春立ちぬ そして 「風立ちぬ」 8月
ここパースも二三日続いたストームが終わり、冬の終わりを告げるようなきれいな虹がかかり、春がそこまで渡ってきているような暖かさです。中庭の木々の新芽も少しずつ膨らんで来ているようです。
シティの街に出ると、かもめたちの数が心なしか増え、飛び交う姿も今まで以上に活発になっているようで、春の到来を感じ、「春立ちぬ」といった今日この頃です。
彼らの優雅な滑空をみていると、今,日本で上映されている映画「風立ちぬ」の零戦の飛行を思い浮かべてしまいます。七月に日本に一時帰国した時には,まだ公開されていなかったので,見れなかったのが大変残念でした。それで、こちらではパソコンで何度もその予告編の映像をみていました。
私は宮崎アニメのファンで、彼の作品はほとんど見ています。特に「風の谷のナウシカ」は好きで、ここパースへも日本からDVDを持って来て、折りにふれ見ています。近年発売された徳間書店のワイド版の全8巻も購入し、改めて原板のアニメを知ることとなり、彼の思想の深さには感心したものです。
私のHPでも、この作品をモチーフにした物語を載せています。また、HPの中の随所に、ネーミングとして「風の谷」「メーヴェ」「ナウシカ」などを使用させてもらっています。
この映画「風立ちぬ」は零戦の設計者堀越二郎を主人公に、掘辰雄のラブロマンス「風立ちぬ」の世界がミックスされ、その「菜穂子」と二郎との世界が組み入れられ、ラブロマンス風に創られていますが、それだけではなく、昭和の初め、日本が戦争の泥沼にはまっていく時期を舞台に、そこに生きた人たち、暮らしぶりや風景が描かれています。
そして、挿入歌荒井由美の「ひこうき雲」の一節「あの娘のいのちはひこうき雲」と歌われているように、零戦の悲劇と菜穂子の死がオーバーラップして描かれています。それはまた、正に昭和の始めから終戦に至る昭和史が、宮崎監督の目を通してアニメ化され美しく描かれています。
その時代はどんなだったのだろうか。
私は戦後生まれなので、その時代を肌で知ってはいません。宮崎監督は私より8年ほど前に生まれており、終戦当時は四、五歳だったと言っています。
彼の親父の工場が零戦の風防を造っていたということで、彼はそれを見ていた記憶があるそうです。すなわち、彼の親父の生きた時代が二郎、辰雄の生きた時代と同時代で、彼はおそらく、親父からその時代の雰囲気を伝えられていたのではないだろうか。
また、その体験からか、彼はたいへんな飛行機好きで、彼の作品のなかでも随所に登場しています。
彼の言葉を借りれば、零戦は戦闘機というよりは工芸品だと言っています。その言葉の中に戦前の歴史の真実が語られているような気がします。堀越二郎は零戦のテスト飛行をみて、ただ一言「美しい」ともらしたと言っています。彼が造りたかったのは戦闘機ではなく、美しい飛行機だったに違いないとも言っています。
それを造り得た当時の最高の技術を、戦闘機の開発に注がしてしまった国、国家戦略。その結果が零戦の悲劇、最後には特攻隊員を乗せることになった悲劇ではなかっただろうか。
また、その体験からか、彼はたいへんな飛行機好きで、彼の作品のなかでも随所に登場しています。
彼の言葉を借りれば、零戦は戦闘機というよりは工芸品だと言っています。その言葉の中に戦前の歴史の真実が語られているような気がします。堀越二郎は零戦のテスト飛行をみて、ただ一言「美しい」ともらしたと言っています。彼が造りたかったのは戦闘機ではなく、美しい飛行機だったに違いないとも言っています。
それを造り得た当時の最高の技術を、戦闘機の開発に注がしてしまった国、国家戦略。その結果が零戦の悲劇、最後には特攻隊員を乗せることになった悲劇ではなかっただろうか。
彼がこの映画製作のため、関東大震災の絵コンテを書き終わったときに、東日本大震災が起き、この映画製作をどうするか迷ったとも言っています。
彼は「風立ちぬ」の時代と今のこの時代が良く似ているとも言っています。大震災と零戦、大震災と原発、ともに自然災害と技術の結晶からもたらされた悲劇。地震国にはミスマッチな原発の誘致という国家戦略の過ち。石油文明が終わりにさしかかり、原子力が行き詰まっているのに、まだこの日本は大転換に舵を切れないでいる状況など。この映画はいろんなことを語っているようです。
そして、宮崎アニメがいつも勇気を与えてくれるのは、この映画のキャッチコビーでもある「生きねば」という人生に対する前向きな姿勢です。「風の谷のナウシカ」でも,「もののけ姫」でも同じような言葉が使われています。
彼は「風立ちぬ」の時代と今のこの時代が良く似ているとも言っています。大震災と零戦、大震災と原発、ともに自然災害と技術の結晶からもたらされた悲劇。地震国にはミスマッチな原発の誘致という国家戦略の過ち。石油文明が終わりにさしかかり、原子力が行き詰まっているのに、まだこの日本は大転換に舵を切れないでいる状況など。この映画はいろんなことを語っているようです。
そして、宮崎アニメがいつも勇気を与えてくれるのは、この映画のキャッチコビーでもある「生きねば」という人生に対する前向きな姿勢です。「風の谷のナウシカ」でも,「もののけ姫」でも同じような言葉が使われています。
「風立ちぬ」の宮崎アニメに想いを巡らした数日後、シティの街に出ると、春がそこまできている青空を、春風とともにかもめたちが優雅に飛び交い、いつになく活発な滑空を眺めていると、以前聞いた写真の友K君の言葉のように、映画の時代に生きた人たち、そして今の時代に死んで行った人たちの「生きねば」いう言霊が飛び交っているようでした。