忘れないうちに記しておこう。俺の生い立ちを。
気づいたらこの世にいた。
まあ、当たり前か。
幼稚園のときはとにかく美人な先生のおっぱいを揉んでいた。
この頃から俺はおっぱい星人だったのである。
もしかしたら、このときすでに
「マロ」と呼ばれることが
運命づけられていたのかもしれない。
知り合いにファミコンをもらい、ハマった。
ドラクエⅢとマリオブラザーズ3をやっていた。
ドラクエは意味がわからないのでやめた。
ここから俺のドラクエ嫌いが始まる。
マリオはすっごく面白かった。
小学校は学芸大附属大泉小に入った。
別に俺が決めたわけじゃない。親が決めたのだ。
地元の公立は当時荒れていたため、
親が心配して国立にしたそうな。
うちの小学校は試験を受ける前と受けた後に抽選がある。
それで当たりを引かなければ次へ進めないのだ。
だから試験に受かっても外れを引いたら
そこでおしまいなのだ。
我が家は親父が引いた。当然、当たりだった。
きっと親父はここで一生分の運を使い果たしのだろう。
そうでなければ、
その後の転職で収入が減るなんていうことはないはずだ。
俺はとにかく明るくて元気だったと思う。
まわりは面白いやつらばかりで、
倉田や塩田ともこの頃からすでに仲がよかった。
俺は色が白く、童顔だったので女の子と思われたのだろうか、
それともただ単にショタコンにウケたのかはわからないが、
電車の中ではしょっちゅう痴漢に遭った。それも男。
親の影響で映画はよく見ていた。
暇さえあればテレビとゲームだった。
常に「映像」と共にあったわけだ。
小4のとき、
『ファイナルファンタジーⅥ』をプレイして、感動した。
これを作っている会社に入ろうと決意した。
そもそもこれを買った理由は遠藤にある。
当時、最も仲の良かったあいつが
別の友達とFFⅥについて話しているのだ。
持っていない俺は会話に入れない。
それが悔しくて買ったのである。
今ではこの出来事に感謝している。
これで俺のFF好き、スクウェア好きが始まったのだ。
小さい頃からやっていた水泳のおかげで、
体育の水泳の授業は楽しかった。
『スラムダンク』に影響されてバスケを始めるものの、
かずまやがっしーにいじめられて、やる気を失くす。
でもバスケは好きだった。
中学はそのまま学芸大附属大泉中に進んだ。
小6のとき、倉田と寺山と俺の3人で
中学受験の模試を受けた。試しにね。
そうしたらうちの中学の合格率が5%だった。
後で外部から入ってきた人の話を聞いたのだが、
俺らの代は男子の倍率が11倍だったという。
すげーなと思ったよ。外部の人たちを。
ほとんどの人は小学校からいっしょだったから、
ホント小学校の延長のような感じだった。
俺は英語の波多野先生が好きだった。
褒めて伸ばすタイプだったのだろう。
やればやるほど褒めてくれた。
だからノートとかバカみたいにこだわったし、
教科書の暗唱とかBGMつけたりしたから。
そのおかげで「殿堂入り」という謎の称号をもらった。
この頃からモノ作りに対するこだわりの片鱗は
見えていたのかもしれない。
そして高校受験。
まわりは学芸大附属高校を志望していた。
もちろん俺も。
ただ俺は「みんなが行くから」という理由だったように思う。
てか、うちの中学入った時点で、
ほとんどの人はそのまま高校受ける流れになると思うけど。
俺は案の定不合格。
そりゃそうだ。
受験勉強中も映画見て、ゲームやってたから。
5教科なのに理科と社会はノータッチ。
でも俺は密かに早稲田に入りたかったりもしていた。
早稲田高等学院は偏差値的に無理だったので、
早稲田実業の商学科を受けた。
これも落ちたけれど。
なんで早稲田なのかはわからない。
なんとなく早稲田がいいと思っていたし、
早稲田に入りたかった。
おそらく中学の校長先生の影響だろう。
もうおじいさんなのにも関わらず、
水泳大会やマラソン大会に出まくっているその姿は
とても好印象だった。
そんな校長先生が退任するとき、
「私は早稲田大学に行きます。
いいところなので、ぜひみなさんがんばって来てください」と
おっしゃっていた。
しかし早稲田も不合格。
すでに私立の高校は2つ合格していたが、
どうも行く気がしない。
んで、学費が安いからという理由で都立を受けさせられた。
