憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

大晦日 大祓の儀メモ

2024-12-31 22:22:34 | 皇室
12月31日(火)
天皇陛下 宮殿(節折の儀)
12月31日(火)
佳子さま 神嘉殿前庭(大祓の儀)


・・・の筈ですが、どちらもニュースになっていません。
例年なら半蔵門を出入りされる佳子さまの映像がニュースと共に出ていたのですが…。
「X」には車窓から手を振る佳子さまの写真が出ているのですが、「X」の写真は過去の年の映像を今年の映像として投稿していることがあるので…。
せっかく佳子さまが大祓の儀に臨んでくださったのに、モヤモヤの大晦日になりました。



宮中祭祀のいくつかは、かっては男性皇族のみで行われていました。
大祓の儀もその一つです。
男性皇族の減少とともに、女性皇族も宮中祭祀に参加するようになったのですが、大祓の儀にいつから女性皇族が参加されるようになったか、メモとして。

2014年(平成26年)6月10日 産経新聞 


産経新聞6月10日付1面
「【6、12月の「大祓の儀」ご参列 女性皇族にも拡大】
宮内庁の山本信一郎次長は9日の定例会見で、6月30日と12月31日に皇居・神嘉殿(しんかでん)前庭で行われる儀式「大祓の儀」(おおはらいのぎ)に宮家を代表して参列される皇族の範囲を、これまで成年男性の「親王」に限っていたのを、成年女性も含む「皇族」に広げたと発表した。山本次長は、桂宮さま薨去との関係は「まったく別件」としつつ、「参列可能な男性皇族が実質的に少なくなっておられる」と理由を語った。宮内庁が皇族方の減少を理由に行事見直しを発表するのは異例。親王は天皇の子と孫に当たる男性皇族。宮家の成年親王は現在、秋篠宮さま、常陸宮さま、三笠宮さまの3方のみとなられている。皇室祭祀をつかさどる掌典職によると、慣例で親王に限ってきたが、過去には体調不良となった高松宮に代わって高松宮妃が参列したり、戦前は親王以外の男性皇族が参列したりした例もあった。また、一般の神社の大祓は男性に限らないという。今後は宮内庁や皇宮警察の職員らの参列者も男性に限定しない。大祓の儀は皇族をはじめ国民のために行われるお祓い。天皇、皇后両陛下、皇太子ご夫妻は参列されない。」

*天皇陛下には別に節折(よおり)というお祓いがあるようです
毎年6月と12月の晦日(みそか)に宮中で行われる行事。天皇皇后両陛下・皇太子殿下の身長を竹の枝で測り、祓(はらえ)を行うもの。

*詳細(所 功著「天皇のまつりごと」より 1部抜粋)
節折とは、天皇のために行われる祓の儀式である。平安以前の史料にみえないが、貞観末年(867)ころ成立の「儀式」に六月末と十二月末の「御贖の儀」として節折に相当することが出ている。
まず天皇が御小直衣に金巾子の御冠を被って出御されると、掌典長が一拝する。ついで侍従が掌典から御贖物の御服を受け取る。その呂の蓋を開けて差し出すと、それに陛下が口気を三度吹き入れられ、それを侍従から掌典に渡される。つぎに侍従が掌典長から御麻を受け取る。それを差し上げると、陛下がその御麻で御体を三度お撫でになり、それを侍従から掌典長に渡される。
さらに侍従が、掌典から御竹九本を受け取る。
そのうち、初めの長い一本で、陛下の御背丈を測り、竹に筆で墨の印をつける。それを掌典から掌典補へと下げ送ると、掌典補が墨印のところでピシッと折る。同様に次の二本で御胸から指先まで、次の二本で左右の御膝から足元まで、順々に測って竹に墨印をつける。するとそれらを下げ渡された掌典補がそれぞれ印の所でパシッと竹を折り、櫃に納める。そのあと侍従が、掌典から御壺を受け取る。それに陛下が口気を三度吹き入れられ、それを侍従から掌典に渡される。
このような一連の儀式が、二度繰り返して行われる。初度を荒世の儀、再度を和世の儀というが、御身の長さに御竹の節を折るところから節折と総称する。その内容はまったく変わりはないが、初度の御服に白絹の荒妙を用いるので、荒世、再度の御服に紅絹の和妙を用いるので和世という。また前者が荒御魂の御身(荒)後者が和魂の御身(和世)を祓い清めることになる、と解されている。
 いずれにせよ、至純の天皇といえども、無意識のうちに触れると感じられるツミ・ケガレを祓い清めるため、一年の前半半日と後半半日に御服・御麻および御竹・御壺を御贖物に用いて、いとも丁寧な祓いの儀が行われている。
それら御贖物のうち御麻は、続いて行われる大祓の祓所へ掌典補の手で運ばれる。 
(相州藤沢白旗神社HPより)
御贖の儀(みあがりのぎ)

