オーストラリアへの旅の始まり Part4 2011年8月
ピナクルズ
ピナクルズは「尖塔」を意味します。
見渡す限りの砂漠に何千本という奇岩の塔が林立する風景は圧倒的な存在感だ。
「荒野の墓標」と呼ばれるにふさわしい光景をみせており、人間のイマジネーションを駆り立てるオーラが一面に漂っている。
ピナクルズは「尖塔」を意味します。
見渡す限りの砂漠に何千本という奇岩の塔が林立する風景は圧倒的な存在感だ。
「荒野の墓標」と呼ばれるにふさわしい光景をみせており、人間のイマジネーションを駆り立てるオーラが一面に漂っている。
かつて海だったこの地に貝殻が積もって石灰岩質化した土台ができ、その上に木が根をはり、土台を浸食。やがて木々は朽ち果てたが、土台と根が残されたものだという。
現在もその風化は進み、その姿は今も変わりつつある生きた墓標である。
計り知れない時間が創り上げたピナクルズの生成の秘密は、本当は誰も知らない。
早咲きのワイルドフラワーが我々を歓迎してくれました。
この「荒野の墓標」の前に立つと、自然と「ごくろうさま」という言葉が出てしまいます。
この4メートルにも及ぶ墓標は我々に何を語りかけたいのだろうか。
ここが一面海であったときのことか
海が隆起し、その上に木々の森が鬱蒼と茂っていたときのことか
やがて、何かの原因で、森が消えうせたときのことか
そして、彼らは、今、化石となって、ここに存在している。
彼らは、お互いに自分たちの境遇を語りかけるように、見つめあっていました。
墓標群の周りをワイルドフラワーの緑が囲み、その彼方には、白い砂丘がこの地を守るかのように取り囲んでいました。
かつて墓標が林立していたが、今は風化して何も残らない砂漠
墓標の前には、オーストラリアの国鳥エミューの足跡が残っていました。
そして、今回訪れたピナクルズの圧倒的な風景の中に立ち、私は妄想の世界に引き込まれていった。
荒野の墓標と呼ばれているこれら無数の樹木の根の化石群こそ、宮崎 駿さんが、「腐海」として描き、その中に林立して浄化の役割を果たした生物群の残骸ではないのか。
荒野の墓標と呼ばれているこれら無数の樹木の根の化石群こそ、宮崎 駿さんが、「腐海」として描き、その中に林立して浄化の役割を果たした生物群の残骸ではないのか。
「腐海」とは毒素で汚染された世界ではあるが、そこで生存する生物たちの浄化能力により、
その「腐海」世界の深部では、毒素が浄化された清浄な世界が創られているという。
その「腐海」世界の深部では、毒素が浄化された清浄な世界が創られているという。
その浄化された世界こそが、図り知れない時の経過を経て、今、現在、地上に現れているこの大地ではないのか。
そして、ここに立つ墓標群が、「腐海」の毒素を浄化し、この上ない清浄な大気を創り上げ、その役割を終え、死んでいった生物群ではないのか。
私は、ピナクルズの墓標の前に立ち、自然と「ありがとう」という言葉が出たものです。
この記事の続きは、最初の投稿記事(2012年)に遡ります。
このブログ日記は、2012年からの留学から始めました。この記事"オ-ストラリア旅のはじまり"の1-4は、その前の2011年8月のオ-ストラリアへの最初の旅の記録であり、言わば留学の序章といった位置づけです。今回のブログの引越しに際して、当初載せていなかったこの四つの記事を載せることにしました。それで最近の投稿記事になっていますが、内容は、この日記の序章部分で一番古い旅の記録です。従って、カテゴリ-としては、"あの日を旅する" としています。