俺のまわりに都立を受ける人はほとんどいなく、
正直下に見ていた。
一応、学芸と早稲田に向けて勉強していたため、
都立の問題はクソ簡単で、当日も満点近かった。
それで俺は都立青山高校に通うことになったのだが、
行く気がなかった上に、まわりの人のカラーが
学芸と大きく異なっていたために、
そこまでうまくなじめなかったように思う。
高校時代はとにかく部活で、水泳を続けた。
水泳部は楽しかった。
特に先輩たちとの付き合いが。
同期の仲は最悪。特に男子。
原因は俺らしい。
夏休みは毎日練習である。
でも俺は中学までのときと同じ様に
代ゼミの夏期講習に通った。
それが同期の勘に障ったようだ。
まったく悪いことをしているわけではないので、
正直俺がムカついたぐらいだ。
結局、仲のいい先輩が引退すると同時に俺もやめた。
後輩には興味がなかったし、同期はどうでもよかった。
水泳は好きだったが、あの部にいたくなかった。
だからやめた。
そして大学受験。
当然、早稲田を受けた。文系5学部全部。
あと慶應の文、商、経済。
そして滑り止め2つ。
ろくに勉強もせず、ゲームしかしてなかったため、全敗。
浪人の道を歩むことになった。
最初からそこまで現役には
こだわっていなかったのかもしれない。
なんとなく浪人するんだろうなぁと思っていた。
だから全部落ちてもそこまで悔しくなかった。
浪人時代は河合塾の池袋校に通っていた。
人との接触はなるべく避けた。
自分の力だけでがんばろうと思っていたからだ。
余計な馴れ合いは身を滅ぼすものだと考えていた。
ゲームも自分で封印したものの、映画は見ていた。
でも、それなりに勉強したと思う。
授業開始の1時間前に教室に着いて自習をしていた。
まわりにもそういう人がたくさんいたから、
いい刺激になった。
夏休みはグダグダしていたけれど、
秋は朝から晩まで塾の自習室で勉強していた。
相変わらず早稲田大学に行きたかった。
だから文系5学部すべて10年分の過去問を解いた。
慶應なんて行きたくなかった。
でもそのブランドに惹かれて経済と商だけ受けた。
後は滑り止めを3つ。
結果、早稲田は全敗だった。
この1年早稲田のためだけに勉強したのに。
あのときはマジで自分を呪った。
特に絶対イケると信じていた商学部の受験日、
いつもできていた英語がその日に限ってできなくて、
帰ってから自分に対する苛立ちのあまり携帯を2つに折った。
あのとき、俺には執念があった。
なんとしてでも早慶に入ること。
中学の友達はみんな一流大学に行った。
ここで俺も最低でも早慶に入らなければ、
絶対にバカにされると思い、
この身が滅びようとも
早慶どっかには喰らいついてやると思っていた。
やはり早稲田がよかったが、もう慶應でもよかった。
その執念のおかげか慶應の商学部だけ受かった。
受験当日、試験が終わった後、諭吉像の前で
「もう2度と来ることがありませんように」
とお祈りしたにも関わらずだ。
しかも過去問も4年分ぐらいしか解いてない。
でも受かった。
こうして俺は俗に言う慶應ボーイとなったのである。
慶應生はチャラいというイメージがあったが、
半分当たってて、半分外れているなというのが
実際に慶應に入学して思った正直な感想かな。
まずはサークルに入ろうと思うのだが、
浪人の1年はろくに人と話していなかったので、
自分一人で入るのが怖かった。
そのため知り合いがいるサークルに入ろうということで、
布施のいるバドミントンサークルに入ることにした。
しかしまわりにいる人やサークルのやり方などが合わず、
すぐに行かなくなった。
あとはずっとバイト。ジュンク堂で。
オープニングスタッフだったので先輩・後輩がなく、
とてもやりやすかった。
みんないいやつらばっかで親しみやすかったから、
書店業務に興味があったわけではないが長続きした。
2年になって水泳サークルに入った。
やっぱり大好きな水泳を続けたいと思ったからだ。
バイトが忙しくてそんなに練習出れたわけではないけれど、
みんなノリがよくて面白くて、
それでいて好きな水泳ができるのだからいい環境だった。
ここで知り合った先輩がきっかけとなり、
俺は次の3年でとあるエグゼミに入ることになる。
中条潮研究会。
やってる内容はまっっったく興味なかったけれど、
先輩たちの優しい人柄に惹かれて入ることを決意。
