この間のTV番組で、水上勉氏の「櫻守」の一説が流れていました。
新婚の夜
>弥吉が腕をはなして、畳へ目をやると、乱れ髪がながれて、楊貴妃の花弁が一つ、小貝をつけたようについていた。弥吉はうっとりとそれを眺めた。
と流れて、思わずその情景が目に浮かびました。
楊貴妃桜、去年お迎えした子です。
ほんわり桜貝色の八重桜。
すぐにアマゾンで、本を取り寄せてしまいました(^^;;
作中の学者先生「竹部庸太郎」は、桜学者の笹部新太郎氏がモデルとか。
番組では、昔圃場になっていた場所へ行くのですが、すっかり開発され尽くして面影もなく。
この方は御母衣ダムに沈むはずの400年のエドヒガンを、移植した有名な話があります。
荘川桜といわれるその桜は、今でも大事にされています。
物語は、その学者先生に仕えた弥吉の一生の話なのですが、これが本当に桜に愛された人間だなぁと思わずにいられなくて、一気に読んで、今じっくり読み返しているところ。
最後 見事な桜に抱かれた村の共同墓地(地域の人しか入れない)に、長年墓地の桜の守りをしてきた縁で、村人がすんなり受け入れて骨を埋めることができたと言うのが、なんともうらやましく思えてホロッときます。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
でありますし、弥吉のように桜に抱かれて眠れたら、それだけで蓮華の上に成仏したも同じ気がするのですよ(笑)
しかし どうしてこうも桜が好きなのか、自分でも不思議に思います。
バラも好きです。セージ類も、山野草も好きです。
でも それらは好きで楽しむものであって、桜はまたちょっと違うのです。
なんと言うか、惹かれるというか、心を寄り添わせ誘われるというか・・・
桜はどこか、神の領域を持つ気がするのです。
日本の山に育つものだからかもしれません。
なので、ソメイヨシノではなく、里桜や山桜に、より心を惹かれます。
今 花の咲く6本の桜があります。
十月桜 枝垂れ ウコン 御衣黄 楊貴妃 緑桜
暖地桜桃も入れれば、7本ですね。
それに、ここへ来てから友達から送られた、実生の子がいます。
2年生位でやってきましたので、今年でもう8歳位?
来年当たり咲いてくれると良いのですが、山の中のように大きくはなりませんので、果たしていつ咲くことやら・・・
そして、去年出てきた2本と、台木から芽吹いた子1本。
この3人は、咲くとしても まぁ10年後。
11本の桜。
どれも思い入れのある、大事な子達です。
10年後 70になった時には、みんなが咲いてくれるかしら?
そして、かーさんがお空に行ったら、この子達はどうしたらいいかしらね?
こっそりと、どこかのお山に植えてもらおうかしら?
櫻守 読んで、その桜を思う気持ちが身につまされて、わが身を映したような気持ちにもなって、きっとこの本は繰り返し読むお気に入りの一冊になるでしょう。
今年は、去年より調子の良い十月桜と枝垂れちゃん
下から生えてきた枝と、新旧交代中の暖地桜桃。
高さを抑えてカットした、ウコン
今年の生育が見違えるように良くなった御衣黄
案外伸びの少ない楊貴妃
がんがん剪定しないと、あっという間に大きくなりそうな緑桜
昨年の鳥さんたちのプレゼント。幼木2本は、おそらく暖地桜桃。
来年当たりは、咲いてくれないかしら?の山桜
ちなみに、この本はもう一つ宮大工のお話があります。
近代建築ではなく、遠い古から受け継がれた日本建築の美の心は、やはり木を思う気持ちに通じていて。
近代建築は、数年建てば汚らしく見えるけど、古来の様式で立てられた日本家屋は、年数が行くほどに奥が深く感じる。その良さを、再認識できるお話。
でも、設定がつらいお話で、ちょっと苦手。
人生の辛苦は、もうこの年になると身につまされすぎて、痛いです。
最近は新聞も取らず、TVのニュースも見ず。
人間の業の話は、もうたくさん(--)
ネットのニュースはチェックしますが、命をあやめたとか騙したとか、人の悪口揚げ足取り、そういう話は読みません。
この年になったら、わが身一つを丁寧に生きて、穏やかに暮らしたいと思うのですよ。
そう この宮大工さんのように、寺院に模した自分の終の棲家で、静かに弔う生活ができたら、人間幸せというものなのでしょうね。
立って半畳、寝て1畳。
そんな欲から逃れた簡素な生活ができたら、さぞやすがすがしく心が軽くなるでしょう。
