2021年4月19日のことだ。
オークションに出てた『ニチモ1/200海上自衛隊ミサイル護衛艦DDG163あまつかぜ』の入札ボタンを押した。
あなたが現時点での最高額入札者ですという知らせに喜んだ。
しかし、数分後に別の人が私を上回る高値を付けた。
再入札するかどうかギリギリまで悩んだが、予算を超えていたので断念した。
苦渋の決断だった・・・。
オークションは終了した・・・。
なぜ私が『ニチモ1/200海上自衛隊ミサイル護衛艦DDG163あまつかぜ』を手に入れたいのかだって?
説明しよう。
あれは忘れもしない、約40数年前のいつだったか・・・。
いつもの年寄りの昔語りが始まるので興味の無い人はスルーしておくれ。
当時、中学生だった私は馴染みの模型店で『ニチモ1/200海上自衛隊ミサイル護衛艦DDG163あまつかぜ』を買ったんだ。
その模型店の店主のおばちゃんはとてもいい人で、プラモ大好き少年だった私に優しくしてくれていたんだ。
その日は瓶入りの液体接着剤をサービスで付けてくれて、『あまつかぜ』の箱の中にしまってくれた。
私は『あまつかぜ』を自転車の荷台にくくりつけ、自宅へと向かった。
早く帰って作りたい一心で一生懸命にペダルを漕いだ。
自宅までの中間地点にさしかかった頃、何やら異臭が漂ってきた。
自転車を駐めてプラモの箱を見ると一部が濡れている。
嫌な予感がしつつ紐を取り外して箱を開けてみると、なんと横倒しに入ってた瓶入り接着剤のフタがはずれて液体接着剤が流出しているではないか・・・。
自転車の振動でフタがゆるんでしまったようだ。
パーツはビニール袋に入っているから無事だが、船体は接着剤まみれで悲惨な状態になっていた。
ショックで泣きそうになって、しばらく呆然と立ちすくんだ。
その後、気を取り直した私は模型店に引き返し、おばちゃんに事情を打ち明けた。
すると、おばちゃんは悲しそうな表情で「私が接着剤のフタをきちんとしめておけばよかったんやね・・・ごめんね」と言って、もう一つ残っていた『あまつかぜ』に交換してくれた。
新しい『あまつかぜ』を持ち帰って完成させたが、なぜか心から喜べなかった。
よく考えたら、自転車でガタガタ振動させてた自分の不注意だから、交換してもらうなんて厚かましいにも程がある。
でも、あのおばちゃんは・・・。
その後、大人になってプラモから離れた私はその模型店には行かなくなった。
ふと気がつくと模型店は閉じていた。
風の噂で、あのおばちゃんは亡くなったらしいと聞いた・・・。
現在、その模型店があった場所は道路の拡張のために更地になっている。
近くを通るたびに『あまつかぜ』の件が思い出され、おばちゃんに申し訳ないことをしたなあ・・・って悔いるんだ。
ちなみに、その当時に作った『あまつかぜ』は今は存在しない。
プラモへの興味を失っていた頃に、その他のプラモと一緒にすべて処分してしまったのだ。
ああ・・・せめて『あまつかぜ』だけでも置いておけばよかった・・・。
そんなこんなの思い入れがあるからこそ、『ニチモ1/200海上自衛隊ミサイル護衛艦DDG163あまつかぜ』を手に入れて、もう一度作ってみたかったんだ。
そうなのです。
拘るのにはワケがあり、数々のドラマがあるのです。
プラモを作りながら、さまざまな過去の思い出がよみがえってくる今日この頃でございます。
子どもの頃には、いくつかの模型店にお世話になりましたが、どのお店も時代の流れで消えていきました・・・(悲)。
でも、あのおばちゃんの優しい笑顔は今も記憶に焼き付いて残っています。
当時も中学生にとっては高価でしたが、大人になった今も高価に感じてしまう羽目になろうとは・・・。
今後さらに希少化して手に入りづらくなるかと思うと、焦りを感じます。
某男さんの拘りの影にまさかこんなエピソードがあったとは・・・。
人生の中の忘れられない、ちょっとほろ苦いエピソード、ひとつのプラモデルを通して、暖かい人の心が交錯した物語です。
40数年前の中学生時代のニチモ1/200というと結構高価なお買い物だったでしょうし、大作だったと思いますから尚更ですね。
現在、ニチモのキットはかなり高額で取引されているようですが、リーズナブルな価格で本当に作りたい人の手に渡るようになってもらいたいです。
プラモデルは作ってなんぼ、お金儲けの対象にはして欲しくないです。
私も中学卒業までに作ったキットは何一つ残っていません。