😇 節折の儀、雅な儀式のようですね。
宮中三殿で行わず宮殿で行うのなら、公開しても良いのではないでしょうか。
ちなみに、加冠の儀は以前は宮中三殿で行われ非公開でしたが、戦後現上皇から宮殿で行われ、その様子は公開されるようになりました。



お正月迎えの準備は30日までに終了。
今日はネイルに行き、パン屋さんのイートインで休憩。

          

今年一年、ご訪問ありがとうございました。
良いお年を☆




年末年始 12月30日~1月5日 ご予定

2024-12-30 23:40:49 | ご予定

春飾り
今年は、高さ50センチ程度から2メートルを超えるものまで、計20鉢を制作。正月に梅が3分咲きになるようビニールハウス内で調整を行い、今月30日に皇居・宮殿や御所などに飾られる。(24日産経新聞より)

😊 今日は30日、「春飾り」の盆栽が御所や宮殿に飾られたことでしょう。

年末年始のご予定が発表され、今上の予定に大祓の後に行われる「節折の儀」が入っています。昨年は予定発表が無く、されたのかされなかったのか、モヤモヤしましたが、今年はやる気だされているじゃないか、来年から祭祀の予定はきちんと発表して行くということか、と喜んだのも束の間、、1月7日昭和天皇祭の予定が発表されていません。😰 
天皇ご一家、来年も今年の続きでグッタラグッタラ行かれること決定?

天皇ご一家
12月31日(火)
天皇陛下 宮殿(節折の儀)

1月1日(水)
天皇陛下 皇居・神嘉殿(四方拝)
天皇陛下 皇居・宮中三殿(歳旦祭の儀)
天皇、皇后両陛下、愛子さま 皇居宮殿(新年祝賀の儀)
愛子さま 仙洞御所(新年につき祝賀)

1月2日(木)
天皇、皇后両陛下、愛子さま 皇居・宮殿(新年一般参賀)

1月3日(金)
天皇陛下 皇居・宮中三殿(元始祭の儀)
天皇陛下 蓮池参集所(賢所勤労奉仕団 歳末・新年賢所諸儀奉仕者 愛知県 貴久栄会との面会)
愛子さま 三笠宮邸(故崇仁親王妃百合子喪儀 権舎五十日祭の儀)
愛子さま 豊島岡墓地(故崇仁親王妃百合子喪儀 墓所五十日祭の儀)

1月4日(土)
天皇陛下 皇居・宮殿(奏事始の儀)
天皇陛下 皇居・宮殿(昭和天皇祭山陵に奉幣の儀勅使につき掌典のあいさつ)

1月7日(火)
天皇陛下 皇居・蓮池参集所(賢所勤労奉仕団 昭和天皇祭奉仕者 千葉県 清光会との面会)

1月10日(金)
愛子さま 皇居・宮殿(講書始の儀)

上皇ご夫妻
1月1日(水)
上皇ご夫妻 仙洞御所(上皇侍従長や皇宮警察本部長、堂上会総代、元皇族、皇族方をはじめとする人々から祝賀を受ける)

1月2日(木)
上皇ご夫妻 皇居・宮殿(新年一般参賀)

皇嗣家(秋篠宮ご一家)
12月29日(日)
佳子さま 御所(誕生日につきあいさつ)
佳子さま 仙洞御所(誕生日につきあいさつ)

12月31日(火)
佳子さま 神嘉殿前庭(大祓の儀)

1月1日(水)
秋篠宮さま 宮中三殿【殿上】(歳旦祭の儀)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(新年祝賀の儀)
悠仁さま 宮殿(新年につき祝賀)
悠仁さま 仙洞御所(新年につき祝賀)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(新年祝賀の儀《内閣総理大臣等》)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(新年祝賀の儀《認証官、知事、議長等》)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(新年祝賀の儀《外交使節団》)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 仙洞御所(新年につき祝賀)

1月2日(木)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(新年一般参賀)

1月3日(金)
秋篠宮ご夫妻 宮中三殿【殿上】(元始祭の儀)
佳子さま 宮中三殿【庭上】(元始祭の儀)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま、悠仁さま 三笠宮邸(故崇仁親王妃百合子喪儀 権舎五十日祭の儀)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま、悠仁さま 豊島岡墓地(故崇仁親王妃百合子喪儀 墓所五十日祭の儀)