斉藤のマーケティングと迷ったが、人で選んだ結果である。
マーケティングは興味があるので、
自分でも勉強できると思った。
俺は興味のあることは自発的にやる方なので。
それがアドベンにつながるのだが。
このゼミのいいところは、
人の個性を大事にしているところかな。
俺は三田論は特にがんばったわけではないけれど、
なんだかんだでみんなそんな俺を許容してくれている。
そして怒涛の就職活動。
これまで書いてきたように、「映像」に興味があった。
FFⅥがきっかけとなって、
人を感動させるものを作りたいと思うようになった。
それができる仕事がしたいと思っていた。
だから最初はゲームクリエイターを目指していた。
でも年収とか社会的地位とかも気になりだした。
うちはそこまで裕福ではないので、
お金に対する執着心はあったと思う。
浪人生の頃から何となく意識していた就職活動。
だからといって特に何かしていたわけではないけれど
(何かやっとけばよかったと思っているけど)、
気づいたら広告代理店は志望していた気がする。
でも「みんなの就職活動日記」で
テレビ局の年収が高すぎることを知り、
一気に志望業界は変わった。
テレビ局の中で順位があったわけではないけれど、
やっぱり映画も好きだったので、それに力を入れていて、
なおかつドラマが面白かったということで、
フジテレビが第一志望だったかな。
ずっとテレビ、広告の志望順位は変わらなかった。
ただ自己分析していく中で、
「自分はどういう人生を送りたいか」
という最終地点を軸に
「自分の好きなもの・興味のあるものに関わっていたい」
という答えが出て、
そこからテレビ、広告に加えて、メーカーが挙がった。
なおかつ「モノ作り」がしたいという想いもあった。
メーカーもいろいろあるけれど、
会社の雰囲気や
そこで働いている社員の人柄や知名度も参考にして、
業界選びというよりは完全に企業選びになり、
バンダイ、サントリー、資生堂などが挙がった。
あとはスクウェア・エニックス。
これはまたベクトルがちょっと違ったな。
俺の価値観を変えたわけだから。
特にバンダイは俺の好きなものも扱っている上に、
モノ作りができ、
さらに働いている人の人柄もよく、
「人々を感動させたい」ということを目標にしていて、
会社の雰囲気もよかったので、
俺にとってのベストプレイスとなっていた。
年収は下がるけれども、
ある意味フジテレビよりも志望度は高かったかもしれない。
テレビ局はモテるし、金もいいけれど、
忙しすぎる上に会社の雰囲気がガツガツしすぎていて、
俺に合わない気もしていた。
モノ作りも場合によってはできなさそうだし。
採る人数も少ない上にコネもたくさんあるので、
あまり現実的ではなかったかもしれない。
結局ESから数えてちょうど半分のところで切られた。
しかし同時にバンダイにも切られ、
スクウェア・エニックスに至っては性格検査で切られた。
フジはまあいいとしよう。
自分でも向いてないかもと思っていたし。
スクエニの性格検査もまだ何とかあきらめられる。
だってWebだもの。あっけなさすぎてどうでもよかった。
ショックだったけれどね。
しかしバンダイは二次面接まで進んでいたため
本当にショックだった。
女の子にフラれた気持ちとまったく同じだった。
俺の本心でオリジナルの気持ちを素直にわかりやすく伝え、
こう言うと勘違いと思われそうだけれど、
本当に絶対合ってると思ったし、イケると思った。
性格検査で切られたとしか言いようがない。
自主留年して
1年後にチャレンジしようかどうしようか迷った。
好き嫌いがはっきりしている俺は、
他に代替が効かないのである。
人で選ぶという軸もあるけれど、
正直、企業には多くの人がいるから合う人もいるし、
合わない人もいるのだ。
だからあまり参考にはならない。
自分が見た数少ない人から判断するしかないのである。
友達が
「面白い人とやればつまらないものでも面白くなるし、
つまらない人とやれば面白いものでもつまらなくなる」
と言っていた。
基本的に一度好きになったものは嫌いにはならないし、
好きだったらつまらない人がいても平気だろうと思った。
でもこれまでを振り返ってみるとそうではないかもしれない。
高校の部活、水泳大好きだったのに、
