戸時代の二人の女性天皇は代理の者に祭祀を行わせて自身は在位中祭祀を行っていない。
宮中祭祀に皇后が役割を果たすようになったのは明治の「皇室祭祀令」以降です。

当時しなくても良かった祭祀を行っていないから、と責められる定子が気の毒ではないか!?じゃ、彰子はしたのですかってんだ!
実際には行成は過去に皇后と中宮が(それぞれ配偶者が違うが)同時に存在した例を道長に示し、道長はそれを根拠に定子を名ばかりの皇后位におしやり、彰子を中宮にしたのですよね。一条帝には最強の実力者道長に抗う術も無かったでしょう。

(以下、補足)

長保元年11月1日 彰子入内(満11歳)
長保元年11月7日 敦康親王誕生 同日彰子、女御宣下を受ける
長保2年1月28日 行成、一条天皇に彰子立后の意見をする(『權紀』1月28日条)
長保2年2月25日 二后冊立 (定子皇后 彰子中宮)
長保2年12月15日 媄子内親王 誕生 定子死去

長保元年11月1日彰子入内から長保2年12月15日まで、たった1年の間の出来事です。
臨月満ち、いつ出産が始まるかという定子を横目に娘を入内させ、敦康親王誕生の日に女御宣下をもぎ取る、、、
水に落ちた政敵を完膚なきまでに叩き潰しにかかる道長の攻勢についに力尽きた定子が気の毒でなりません。
道隆亡きあとの実家を守りたい、と頑張って来られたのに、伊周も隆家 もぼんくら過ぎましたね。

我が朝は神国であり神事を先とすべし。
しかし、中宮は既に出家入道。
ニ后は共に勤めることなく左大臣が氏長者であるというので、独りで祭祀を勤行す。(『權紀』長保2年1月28日条)

教養豊かで良心的な知識人、道隆亡き後も定子や清少納言に対して折に触れて気遣いをしてくれるひととして『枕草子』に登場する行成ですが、『權紀』の行成は出世にイヤラシイまでに意欲を燃やす男。
彰子の立場をよくしたい道長に知恵を授けるのも己が出世のためだと丸わかりの嫌な男。笑。

定子が目の前で隆家が捕縛連行される姿に絶望して発作的に自ら髪を切ったことを道長一派は「出家入道」したことにしてしまった。

奈良時代から出家には官許によって得度を授けることを許された僧による正式な出家と勝手に出家を名乗る「私度」がありました。
僧、尼僧には特別の優遇があり、そのため私度によって僧尼僧を名乗る者も多く、その取り締まりに結構苦慮していたようです。

源氏物語、女三宮も浮舟も僧侶を導師として出家していますね。
定子は自分で髪を切っただけ。その後僧侶によって得度を受けた様子は無いので正式に出家したわけではない。
長徳2年12月16日 脩子内親王を出産する定子は5月1日の事件当時は初めての妊娠中、ただでさえ精神的に不安定な時期に襲い掛かった眼を疑うような出来事にパニックになられてもしかたないと同情します。
でも、髪を切っただけ、で正式な出家ではないのです。

自分で髪を切っただけで正式な出家はされていないのに、道長一派はそれを見逃さなかった。髪を切ったのは出家の意志あり→出家した。としてしまった。

上古には皇后も祭祀に臨んだらしいが、延喜式の項目に皇后が登場するのは大嘗祭だけ、定子のころには皇后が祭祀にたずさわることは無くなっていました。(女性としてはあまり触れたくないですが)穢れの思想が広く取り入れられるようになっていたからです。
藤原氏の祭祀でも同様でしょう。既に皇后が祭祀にたずさわれなくなっていたのに、「皇后が祭祀をしないのはケシカラン」と言いがかりをつける行成。
出世のために渾身のいいがかりをつける行成。道長にとっては頼りになる側近、家族にとっては頼もしい殿。でも、嫌いだぁ~。笑。

祭祀をないがしろにしている雅子さまに不信感を抱き「光る君へ」の行成のセリフを「我が意を得たり」と受け止めていらっしゃる方々を否定するようで申し訳ないのですが、何も悪いことをしていない悲運の定子を蹴落とすために言いがかりをつけた行成の台詞に、雅子さまを重ねる気にはなれないのですよね…

