モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

紹介 写真家 入江泰吉 Semester1(前期)の終了

2014-06-19 03:00:02 | 今日を旅する
紹介 写真家 入江泰吉   6月17日 Semester1(前期)の終了

 前期の授業が先週で終わり、今ほっとしているところです。
 前期は7月4日まで組まれていますが、Assessment(課題)の提出が先週ですべて終わったため、学校へ行かなくてもよくなったからです。私もほとんど完了し、一部の写真データをメールで送るだけになり、後は6 月26日に、Semester2へ向けてのクラス編成の説明会のため学校へ行くだけです。
 それにしても、Assessmentには四苦八苦しました。その甲斐あってすべてクリアーすることができました。
 振り返り数えてみると、22の課題があり、さらに一つの課題の中にも複数のものもあるため、さらに沢山の課題をやらなければなりません。それは写真家のリサーチであったり、自分のイメージの提出であったり様々ですが、皆の前でのプレゼンテーションが多く、他の若い生徒たちのイメージも沢山みることができ、彼らの感性を知る良い機会となり、勉強にもなり楽しみも多いものでした。
 私はその課題の一つで、" Japanese Religion or Japanese Mind"と題するTopicでプレゼンテーションをしたものがありました。
 それは私が若い頃好きだった写真家「入江泰吉」と彼のテーマとしていた「大和路」とその写真を紹介し、日本の原風景とJapanese Religion or Japanese Mindについて説明し、自分のイメージを紹介する内容でした。それは次のとおりでした。

1 私の選択した主題と写真家
 主 題 宗教と日本の心 
 写真家 入江泰吉 1905~1992
 経 歴
 彼は特に大和路(歴史的な奈良地域)や仏像の写真に全力を注いだ写真家でした。
 入江は、1905年奈良で生まれました。
  彼は、兄の影響で、10代で写真を始めました。 
 そして、1925年、大阪の写真店で働き始めました。その後、 大阪で、彼自身の会社光
 芸社を立ち上げました。その社は、写真用品を売るとともに、製品づくりと広告写真
 を制作していました。
 1939年に、彼は、文楽の写真を撮り始め、1942年には、大阪で、文楽人形についての
 最初の個展を開きました。
 大阪の自宅が、1945年に、空襲により、消失しました。そのため、彼は奈良の実家に
 逃れることになりました。
    彼の仏像の写真が、1940年代始めに出版されました。 そして、1958年にはこれらの
 一連の写真集を出すことになり、それによって成功を収めることになりました。
    1992年に亡くなった後、その年に、その大きな功績により、彼の作品を奉納するため
 の写真館、奈良市写真美術館が、設立されました。  
     
2 作品の対象とコンセプト、感性
    対象
       大和路、仏教
       仏像,文楽
       大和路は日本の最も古い都の風景を言います。
   感性
  それは、日本の原風景と日本の心を感じる情緒を持っていました。 
  彼は、詩的で、神々しい風景、彫像そして肖像として、それらのイメージを撮ること
  を探求してきました。
  また、彼はいつも、風景写真を、静かな感傷とともに描写しました。それは、雨、雪、
  霧、雲などを効果的に使っていました。
       そのため、彼の一番の友であった杉本健吉によって、彼は、ウエット入江と呼ばれ
  ていました。

3   大和はどこか?


 
  大和 (現在の奈良) 
         
  “大和は大いなる平和、調和を意味しています。”
             大和時代         AC  300-600
             飛鳥時代         AC 600-709
             奈良時代         AC 710-719
  “和は、日本の古代の17条憲法に由来しています。609年制定の憲法."
  “一に曰く、和を以て尊しと為す”

4 彼のイメージ







5   日本の宗教、日本の心は何に由来しているか?
     彼のイメージは、神々しい美を示しています。
     私は、それは、日本の原風景であり、日本の心そのものであると思っています。
  それは、風景、仏像、や文楽などに宿っている真の魂、神性を有しているように思わ
  れます。
     すなわち、それらのシーンや姿は、日本の原風景、日本の心を象徴しています。
     なぜなら、日本人は、生きとし生けるものすべてのものに対して、たとえ、それが風景
  や、仏像、人形であったとしても、深く敬ってきました。
  それが、日本の宗教、心の態様の中に根づいている理由です。

6   私のイメージ - 伊勢






     結論
  日本人は、いにしえより、自然や、すべての生き物に尊敬の念を抱いてきました。
       それが、すべてのものに神が宿ると信じてきた理由です。
    簡潔に言えば、それは, 和を意味し、和は、すべての存在と自然との調和、融和を意
  味して います。
       日本人は、いつも、 “もったいない”“ありがたい" “いただきます” “神がかり” 
  “神隠し”と言います。
      私は、それらの言葉は、日本の宗教、日本の心そのものを、表現したものであると思
  っています。
      それで、私自身も、そのような神々しい美しさを表現したいと思っています。
  





 私はこのプレゼンテーションによって、仲間たちに少しはJapanese mind の一端がわかってもらったのではないかと、その時確信しました。
それは、彼らから“もったいない” “ありがたい” “いただきます” “神がかり” “神隠し”といった言葉が発せられたからです。
 それで、私は“いただきます”の言葉の意味が、生き物たちの命を食することに対しての感謝の気持ちを、表した言葉であることを説明すると、彼らは一層、Japanese mindの理解を深めてくれたようでした。







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