まわりがつまらないから水泳もつまらなくなってやめた。
ゼミ選びも興味のあったマーケティング、
人が合わなさそうだったのでやめた。
反対に今のゼミは、
やってることは俺にとってつまらないものであるが、
まわりが面白いので、まあいまだに興味は無いけれど、
なんとかやっていける。
そう考えると、
興味のない企業でもまわり次第かなと思い始め、
今ではどこでもいいやー的な流れになっている。
「いっしょにやる人も大事」というのが
新しい軸となって現れた。
というよりもともとあったのかもしれない。
好きなものや興味のあるものを仕事にするといっても、
まわりの人がいい人で自分に合うというのが
大前提でのことだったのかもしれない。
やってることも興味あって、
まわりもいい人ばかりという点で、
アドベンは楽しかったし、
バンダイはベストプレイスであった。
まあ終わってしまったことだから仕方ないけれど。
そんなこんなで、「好きなこと・興味あること」、
「モノ作り」、「人」を主軸に
「知名度」、「年収」などを考慮して
うまく選考が進んだところが、
俺の行くべき場所なのだろう。
ヒト、モノ、カネの3つのうち、
2つがダメになるとその仕事をしたくなくなると、
任天堂のOB訪問したときに言われた。
確かに。
いっしょに働くヒトがよくても、
扱っているモノが興味なくて、給料も低かったら、
働く気を失くすだろう。
自分の好きなモノ扱ってても、
給料が低くて、職場のヒトと合わなかったら、
働きたくなくなるだろう。
給料が高くても、
職場のヒトと合わず、興味ないモノ扱っていたら、
つまらない仕事だろう。
どれか2つが満たされていれば、きちんと働ける。
どの企業に入るにせよ、
とりあえず5年は修行だ。
次の5年で実践。
仕事を楽しもうと努力する。
目的はバンダイかスクウェア・エニックス、
もしくは映画やテレビ局への転職。
そうやって10年経って、
まだ行きたかったら、そこに中途で入ろう。
リベンジを一応の目的とする。
高2のときも去年の6月もリベンジを誓ってがんばって、
気づいたら忘れていたので、また同じようになるのだろうか。
まあ人と会社は違うけれどね。
これからどんな物語が書けるか楽しみである。
気づいたらこの世にいた。
まあ、当たり前か。
幼稚園のときはとにかく美人な先生のおっぱいを揉んでいた。
この頃から俺はおっぱい星人だったのである。
もしかしたら、このときすでに
「マロ」と呼ばれることが
運命づけられていたのかもしれない。
知り合いにファミコンをもらい、ハマった。
ドラクエⅢとマリオブラザーズ3をやっていた。
ドラクエは意味がわからないのでやめた。
ここから俺のドラクエ嫌いが始まる。
マリオはすっごく面白かった。
小学校は学芸大附属大泉小に入った。
別に俺が決めたわけじゃない。親が決めたのだ。
地元の公立は当時荒れていたため、
親が心配して国立にしたそうな。
うちの小学校は試験を受ける前と受けた後に抽選がある。
それで当たりを引かなければ次へ進めないのだ。
だから試験に受かっても外れを引いたら
そこでおしまいなのだ。
我が家は親父が引いた。当然、当たりだった。
きっと親父はここで一生分の運を使い果たしのだろう。
そうでなければ、
その後の転職で収入が減るなんていうことはないはずだ。
俺はとにかく明るくて元気だったと思う。
まわりは面白いやつらばかりで、
倉田や塩田ともこの頃からすでに仲がよかった。
俺は色が白く、童顔だったので女の子と思われたのだろうか、
それともただ単にショタコンにウケたのかはわからないが、
電車の中ではしょっちゅう痴漢に遭った。それも男。
親の影響で映画はよく見ていた。
暇さえあればテレビとゲームだった。
常に「映像」と共にあったわけだ。
小4のとき、
『ファイナルファンタジーⅥ』をプレイして、感動した。
これを作っている会社に入ろうと決意した。
そもそもこれを買った理由は遠藤にある。
当時、最も仲の良かったあいつが
別の友達とFFⅥについて話しているのだ。
持っていない俺は会話に入れない。
それが悔しくて買ったのである。
今ではこの出来事に感謝している。
これで俺のFF好き、スクウェア好きが始まったのだ。
小さい頃からやっていた水泳のおかげで、
体育の水泳の授業は楽しかった。
