モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

ELICOS一年の残影ーOne year's memories remain with me.

2013-12-19 00:30:08 | エッセイ
ELICOS一年の残影ーOne year's  memories remain with me
 
 昨年の8月31日に日本を旅立ち、翼の下に広がる大海を眺めながら、新天地を目指して大海原に船出した、古の旅人たちに憶いをはせたのが、この旅の始まりでした。


 そして、一年。
 ELICOSのこの一年は、私にとって何だったのだろうか?
 時の流れが残した残影については、ある人は「夢のあとさき」と言い、ある人は、「残された憧憬」と言い、また、ある人は、"The long winding road"とも言っています。



 一年の時の流れは、どこにいても変わるものでないにしても、私のこの一年を、一言で表せば、沢山の宝石の詰まった宝石箱のGIFTだったような気が、今しています。
 もし、この一年、私がそれ以前と同じように日本で生活していたとすれば、それは、今まで通りの時の経過にすぎず、私の手にしたものは平凡な石の詰まった箱を手にするだけではなかっただろうか。
 この問いかけは、丁度ELICOSの最後の試験のWritingのTpicにも似ており、私はその時も、同じように書いたと記憶しています。
 
 そのGIFTのひとつは、まぎれもなく、この一年で私が知ることになった沢山のクラスメートです。
 言葉は十分に通じなかったにせよ、彼らの心と、彼らが体現しているナショナリティを私は肌で感じることができたと確信しています。
 これは、私が日本ではなく、このパースで多くの若者たちに交じって勉強してきたからこそ、手にし得たものではないだろうか。
 また、それは、私自身と私を培って来た日本のナショナリティを再確認することでもありました。
 そして、それらの違いを知ることは、私と彼ら、私の母国と彼らの母国の障壁を高くしただろうか。
 否。その障壁は、私にとっても、彼らにとっても、より低いものになったと確信しています。これは、バーチャルな世界での感覚ではなく、肌で感じた実感です。














 そして、もう一つのGIFTはKindnessです。
 この見知らぬ地へ来た私たちを、暖かく迎えてくれた英語の師匠たち、我々をサポートしてくれた現地の日本人スタッフたち、そして何よりも暖かい笑顔で接してくれたオージーたち、彼らのKindnessこそUniversal 言語ではなかっただろうか。
 英語の技術、英語でのコミュニケーションはあとからでもついてくるものではないだろうか。


 彼らのKindnessはどこからきたものだろうか。
 私が以前にもブログに書いたように、この地の源は政治犯などの流刑地であり、この地が彼ら囚人たちによって開拓され、その後、本国ではエラーコインとしてその価値を認められなかった人たちが多数移住し、彼らによってこの国の礎ができ、また、彼らもこの地でその本来の価値を発揮し得たからではないだろうか。
 現在を生きる彼らの末裔たちのKindnessの源はそこに発しているような気がしています。
 
 このバースには私を含め、様々な人種の人たちが、勉強し、生活し暮らしています。彼らはおのおのの文化、風習、考え方をこの地へもたらしています。それらは、おそらく少しずつ融け合い、新たな大きな文化へと成長し形づくられていくのではないでしょうか。
 それは上からのグローバル化ではなく、ここに暮らす人たちの産みの苦しみの上に作り上げられる「融和」の世界ではないだろうか。
 ここにひとつの例があります。
 私のクラスのプレゼンテーションの授業で、一人の台湾の女性が、" Travel"についてプレゼンテーションを行い、その中で、日本を紹介したときに、松尾芭蕉の「奥の細道」が紹介されました。彼女は、それが東北への旅を扱った話であることは知っていましたが、松尾芭蕉については、よく知りませんでした。
 それで、私は、彼が江戸時代の有名な俳人であること、そして、その時思い出した「奥の細道」の冒頭の有名な一節を紹介しました。
 
 その時、彼女は、"What is Travel?"と、皆に尋ねました。
誰も適切な回答がありませんでしたので、私は、その時、とっさに思い浮かんだ言葉
"Travel is time"と答えました。 それは、芭蕉のあの一節がつぎのようなものであったからです。 
 "月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。"

 彼女はいたく納得した模様でしたので、私はもう一度、今度は、電子辞書に録音されているその一節を聞いてもらいました。他の生徒も日本語は知らないはずですが、" Travel is time"という英語からか、何となく納得した模様でした。我々のTeacher Emelは日本語を勉強した経験があり、少し日本語がしゃべれますので、その意味を理解したようでした。
 これは、日本の文化のひとつが理解された一例です。
 
 そして、また、この「融和」を象徴する言葉を、別のWritingの試験でも紹介しました。
 それは、日本の古代の17条憲法の一文です。
 一に曰く、和をもって尊しとする。
 これも私の好きな一節で、機会あるごとに紹介しています。
 
 私は、この一年、シティの街中を飛び交うかもめたちや、シティのStreetで自らの技を披露している夢追人たちに、どれだけ癒されたことだろうか。
 そして、娘が病気になったとき、我々のアパートメントまで赴き、彼女のリハビリの手助けをしてくれた天使のごときオージーたち、彼らのKindnessを、わたしの家族は一生忘れないだろう。














 そして、私は今、以前ホームページに書いたアボリジニの翁の教えを思い出しています。
 それは、"Sharing"という言葉であり、それは、我々は人間同士だけでなく、動物も自然もすべてが共存し、このLandをShareしているということです。
 この言葉は日本語で言えば、「融和」、「和」ではないだろうか。
 日本人は、古より、生きとし生けるものすべてのものが共存することを願って来ました。
 それ故、すぺてのものに神が宿るとも信じてきたのです。

 すべてのものが調和を持って共存することが、「和」の意味するところではないだろうか。
 
 私は、この一年を、宝石の詰まった宝石箱のGIFTだと先に言いましたが、その心、エッセンスは、Kindnessであったり、和であったような気がしています。

 これからの私の一年はどんなものだろうか。いままでどおり、夢追(老)人として、夢を追い続けることに変わりはないにしても、どのような先が待っているのだろうか。
 
 そんなことに想いを巡らしながら、私は、ビートルズの次のような一節を聞きながら、心を癒されていました。

The long winding road
That leads to your door
Will never disappear
I've seen that road before
 
It always leads me here
Lead me to your door
-THE LONG AND WINDING ROAD-


For though they may be parted
There is still a chance that they will see
there will be an answer
Let it be

Let it be, let it be
Let it be, let it be
Yeah, there will be an answer
Let it be
-LET IT BE-
 







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2 コメント

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Unknown (Sarai)
2014-12-20 13:44:55
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Unknown ()
2014-12-20 22:50:53
Sarai
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