写真留学の旅から帰還してー個展「夢のあとさき- 写心への旅」
人生百年時代、定年後にも第二の人生があります。
このブログに綴った日記は、それを実践した私自身の、オーストラリアのパースへ写真留学をした記録である。
振り返ると、この写真留学の旅は、2012年8月31日にスタートしました。
それは、1971年4月から2012年3月までの41年間勤めた市役所を退職した後に思い立った新たなチャレンジ、冒険への旅立ちだった。
それを思い立つに至ったのは、その一年前に起きた東日本大震災による先の見えない未来を思い、自分の人生を今一度見つめ直したことが一つの契機となった。
しかし、何よりも、それをあと押したのは、若い頃からの写真への愛であり、好きな写真を基礎から勉強し直したいとの強い思いからでした。
そして、西オーストラリアの州都パースの州立職業訓練学校(TEFE)で、四年間、若い人たちと、英語と写真の勉強に専念した。それと同時に、「モー吉のパース留学悠々絵日記」と名付けたブログを始めることとなりました。
そして、その最後の年、この留学を受け入れてくれたパースの街とそこに住む人々への恩返しとして、フォトブック「夢のあとさき-パースの落書 」を献呈しました。
この道のりを終えた 今、私は写真の神様に心から感謝しているところです。
なぜなら、この留学での経験、とりわけ写真によって、世界と日本、そして 人間をより深く理解することになったと確信しているからです。
そして、今、長年の 「写真とは何か」との問いに対して、その答えに辿り着くことができました。「写真とは写心である」と。
そして、その旅は、八年ほどを経過した2020年2月、コロナ禍とともに、終止符を打つこととなりました。
そして、古希を過ぎた今、この貴重な私の第二の青春時代を振り返るとともに、この体験を皆さんに共有していただくため、初めての個展「写真留学作品展ー夢のあとさき 写心への旅」を開催することを決心しました。
この作品展は、これまで写真のカタチを追い求めてきた私自身の旅の「夢のあとさき」でもあります。
そして、この作品展は、私の写真留学で生み出された作品群がベースになっています。
この展示「夢のあとさき-写心への旅」は、60点余りのイメージからなり、主に六つのシリーズ作品から構成されています。
思うに、個展「夢のあとさき」の奥底に流れる通奏低音は時間の調べである。すべての作品は、時間の調べの導くままに、光と影によって刻印された残像の化石群で綴られた映像詩である。
これらの時の残影を、ある人は、「夢のあとさき」と言い、ある人は「残された憧憬」と言い、またある人は「百代の過客、時の旅人」と言い、そして、またある人は"The long winding road"とも言っている。
シリーズ作品「夢のあとさき- パースの落書」は、パースの街のストリートを舞台にミュージシャンやパフォーマー達が繰り広げた夢の行く末とその痕跡を綴った叙事詩である。今回の個展の中では、20枚のイメージによって、そのストーリーを組み立てている。
その中には、純潔無垢の少女をはじめ、若者、老人、ホームレス、路上の哲学者、車椅子の人などなど様々な人が登場している。
彼ら各々は、時空を超えた同じ人かもしれない。すなわち、この作品は、個々の人間達の歴史の一コマ一コマの残像を紡ぎ合わせた、彼らの歴史の黙示録と言っても良いだろう。
シリーズ作品「バベルの塔」は、旧約聖書の逸話をモチーフにした、人類の歴史を八枚の高層ビル群のイメージによって、ダイジェストに綴った黙示録的な作品である。
この作品は、パースのどこまでも澄み切った青空に、突き刺さったように聳え立つ高層ビル群を間近に見、光と影の陰影から黙示され、思い浮かんだストーリーである。
この作品については、二人の女神から想いも浮かばなかった啓示をもらい、痛く感じ入りました。それは、雲の情景を見て、一人には、鳳凰が見えたと教えられ、また、もう一人は、女神、イングリットバークに見えると教えられました。その啓示のあと、確かに、私にもそう見えました。人の心の有り様によってイメージが広がるのは良いことなので、有難い啓示でした。