なかなか そうできるものではありませんけれど(^^;;
新婚の夜
>弥吉が腕をはなして、畳へ目をやると、乱れ髪がながれて、楊貴妃の花弁が一つ、小貝をつけたようについていた。弥吉はうっとりとそれを眺めた。
と流れて、思わずその情景が目に浮かびました。
楊貴妃桜、去年お迎えした子です。
ほんわり桜貝色の八重桜。
すぐにアマゾンで、本を取り寄せてしまいました(^^;;
作中の学者先生「竹部庸太郎」は、桜学者の笹部新太郎氏がモデルとか。
番組では、昔圃場になっていた場所へ行くのですが、すっかり開発され尽くして面影もなく。
この方は御母衣ダムに沈むはずの400年のエドヒガンを、移植した有名な話があります。
荘川桜といわれるその桜は、今でも大事にされています。
物語は、その学者先生に仕えた弥吉の一生の話なのですが、これが本当に桜に愛された人間だなぁと思わずにいられなくて、一気に読んで、今じっくり読み返しているところ。
最後 見事な桜に抱かれた村の共同墓地(地域の人しか入れない)に、長年墓地の桜の守りをしてきた縁で、村人がすんなり受け入れて骨を埋めることができたと言うのが、なんともうらやましく思えてホロッときます。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
でありますし、弥吉のように桜に抱かれて眠れたら、それだけで蓮華の上に成仏したも同じ気がするのですよ(笑)
しかし どうしてこうも桜が好きなのか、自分でも不思議に思います。
バラも好きです。セージ類も、山野草も好きです。
でも それらは好きで楽しむものであって、桜はまたちょっと違うのです。
なんと言うか、惹かれるというか、心を寄り添わせ誘われるというか・・・
桜はどこか、神の領域を持つ気がするのです。
日本の山に育つものだからかもしれません。
なので、ソメイヨシノではなく、里桜や山桜に、より心を惹かれます。
今 花の咲く6本の桜があります。
十月桜 枝垂れ ウコン 御衣黄 楊貴妃 緑桜
暖地桜桃も入れれば、7本ですね。
それに、ここへ来てから友達から送られた、実生の子がいます。
2年生位でやってきましたので、今年でもう8歳位?
来年当たり咲いてくれると良いのですが、山の中のように大きくはなりませんので、果たしていつ咲くことやら・・・
そして、去年出てきた2本と、台木から芽吹いた子1本。
この3人は、咲くとしても まぁ10年後。
11本の桜。
どれも思い入れのある、大事な子達です。
10年後 70になった時には、みんなが咲いてくれるかしら?
そして、かーさんがお空に行ったら、この子達はどうしたらいいかしらね?
こっそりと、どこかのお山に植えてもらおうかしら?
櫻守 読んで、その桜を思う気持ちが身につまされて、わが身を映したような気持ちにもなって、きっとこの本は繰り返し読むお気に入りの一冊になるでしょう。
今年は、去年より調子の良い十月桜と枝垂れちゃん
下から生えてきた枝と、新旧交代中の暖地桜桃。
高さを抑えてカットした、ウコン
今年の生育が見違えるように良くなった御衣黄
案外伸びの少ない楊貴妃
がんがん剪定しないと、あっという間に大きくなりそうな緑桜
昨年の鳥さんたちのプレゼント。幼木2本は、おそらく暖地桜桃。
来年当たりは、咲いてくれないかしら?の山桜
ちなみに、この本はもう一つ宮大工のお話があります。
近代建築ではなく、遠い古から受け継がれた日本建築の美の心は、やはり木を思う気持ちに通じていて。
近代建築は、数年建てば汚らしく見えるけど、古来の様式で立てられた日本家屋は、年数が行くほどに奥が深く感じる。その良さを、再認識できるお話。
でも、設定がつらいお話で、ちょっと苦手。
人生の辛苦は、もうこの年になると身につまされすぎて、痛いです。
最近は新聞も取らず、TVのニュースも見ず。
人間の業の話は、もうたくさん(--)
ネットのニュースはチェックしますが、命をあやめたとか騙したとか、人の悪口揚げ足取り、そういう話は読みません。
この年になったら、わが身一つを丁寧に生きて、穏やかに暮らしたいと思うのですよ。
そう この宮大工さんのように、寺院に模した自分の終の棲家で、静かに弔う生活ができたら、人間幸せというものなのでしょうね。
立って半畳、寝て1畳。
そんな欲から逃れた簡素な生活ができたら、さぞやすがすがしく心が軽くなるでしょう。
なかなか そうできるものではありませんけれど(^^;;