田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

袖触れ合うも他生の縁

2018-01-28 02:16:26 | 日記

  出会いと別れ


 会うは別れの初めとか・・・、最初から別れがあることを知っていれば良かった。

 良かったわけである。

 パナウル診療所・古川蔵書から「アミターバ(無量光明)」借りてきた。
 臨死体験をもとにして書かれた作品のようだ。

 死ぬ準備を始めたいと思うようになった。
 昨日は好きな庭いじりをして過ごした。
 暇になったら、
 年老いてからの楽しみに残して置こうとこれまで思ってきたが、
 これからかかっても10年はかかるだろう。
 
 屋敷林もどうやら整ってきたので
 主庭にかかる前に
 東側の藪の片づけにかかることにした。
 手始めにハランを移植することにした。
 このハランは先日亡くなった平静江先生の庭からわけてもらったものである。
 しーちゃん先生の庭を追想しながら書いている。




 ゴミ拾いを始められたことを聞いたとき、
 私もやってみようと思った。
 かれこれ20年前のことだろうか・・。
 やってみて
 恥ずかしくてできなかった。
 いいこと」なのに、とても勇気がいる事だった。

 海からの頂き物」の発想を書いたのは
 船倉海岸でしーちゃん」先生と出合ってからのことで、
 12年ぐらい前になりそうだ。
 そのころからせっせと海岸から砂を運んでいる。

 自分のために
 墓を造ってみた。




 祖父が火葬場に選んだ離れ島を眺めながらの作業、
 あそこを私の魂の宿る場所にしたいと思うようになった。

 海から陸に上がって
 また海に帰る 陸生の動物
 アマン(ヤドカリ)またはカニ(ジガン)のような生活史を遂げる。



 網にかかったのだろうか・・・?
 カニが捨てられてあった。
 亀の墓場にしていた場所に葬ることにした。




 縁があって
 漂着船(船越漁業協働組合所属)が私の屋敷にやってきた。




 石垣を積んでいる場所にうつぶせで流れ着いていたのを見つけた。
 翌日もそのままになっていたので
 やっとこさで起こして
 浮かべてみたが、浸水し打ち上げられたいた。
 一人では引き上げることもできないので、
 ゴミ拾いの方々に片づけてもらうつもりで、沖に誘導して流してあげたら、
 案の定、西の浜辺に打ち上げられていたのを、
 防災担当が処理することになったことから、
 私が引き取る覚書を交わすことになった次第だ。



 調べてもらって分かったことは、
 北陸震災で流されたようである。

 海流に乗ってここまで来たのか・・・。



 流された船たちの供養をしよう。
 そして航海安全と大漁祈願
 祈りの場所を造る楽しみが増えた。



 日々之好日。