7月第4週 スナップ

2024-07-29 00:10:24 | 公務
23日 ご養蚕納の儀
雅子さまは、23日午前、皇居にある蚕の飼育施設で、一連の作業を締めくくる「御養蚕納の儀」に臨み、今年とれた生糸の束を神前に供えて拝礼されたということです。

一昨年、昨年、”家族三人そろって”「皇后の養蚕」行事に取り組まれたことが映像と共に「令和流」として華々しく報道されましたが、今年は華々しい報道もなく、いつの間にか養蚕納の儀が終わりました。
明治天皇の皇后、大正天皇の皇后、昭和天皇の皇后は日本の伝統と勧業のため、美智子さまは伝統のために養蚕に励まれましたが、日本の伝統文化に興味のない雅子さまにとっては、できればやりたくない事の一つなのでしょうね。
見ていれば分かります。


2022年

2023年
😁 さすがに、同じように見えても写真は使いまわしではないようです。
だって、雅子さま、ご養蚕、いい加減になさるから、つい。

そういえば、ご養蚕行事に合わせて毎年発表されていた「愛子さまが小学生の頃から続けている蚕の飼育」は、どうなったのでしょう。いつの間にか消えてしまいましたね。愛子さまも意欲をもって飼育されていたのなら、終わりの事情をご発表されたらよろしかったのにね。思いつきばったりで事を始め最後うやむや、というのは雅子さま愛子さまのご性格なのでしょうか。
ご一家揃っての養蚕も尻すぼみ、愛子さまの蚕飼育の結末も不明。「令和流」と囃された円卓会見もいつの間にか消えている。
いつの間にかすぅ~とね、、、

23日 久子さま、明治記念館
第37回「独創性を拓(ひら)く 先端技術大賞」の授賞式に臨席。



大きい画像でアクセサリーと帽子のディティールをじっくり拝見したいが…。
皇族妃としてはオーソドック、その分少々古めかしい装い。
公務と言い換えた家業に勤しまれる久子さま。

24日 「後宇多天皇七百年式年祭」

皇居へ向かわれる佳子さま 前の車

皇居へ向かわれる佳子さま


御宇多天皇七百年式年祭を終えられてお帰りになる佳子さま


蓮華峯寺陵からお帰りになる彬子さま

彬子さまが蓮華峯寺陵 のご到着になり、式年祭を終えてお帰りになる動画。
蓮華峯寺陵の当日の雰囲気が解る、とても良い動画です。

彬子女王殿下

25日 上皇ご夫妻 那須御用邸へ 29日までご滞在予定

😐 報道は「一年振り」「車や鉄道を利用して」と、さも上皇ご夫妻が国民に気兼ねしつつ那須でご静養されるかのように書くが、、、
「一年振り」とは毎年、ということであり、「車や鉄道を利用して」とは御所から東京駅まで車、東京駅から那須駅までは鉄道、那須駅から御用邸までは車、ということでしょう。
仙洞御所から那須御用邸へ行くのに、それ以外に何がある?
御所から那須まで車? ヘリコプター?

ご静養、、、毎日、高級介護施設に改装した東宮御所で在位中と変わらぬ人数の職員にかしずかれてご静養の方々が場所を変えてのご静養。上皇ご夫妻も今上御一家も、正直に「気晴らし」「ひまつぶし」とおっしゃれば宜しいのに。

今年、御用邸にエアコンを付けたことを質素倹約の美談仕立てにして報じさせているが、昨今の異常な夏の暑さが那須御用邸にも押し寄せたということでしょうね。
昨年、「東京より涼しい」とはしゃいでいた今上と雅子さまの姿、覚えていますよ。

25日 佳子さま 静岡県御殿場市で開かれた全日本高校馬術競技大会の開会式に臨席



動画
佳子さま「努力の成果を存分に発揮できるよう応援しています」 馬術大会開会式で高校生にエール|TBS NEWS DIG

25日 佳子さま 「全日本高校馬術競技大会開会式」ご臨席の後、静岡がんセンターで小児がんとたたかう子供たちと交流


動画
佳子さまが小児病棟で子供たちと交流 園児には笑顔で手を振り質問 静岡がんセンターを視察

😃 佳子さまがお出でになると場がたちまちぱっと明るい雰囲気になります。
これはもう、持って生まれたご資質というもの。
お出ましを願う組織、団体は多いでしょうね。
この方がご降嫁されたら宮中は火の消えたようになるのではないか、とふと寂しくなります。