このシリーズは、人類の創造と崩壊の歴史を黙示したもので、最後のイメージでは、崩壊するビル群と人類の叫びをイメージングしました。二人の女神達が、そこに、鳳凰と女神を見たのは、人類の叫びの中に、崩壊を救ってくれる救世主の出現を願う心の有り様が、そのような心象風景として啓示されたのではないだろうか。
シリーズ作品 「道 Road」は、パースのあるストリートを俯瞰して見た情景の中にうごめく影絵のような人間たちの映像に触発されて創造した作品である。
また、その創造にあたっては、その情景を見たときに思い浮かんだ芭蕉の「奥の細道」の一節、「月日は百代の過客にして、行き交う年も、また旅人なり」との世界観に触発されました。この世界観によって、私は、この作品の中で、「人間もまた、時間のように旅人であり、その旅路は永遠に続く奥の細道である」との一つの世界観を創り上げることを試みました。
この作品の中で、ストリートは人間が永遠に夢を追い続ける「時間の道」を表しており、また、そこに投影された影絵のような残像は、時の調べによって刻印されたそこに存在する人たち各々の歴史の一コマ一コマを表しています。
また、この作品のイメージ作りにあたっては、黒白イメージの濃淡によって、墨絵のようなイメージ作りを試みました。
そして、また、この作品作りで、最も重要だったのは、そのストリートに長い影をを落とし、投影する季節と時間を発見することでした。そのチャンスは、年に1日か、2日しかなく、しかも、それは、冬の日の沈む直前の数秒しか無いことを知りました。そのため、その瞬間を捕らえるのに、三年の歳月を要しました。
シリーズ作品 失われた時間
この作品は、ある廃墟を旅した時、そこに存在する過去。現在、未来の時の調べに導かれて、そこで実感したイメージの数々、廃墟と化し、アーバンアートで彩られた貝殻のような不気味な姿、繁栄していた過去の蜃気楼、そこに巣食う亡霊たち、また、やがて朽ち行くであろう未来の姿などなど。
この作品は、それらを10枚の時の残影にイメージングし、過去、現在、未来を思い描いた抒情的なストリーである。そのため、このストリー仕立ての作品の創造にあたっては、多重のイメージづくりを採用し、最後の黒白のイメージでは、やがて訪れるであろう廃墟の崩壊の瞬間を雲海と光り輝く光彩で表現し、それらによって、時空を超えたストリー創りを試みた。
シリーズ作品 残された憧憬-青写真
私は、この青写真の作品において、「残された憧憬」を表現しようと試みました。
私はそれを京都の風景やそこに残る日本の典型的な存在の中に発見しました。そこには、今なお、多くの伝統的なしきたりや生活様式が残っています。
私がそれらの存在に強く惹かれるのは、それが単に遠い日の記憶だけではなく、今もなお連綿と続く存在として残されており、それらの中に潜む日本人の心、情緒を感じるからです。
それは、例えば、由緒ある神社やお寺の佇まいであったり、町家と呼ばれる伝統的な家屋や、古くから受け継がれている祭りであったりします。舞妓もまた、正にそれをもっとも体現している存在であり、日本的な美とおもてなしの精神の象徴でもあります。
それらのひとつひとつが、一度、柔らかい太陽光や月光に包まれた時、それは、私に、おぼろげなイメージと一緒に、懐かしい雰囲気をもたらします。
そして、また私の心に愛しい古い記憶を呼び戻します。
今回、この作品において、ぼやけたイメージと青写真の方法によって、それらの存在たちの中に隠されている「残された憧憬」を創り出そうと思い立ちました。
それは、写真のイメージのなかに、この「残された憧憬」を表現するには、この二つの表現方法がもっとも適していると、確信したからです。
この作品は、10枚ほどのイメージにより構成されています。私が撮り集めていた京都の写真を素材として「残された憧憬」を表現したシリーズ作品です。
プロセスは、まず、デジタルデータをPhotoshopでネガティブフィルム化します。
プロセスは、まず、デジタルデータをPhotoshopでネガティブフィルム化します。
