
彬子さまの御名が付けられた桜があることを知らなかった。
名付けたのは桜守として有名な佐野藤右衛門さん。伏見へ桜を身に行った時、藤右衛門さんの名前を何度か聞いた。その時は遠い人だった藤右衛門さんが彬姫桜の名付け親と知って、いきなり親近感を抱く人になった。
この桜は戦後復興期に京都市の御池通に咲いていた桜を当右衛門さんが持ち帰り、その種をまき続けて生み出した桜だという。
彬子様が初めて藤右衛門宅へ訪れられた時、はじめて咲いたことから「彬姫」と名付けられたそうです。
彬姫(アキヒメ、学名:Cerasus 'Akihime')
彬子さま、皇学館の式典ご臨席2022/05/06 (産経新聞 皇室ウィークリーより)三笠宮家の彬子さまは30日、三重県伊勢市を訪問し、皇学館大学の創立140周年・再興60周年記念式典に臨席された。式典でお言葉を述べた後、彬子さまにちなんで名付けられた「彬姫桜(あきひめざくら)」の記念植樹にも臨まれた。© 産経新聞 皇学館大学の創立140周年・再興60周年記念式典に臨席し、お言葉を述べられる三笠宮家の彬子さま=4月30日、三重県伊勢市(同大学提供)© 産経新聞 皇学館大学の創立140周年・再興60周年記念式典に臨席し、植樹に臨まれる三笠宮家の彬子さま=4月30日、三重県伊勢市(同大学提供)神道の研究や神職の養成などを行う「皇学館」は明治15(1882)年に創設。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が国家と神道・神社の分離を命じた「神道指令」で廃止されたものの、昭和37年に大学として再興された。彬子さまは記念式典への臨席に先立ち伊勢神宮(伊勢市)を訪問し、衣食住の神である豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る外宮(げくう)と、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る内(ない)宮(くう)を参拝された。彬子さまは同日、三重県から北海道へご移動。5月1日に札幌市の札幌ドームで大学ラグビーの早稲田大学と明治大学による「早明戦」を観戦された。2日には同市にあるラグビー場も視察された。彬子さまは令和元年5月から、日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁を務められている。
【三笠宮家彬子さま】皇学館大学創立140年記念式典に出席
😊 彬子さまに気品と優雅さ、女らしい華やかさを見るのは私だけでしょうか。
彬子さまには由緒正しき皇族の面影がありますが、妹君の瑤子さまは少し薄いように感じます。整形は仮面を付けるようなものですから、仮面が本来の皇族らしさを覆ってしまったのかもしれない。
彬子さま、瑤子さま御姉妹を「プライドばかり高く皇室に依存しなければ生きていけない女たち」などと言う向きもありますが彬子さまはそのプライドこそが持ち味。彬子さまのプライドを私は嫌いではない。
実は眞子さんのプライドもなかなかのものだということは、写真や映像から垣間見ることができるし、一般人になったとはいえ皇室に依存しなければ生きていけない方であることは彬子さまと同じです。
皇室に依存しなければ生きて行かれないのなら、皇室内に留まっておられたら良かったのにね。
誇り高く頭をあげて皇室に留まっていらっしゃる彬子さまは潔い。

佐野藤右衛門宅に咲く「彬姫」
(シナミザクラ × サトザクラ)
シナオウトウ(支那桜桃=シナミザクラ=カラミザクラ )
シナミザクラの特徴が見られる。ツバキカンザクラのように開花初期、完全に平開せず、花弁がかがんだようになる。
早咲き。

😐 ふん!の信子さまは4月29日、武道館で開かれた体重無差別で争う柔道の全日本選手権を観戦。御姿が見たくて画像を探したが、見つからなかった。
御名前も講道館のHP中、「大会観戦記」に以下があるのみ。
信子さまは令和元年7月から国際柔道連盟のアンバサダーを務められている。
信子さまは他の宮家のように名誉総裁職を掻き集める風でもなく、数も少ないので無駄な公務にうるさい私もついつい見方が甘くなる。
令和4年全日本柔道選手権大会は、コロナ禍の影響が残る中ではあったが、3年ぶりに大観衆が見守る中、4月29日、(金・昭和の日)、寛仁親王妃信子殿下のご臨席を賜り(寛は『寛』に『、』)、日本武道館において開催された。
その中で信子さまはわりと毅然としてらして、堂々と公務に復帰されたのにも好感が持てました。やはり、実家のバックは強いですね。だから、昨今の「愛子さまに旧宮家から婿を」で「秋篠宮家使い捨て」の方向が保守層の中にある、というのに加担している兄に歩調を合わせて「愛子さま賛歌」を詠んだのだと私は推測しました。いずれにしろ、辻褄の合わないおべんちゃらの歌で私の好意は無になりました(誰も要らないでしょうが💦)。残念ですが、どちらもどちらの母子だと思っています。それでも、信子妃が宮家を継承できるのです。いずれ話し合って皇族らしい、欲の無い良い関係を築いて欲しいものです。高円宮家については、書く気もありません。私は承子さんがキープしている男性とサッサと結婚して、絢子さんのように変な皇族意識を引きずっていない爽やかな一庶民になり、静かに宮家の幕が閉じればと無駄な期待をしています。なんせ妃殿下が強欲で、なんの底意か皇嗣家にきわめて失礼で、とても品下れる感じがするから無理でしょうが・・。
こんばんは。
彬子さま、、、確かにそういうところもありますよねー。
彬子さまも瑤子さまも御公務でお父様の帽子を被られますが、あれは止めていただきたい。ファザコン丸出しみたいに見えます。
どうしても遺品を身につけたいのなら、ピンとか腕時計、さり気ないものになさり、寛仁殿下の御名を風潮なさらないほうが奥ゆかしいと思うのですけども。
大殿下を最後まで手厚く看病できたのも麻生家の財力頼りだったとか。百合子さま以下親戚は信子さまの御実家を頼らざるを得なかったことで屈折したものがおありになるのかもね。
なんだかドロドロの三笠宮家ですが、2000年の澱糟が溜まったようなドロドロの人間劇、嫌いじゃ無いです。
>皇族らしい欲の無い関係
いやいや、無理でしょう。
皇族には皇族らしい欲の塊。
信子さまも彬子さまもふん!のかたですから、歩み寄りなど無理。
良く言われる「ハリネズミ」の関係で、ぬくもりを求めて近づいても互いの針で傷付く?せいぜいがところ、お互いそういうひとなんだと認め合うしかないのでしょうが、さて、、、。
高円宮家、言うと悪口にならるから言わない。でも、言っちゃうかも。笑。
彬子様はどうしても信子さまとの不仲の印象が強く、その部分について引っかかり好きになり切れないところです。
ただ、活動自体は皇室の女性として素晴らしいと思います。以前、毎日新聞の日曜版に京都の町案内のコラムを寄稿されてましたが、博識なのに柔らかな文章で彼女の人となりが感じられました。
女性皇族は、祭祀や名誉職・鑑賞の公務だけでなく、お金に絡まないご本人の得意分野での活動があるといいと思うんですよ。彬子様のような方が他にもいらしてもいい気がします。特に降嫁されず皇室に残られるのなら尚更。