1月7日(火)
秋篠宮ご夫妻 皇霊殿【殿上】(昭和天皇祭皇霊殿の儀)
佳子さま 武蔵野陵(昭和天皇祭山陵に奉幣の儀)
秋篠宮ご夫妻 皇霊殿【殿上】(昭和天皇祭御神楽の儀)

1月9日(木)
佳子さま 麻布台ヒルズギャラリー(「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」に訪問)

1月10日(金)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 宮殿(講書始の儀)

常陸宮家
1月1日(水)
華子さま 宮殿(新年祝賀の儀)
華子さま 仙洞御所(新年祝賀)

1月2日(木)
華子さま 宮殿(新年一般参賀)

1月3日(金)
華子さま 三笠宮邸(権舎五十日祭の儀)

三笠宮家
1月3日(金)
彬子さま、瑶子さま 賢所、皇霊殿、神殿(元始祭の儀)
彬子さま、瑶子さま 三笠宮邸(権舎五十日祭の儀)
彬子さま、瑶子さま 豊島岡墓地(墓所五十日祭の儀)

1月7日(火)
彬子さま、瑶子さま 皇霊殿(昭和天皇祭皇霊殿の儀)

1月8日(水)
信子さま 宮内庁分庁舎(佐賀県農林水産部農業経営課課長などの説明《「第26回全国農業担い手サミットinさが」について》)

1月12日(日)
信子さま 講道館(令和7年講道館鏡開式に出席)

高円宮家
12月30日(月)
久子さま 武蔵野の森総合スポーツプラザ(第78回全日本総合バドミントン選手権大会決勝観戦、表彰式出席)

1月3日(金)
久子さま、承子さま 賢所、皇霊殿、神殿(元始祭の儀)
久子さま、承子さま 三笠宮邸(権舎五十日祭の儀)
久子さま、承子さま 豊島岡墓地(墓所五十日祭の儀)

1月7日(火)
久子さま、承子さま 皇霊殿(昭和天皇祭皇霊殿の儀)

1月9日(木)
久子さま 池袋サンシャインシティ文化会館(サンシャインシティ世界のらん展2025に訪問)

1月10日(金)
久子さま、承子さま 宮殿(講書始の儀)


😐 宮中祭祀のご予定は皇嗣ご一家を基準に見れば、間違いがありません。
紀子さまが殿上で拝礼される祭祀は皇后の殿上拝礼が必要とされる祭祀です。
紀子さまが殿上で拝礼されて、雅子さまがお慎みと発表されたら、それは雅子さまが御さぼりされたことを意味します。
元始祭も昭和天皇祭も秋篠宮ご夫妻は殿上で拝礼されます。しかし、天皇ご一家の予定を見ると、、、そういうことです。
比べて歳旦儀は紀子さまはお出にならず秋篠宮殿下のみ殿上で拝礼。
こういう場合は、天皇と皇太子が臨まれて、皇后皇太子妃はお出にならない祭祀。雅子さまのお慎みは御さぼりではありませんが、お慎みされている雅子さまの姿が想像できません。お慎みは御さぼりではないけれど、お慎みを御さぼりされている?

😐 三笠宮系の方々が新年祝賀の儀、一般参賀にお出ましにならないのは、服喪中だから?
しかし、宮内庁は先にこのように発表しています。

両陛下5日間ご服喪、他の皇族方も5~30日間 百合子さま薨去
2024/11/15 18:00 産経新聞
宮内庁は15日、三笠宮妃百合子さまの薨去を受け、天皇、皇后両陛下が同日から5日間の喪に服されると発表した。
秋篠宮ご一家、両陛下の長女、敬宮愛子さま、上皇ご夫妻、常陸宮ご夫妻も5日間、寬仁親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さまと瑶子さま、高円宮妃久子さまと長女の承子さまは30日間の喪に服される。

三笠宮系の方々の服喪期間は30日、、、もう喪は明けているはずでは?
喪は明けていても薨去されて初めての正月の祝いは慎みたいという御意向なのでしょうか。その気持ちは理解できますが、悠仁殿下の加冠の儀欠席の伏線でないと良いのですが…
だってほら、久子さまは秋篠宮ご一家がお嫌いで先例もあることですから…

三笠宮系の方々がお出にならない新年祝賀の儀と一般参賀はどういうムードになるのでしょうか。
華子さまがお一人で頑張ってくださいます。

ああ、上皇ご夫妻も。



12月23日~29日 天皇ご一家ご動静

2024-12-30 22:18:15 | ご動静
12月27日 京都知恩院 除夜の鐘の試し打ち

今年も残すところあと1日・・・

発表された予定
天皇ご一家
12月23日(月)
天皇、皇后両陛下 仙洞御所(上皇さまの誕生日につき祝賀)
愛子さま 仙洞御所(上皇さまの誕生日につき祝賀)
天皇陛下 出光美術館(「日本・トルコ外交関係樹立100周年記念トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演」展視察)