女王陛下の007?ドン・キホーテ?・・高森 明勅PRESIDENT Online

2024-07-27 04:32:48 | 皇位継承

高森 明勅がPRESIDENT Online に寄稿した女系天皇に関する論説。

高森氏は”女性天皇”なるものに憧憬でも抱いていらっしゃるのでしょうか、、、。
氏の論説を虚心坦懐に読んでも「何故女性天皇でなくてはいけないのか」というものが見えて来ず、「女性天皇!」「女系天皇!」という叫び声が耳に付くばかりです。



「女王陛下の007」的な?


ヴィクトリア女王に忠誠と敬愛を捧げたホームズ的な?

はたまた、、、、

ドン・キホーテ的な?

近くの村のアルドンサ・ロレンソという百姓娘を勝手にドゥルシネーア・デル・トボーソ という貴婦人と思い込んだドン・キホーテはドゥルシネーアの美しさ・気だてのよさ・その他の美点を世界中の人々に認めさせるために世界遍歴の旅を続ける。

007、シャ―ロック・ホ―ムズの憧憬の対象はそれぞれエリザベス女王、ビクトリア女王という立派な御方。
愛子さまを"此の上なく思いやり深く気品ある高貴な姫"と思い込んで、愛子さまのために、女性天皇!女系天皇!をさけぶ高森氏はドン・キホーテか?

国民の多くが素直に敬愛の気持ちを抱いている天皇・皇后両陛下とのご血縁が最も近く、そのお気持ちをまっすぐに受け継いでおられる方こそ、次の天皇として誰よりもふさわしいということ。
、、、言うまでもなく両陛下のご長女、敬宮殿下に他ならない。 

>皇位継承の安定化を本気で願うならば道は1つだけ。女性天皇を認めて、“直系長子”でいらっしゃる敬宮殿下が次の天皇として即位できるように制度を改正する、という選択肢しかない。 

>進んで「皇室の役目」を背負おうとされる、敬宮殿下の前向きなご覚悟が伝わる。 

😁 うわ言のように愛子さまを称え、既に底が割れている「寄り添う」エピソードを書き連ねて「女性天皇!」を叫ぶ高森氏の姿は、ジェームス・ボンドでもシャーロック・ホームズでもなく、もはや風車に突進するドンキ・ホーテ、、、
よし❗️これからはドン・キホーテ高森と呼ぼう



高森氏が伝家の宝刀として掲げる「継嗣令」が757年に制定された「養老律令」の一部、というところも時代遅れの槍を構えて風車に突進していったドン・キホーテめいている。

養老律令
時代とともに使い物にならなくなったが、廃令の手続きがとられないままに形式的には明治維新期まで存続していたという遺物のような律令。
(律と令。律は刑法,令は行政法・訴訟法などに相当する。)

大宝律令
日本古代の基本法典。701年(大宝1)制定。律六巻,令一一巻。刑部親王・藤原不比等らの撰。七世紀以来の諸制度の法的整備を示し,757年養老律令施行までの国家の基本法となった。現存しないが,養老令の注釈書「令集解」などによりその一部が知られる。



天皇の兄弟、皇子を皆親王と為す。女帝の子も亦同じ。

この時代、皇子は、天皇の子のうち男子を云う。
此処に「女帝の子」が出て来るので、高森氏は「古代には女系も認められていた」と言うのですが、、、
  • 推古天皇(在位:593年 – 628年)
  • 皇極・斉明天皇(在位:642年 – 645年、655年 – 661年)
  • 持統天皇(在位:686年 – 697年)
  • 元明天皇(在位:707年 – 715年)
  • 元正天皇(在位:715年 – 724年)
  • 孝謙・称徳天皇(在位:749年 – 758年、764年 – 770年)
😁 大宝律令、養老律令制定の時代には、6人の女性天皇がいらっしゃいました。その方々がどのような方々だったかは、日本の歴史に興味ある方なら誰でも知っている。

六人の女帝全員男系。しかも此の方々から女系の天皇は生まれていない。

ドン・キホーテ高森の論説は、あまり知られていない『継嗣令』を引っ張り出しても、あいも変わらず草壁皇子の子文武天皇を女系と見做した主張を出るところが無い。