妻のお父さんから陣痛が始まったとの連絡が朝にあったので、
近いとは思っていたが・・・・。
午後からは豊年祭典(与論島十五夜踊り)の準備のため琴平神社に行って、
嶋中安穏の旗を建てたり、お供えの品々を手伝ったりしていた。
ちょうどその頃に生まれていたわけである。
快晴の天気であったが視程が悪く、
15キロぐらいしか見とおせなく沖縄は見えなかった。
満潮に合わせて生まれるというから・・・、
などと考えていた。
小型飛行機が上空をうるさく飛びまわっていた。
よく見るとソニーのファルコン10だった。
また写真撮影にきたのだろう。
飛行場に勤務していたとき乗せてもらって、
エプロンから滑走路に向かうところで故障してしまって、
交換部品待ちで一ヶ月ぐらい駐機していたジェット機だった。
豊年祭典の式は3時半から始まって、十五夜踊りは5時前から。
産業課の方は豊年祭典の片付け、
供え物のお下がりを神官宅に配って廻った。
片付けが終わり、
5時半ごろから役場の産業課で岩村さんが持ってきたジョニ赤で反省会、
とても飲む気にはならなかったが、
赤ちゃんの連絡も来ないから景気づけにと与献奉をまわした。
宿直室から仁孝兄が上って来て「家に電話してみろ」と言われ
昼過ぎに生まれたと知った。
だまされているのではと思いながらも嬉しくて
係長以下4名案内、
みんなも喜んでくれてビール1ケースに有泉2本を携えて来てくれた。
その状況はビデオテープに収めてあるので楽しみにとっておこう。
今日は風が強くて寒い日だった。
霧島には雪が降った様子・・、飛行機で赤ちゃんに会いにいくつもりだったのが
欠航の為いけなくなって、
明日にいくつもりでカバンをそのままにしてあったが、
今さきのお父さんからの電話で、
退院する頃がいいだろうと決まった。
今行っても、お祝いもできないし、
真弓も外にもでられないだろうから・・・。
早いところ名前を決めて出生届けをしなければならない。
女の子の名前は妃呂香とつけようと考えていたが
男の名は考えないことにしていた。
えてして、期待していた逆が生まれるというから、
意識的に考えないことにしたのが、まあ良かったのだろう。
幼名はマ二ュ(先祖・玉恵窪)からもらったものである。
名前のつけかたの本を読みながら考えよう。
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