12月25
天皇陛下 宮殿・竹の間(衆議院の永年在職表彰議員らとの面会)

実際のご活動
(24日)
【午前】
陛下 勤労奉仕団ご会釈(皇居・蓮池参集所)
【午後】
陛下 ご執務(御所)

(25日)
【午前】
陛下 大正天皇例祭の儀(皇居・皇霊殿)
皇后さま 大正天皇例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所)
【午後】
両陛下 衆議院の永年在職表彰議員が拝謁(宮殿)

(26日)
【午前】
陛下 額賀福志郎衆院議長、関口昌一参院議長からあいさつ《国会終了につき》(宮殿)
【午前・午後】
陛下 石破茂首相はじめ閣僚らとの午餐(宮殿)
【午後】
陛下 堂上会京都支部代表とお会い(御所)


※ご執務 週1回午後
※下線部 予定発表されていないご活動

😮 23日 上皇陛下お誕生日に仙洞御所を訪問する予定が当日突然キャンセルになり、大いに物議を醸しだすことになりました。

キャンセルの理由は愛子さまがインフルエンザに罹患されたため、今上と雅子さまは症状が無いが大事をとって、ということだそうです。
しかし、大半の者は半信半疑。「悠仁殿下の筑波大学進学が発表された直後とあって、面白くないからだろう」という憶測が波のように広がった。
今年、天皇皇后は上皇上皇后のもとへ新年の挨拶にも訪れていない。
雅子さまは祭祀、勤労奉仕団へのお会釈と同様、上皇上皇后への挨拶もこのまま免除となるのでしょうか。

😐 25日 大正天皇例祭
天皇の拝礼を予定発表しない理由は何なのでしょう。
雅子さまは御さぼり。


29日  佳子さまお誕生日

2024-12-29 21:48:59 | 佳子さま
佳子さまは30歳になられました。

宮内庁HPには、宮内庁が発表した文書と1月から12月までのご活動が報告されています。

同ページには映像と写真も掲載され、その概要も書かれています。
映像とお写真の概要
内親王殿下は、赤い三連のイヤリングをおつけになり、赤色のコート、グレーのセーターとスラックスをお召しになっています。撮影は、12月上旬のよく晴れた日に、赤坂御用地内で行われました。


紅葉を背景にして遠くをご覧になるお姿

😊 御用地の紅葉と競うかのような、真っ赤なコートを召した佳子さま。
本当にお美しい。
HPの担当者が丁寧に解説したくなる気持ちもわかります。

ちなみに12月1日お誕生日を迎えた愛子さまの該当ページと比較してみると、佳子さまのページを作成した者の熱の込めかたが解ろうというもの…

愛子さまお誕生日御近影にはビデオがアップされておらず、写真の説明も一年のご活動報告もありません。

愛子さまの御活動は、

愛子内親王殿下は、令和6年3月に学習院大学をご卒業になり、同年4月から日本赤十字社において、常勤嘱託職員として勤務されています。

という一文があるのみで、「初めての1人地方公務」と喧伝された佐賀訪問がお誕生日御近影ページにも記されていないのは不思議です。

お誕生日御近影写真
佳子さま 8枚
愛子さま 4枚


池のほとりを歩かれる全身のお姿


茶園にて、お茶の木の間を歩かれ、常緑広葉樹のオガタマノキの枝に触れられるお姿


茶園にて、こちらを振り返ってほほえまれるお姿


茶園にて、お茶の木の間を、こちらに向かって歩いてこられるお姿

藤棚とお茶の木を背景に、こちらをご覧になってにっこりされるお姿


お茶の木を背景に、横を向かれた肩から上のお姿

😀 ここでようやく”赤い三連のイヤリング”がどのようなものか判りました。
婀娜っぽく抜け感のあるまとめ髪も佳子さまがなさると品良くオシャレです。


ピンク色のサザンカが咲く横で、こちらをご覧になるお姿

😃 紅葉も山茶花も佳子さまの美しさを引き立てています。
美しいばかりでなく頼りになる姉君は、いつまで悠仁殿下をお守りくださるのでしょうか。
いつまでも皇室にとどまっていただきたい、と思ったり、知る人ぞ知るような名家の若奥さまとしてご活躍される姿を『家庭画報』あたりで拝見したいな、と思ったり。