次に、、二種類の化学液から作った感光液をペーパーに塗り、印画紙を創ります。
この二つの過程を経た後、A4サイズのネガティブフィルムとその印画紙を重ね、太陽光か、暗室で光線をあて印画した後、その感光した印画紙を水で洗い流すと、青色のイメージが浮かび上がってきます。最後にそれを乾燥室で乾かすと、青写真が完成します。
シリーズ作品 幻想の舞妓-もののあわれ
この作品は、10枚の舞妓のイメージにより、「もののあわれ」の心を表現しようと試みたものです。
それは、日本人の心、精神構造の一つであり、日本人の審美観、美への繊細な感受性を表し、物事や季節などによって呼び起こされるしみじみとした感情、情緒を意味しています。
日本人は古から、自然やすべての存在の美しさと儚さへの尊敬の念を抱いてきました。それは、すべてのものが永遠ではなく、儚く散るものであり、そのことさえも、素直に受け入れ、そのような存在のすべてに感情移入して、愛で親しむ姿勢を意味しています。 ここにあるすべてのイメージは、この「もののあわれ」を表現するために、ぼやけた動きのあるイメージとして捕らえています。それによって、それらが永遠ではなく、儚い存在であることを表しています。
そして、この作品は、幻想的な無常の世界、散りゆく桜のような、儚くも美しい存在の世界を表すこととなるだろう。
思えば、この個展は、コロナの風の吹き荒れる真っ只中 の開催となりましたが、折しも雪の降る日々と重なり、その純白のベールがコロナの重苦しい世界を覆い隠し、また、雪の中足を運んでくれたたくさんの女神と戦士達の温かい応援に支えられ、何とか無事に終えることが出来ました。
本当にありがとうございました。
特に、私の役所時代、共に戦った多くの戦士達、思いがけないほどのたくさんの人たち、それは、大先輩の方、先輩、後輩、同僚など様々でした。
皆さんありがとうございました。
そして、第二の人生に私と同じ写真の道を歩んでおられる大先輩の老戦士達。
ありがとうございました。これからもご指導ください。
また、写真愛好家の多くの女神と戦士達、個展では、様々な感想をいただきありがとうございました。これから共に写真の奥の細道を探求していきましょう。
そして、この個展の最初の来場者であったうら若き女神、彼女はライブカメラマンの卵とのことでした。彼女は枚方市からライブ撮影のため、名古屋を訪れたその日、玄関のポスターの写真に惹かれて来場したということでした。
ありがとうございました。これからのご活躍を陰ながら応援しています。
そして二日目、その日の朝刊の記事を読んで、馳せ参じて訪れてくれ、笑い顔を振りまいてくれた美人姉妹の女神、ありがとうございました。彼女らの笑い顔は、オーストラリア娘たちの人懐こい笑い顔を思い出し、とても懐かしく感じました。ありがとうございました。
そして、笠寺観音で奉納の舞を披露している舞姫の女神の方。彼女は、雪の降りしきる日曜日、わざわざ足を運んでくれました。その時は、正に女神が、雪とともに舞い降りてきたかのように感じました。ありがとうございました。
彼女は、笠寺観音の縁日で、毎月、美しい祈りの舞をバイオリンの調べにのせて舞ってくれて、私を始め多くの参拝者の心を癒してくれています。
そしてまた、パースと接点を持つ多くの女神と戦士達が来場してくれ、懐かしい話がはずみ、楽しい時間を持つことができました。
ありがとうございました。
ここで、全ての来場者に感謝の言葉を述べつきることはできませんが、それは、またの機会にということで、お許しをください。
これで、私の初めての個展は幕を閉じる事になり、今、寂しさが込み上げてきています。
次に、運命の調べとともに 個展の扉が開くのはいつになるだろうか。また、扉の向こうはどんな景色が待っているのだろうか。
ドラえもんのどこでもドアの如く、扉の向こうには、全く新しい景色の世界が出現するのだろうか。
そんなことも考えながら、今もまだ、個展の余韻に浸っています。
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