動画 宮内庁提供のビデオに余計な解説を加えていない動画(朝日新聞)
ただしタイトルには、そこはかとなく悪意漂う余計な部分がある。😁

佳子さまが30歳の誕生日 赤坂御用地を歩く様子を公開 秋篠宮家の次女

見どころ
赤坂御用地の茶畑。
何処でもそうなのかもしれませんが、当地では以前はお茶の木が生け垣になっているのをよく見かけました。可愛らしい花を愛でるだけでなく、自家用の番茶にするためだったようです。
慎ましく堅実に暮らした人々が津々浦々にいたかっての日本。
秋篠宮皇嗣同妃両殿下にかって誇り高く堅実に生きた日本人達の片鱗を垣間見る私。



佳子さま30歳の誕生日 天皇皇后両陛下にごあいさつ(2024年12月29日)


😊 一瞬、手話?



27日 信子さまのニュース 彬子さまのニュース

2024-12-28 00:12:36 | 三笠宮
信子さまのニュース
寛仁親王妃信子さま、来年3月までに高輪皇族邸に引っ越し
最終更新日:2024年12月27日 17:38 日テレNEWS
寛仁親王妃信子さまは、現在住む宮内庁分庁舎が改修に入るため、来年3月までに高輪皇族邸に引っ越されることになりました。

宮内庁は、来年度予算に信子さまが住まれている東京・千代田区の宮内庁分庁舎の改修費として、5億1900万円を計上しました。

築25年以上たつ宮内庁分庁舎は、バリアフリー化や老朽化に伴う必要な改修が2か年にわたって行われ、あわせて12億9800億円が見込まれています。
このため宮内庁は、2009年から宮内庁分庁舎に住む信子さまが、来年の3月までに、上皇ご夫妻が代替わり後、仮住まいしていた東京・港区の高輪皇族邸に引っ越される予定であることを明らかにしました。

こんな日々もあったのに、、、
聡明そうな彬子さまは可愛らしく、信子さまは宝石のように美しい。疑いなく慕わし母と愛しい娘であったころ。

宮内庁分庁舎をお住いとされているのはいかにも不自然ですが、では信子さまがどこにお住まいになられたら、一番良い形になるのでしょうか。
難しいですね。

彬子さまのニュース
三笠宮家の彬子さまに千葉工業大学が名誉博士の称号を初贈呈
12/27(金) 17:45配信 テレ朝NEWS


三笠宮家の彬子さまに千葉工業大学が名誉博士の称号を初めて贈呈しました。

彬子さまはイギリスのオックスフォード大学のマートン・コレッジで日本美術を専攻し、2010年に博士号・哲学博士を取得されています。 

彬子さまが総裁を務める中近東文化センターの附属アナトリア考古学研究所と千葉工業大学の地球学研究センターが共同研究を始めたことをきっかけに彬子さまは2020年4月、千葉工業大学の特別教授に就任されていました。 

名誉博士の称号は10月下旬に千葉工業大学の津田沼キャンパスで彬子さまに贈呈されましたが、祖母の百合子さまが11月に亡くなったことを受け、発表は12月下旬になったということです。  

千葉工業大学で名誉博士の称号が贈呈されたのは彬子さまが初めてということです。
 画像:千葉工業大学HPから

千葉工業大学HPの該当ページはこちら。
千葉工業大学が彬子女王に名誉博士号を贈呈した経緯が詳しく書いてあります。
ニュース記事の「初めての贈呈」の意味を取りかねていたが、千葉工業大学はこれまで名誉博士の制度が無く、彬子さまのために制度を作って名誉博士号を彬子さまに贈呈したようだ。
彬子さまと千葉工業大学との関係を思えば、千葉工業大学が名誉博士号を贈るのは、雅子さまがオックスフォードから法学博士号を贈られるより自然ではあるが、千葉工業大学は皇室との結びつきを売り物にして何をしたいのでしょうか?

千葉工業大学HPに掲載された他の写真




お言葉中、彬子さまが一番言いたかったのは此処ではなかったでしょうか。

三笠宮殿下が鍬入れ式、父が資金集め、私がテープカットと親子3代中近東文化センター総裁として関わらせていただいている

この言葉、秋篠宮ご夫妻のトルコ訪問についてのお言葉にもありましたね。
違う場面で繰り返されるということは、「トルコとの関係に先鞭をつけたのは三笠宮家よ!」という強いプライドが現れたお言葉と思います。

彬子さまが信子さまと仲直りできないのも、大正天皇直宮”三笠宮”に対するプライドが強過ぎるのも一因でしょうね。