『スラムダンク』に影響されてバスケを始めるものの、
かずまやがっしーにいじめられて、やる気を失くす。
でもバスケは好きだった。
中学はそのまま学芸大附属大泉中に進んだ。
小6のとき、倉田と寺山と俺の3人で
中学受験の模試を受けた。試しにね。
そうしたらうちの中学の合格率が5%だった。
後で外部から入ってきた人の話を聞いたのだが、
俺らの代は男子の倍率が11倍だったという。
すげーなと思ったよ。外部の人たちを。
ほとんどの人は小学校からいっしょだったから、
ホント小学校の延長のような感じだった。
俺は英語の波多野先生が好きだった。
褒めて伸ばすタイプだったのだろう。
やればやるほど褒めてくれた。
だからノートとかバカみたいにこだわったし、
教科書の暗唱とかBGMつけたりしたから。
そのおかげで「殿堂入り」という謎の称号をもらった。
この頃からモノ作りに対するこだわりの片鱗は
見えていたのかもしれない。
そして高校受験。
まわりは学芸大附属高校を志望していた。
もちろん俺も。
ただ俺は「みんなが行くから」という理由だったように思う。
てか、うちの中学入った時点で、
ほとんどの人はそのまま高校受ける流れになると思うけど。
俺は案の定不合格。
そりゃそうだ。
受験勉強中も映画見て、ゲームやってたから。
5教科なのに理科と社会はノータッチ。
でも俺は密かに早稲田に入りたかったりもしていた。
早稲田高等学院は偏差値的に無理だったので、
早稲田実業の商学科を受けた。
これも落ちたけれど。
なんで早稲田なのかはわからない。
なんとなく早稲田がいいと思っていたし、
早稲田に入りたかった。
おそらく中学の校長先生の影響だろう。
もうおじいさんなのにも関わらず、
水泳大会やマラソン大会に出まくっているその姿は
とても好印象だった。
そんな校長先生が退任するとき、
「私は早稲田大学に行きます。
いいところなので、ぜひみなさんがんばって来てください」と
おっしゃっていた。
しかし早稲田も不合格。
すでに私立の高校は2つ合格していたが、
どうも行く気がしない。
んで、学費が安いからという理由で都立を受けさせられた。
俺のまわりに都立を受ける人はほとんどいなく、
正直下に見ていた。
一応、学芸と早稲田に向けて勉強していたため、
都立の問題はクソ簡単で、当日も満点近かった。
それで俺は都立青山高校に通うことになったのだが、
行く気がなかった上に、まわりの人のカラーが
学芸と大きく異なっていたために、
そこまでうまくなじめなかったように思う。
高校時代はとにかく部活で、水泳を続けた。
水泳部は楽しかった。
特に先輩たちとの付き合いが。
同期の仲は最悪。特に男子。
原因は俺らしい。
夏休みは毎日練習である。
でも俺は中学までのときと同じ様に
代ゼミの夏期講習に通った。
それが同期の勘に障ったようだ。
まったく悪いことをしているわけではないので、
正直俺がムカついたぐらいだ。
結局、仲のいい先輩が引退すると同時に俺もやめた。
後輩には興味がなかったし、同期はどうでもよかった。
水泳は好きだったが、あの部にいたくなかった。
だからやめた。
そして大学受験。
当然、早稲田を受けた。文系5学部全部。
あと慶應の文、商、経済。
そして滑り止め2つ。
ろくに勉強もせず、ゲームしかしてなかったため、全敗。
浪人の道を歩むことになった。
最初からそこまで現役には
こだわっていなかったのかもしれない。
なんとなく浪人するんだろうなぁと思っていた。
だから全部落ちてもそこまで悔しくなかった。
浪人時代は河合塾の池袋校に通っていた。
人との接触はなるべく避けた。
自分の力だけでがんばろうと思っていたからだ。
余計な馴れ合いは身を滅ぼすものだと考えていた。
ゲームも自分で封印したものの、映画は見ていた。
でも、それなりに勉強したと思う。
授業開始の1時間前に教室に着いて自習をしていた。
まわりにもそういう人がたくさんいたから、
いい刺激になった。
夏休みはグダグダしていたけれど、
秋は朝から晩まで塾の自習室で勉強していた。
相変わらず早稲田大学に行きたかった。
だから文系5学部すべて10年分の過去問を解いた。
慶應なんて行きたくなかった。
でもそのブランドに惹かれて経済と商だけ受けた。
後は滑り止めを3つ。
結果、早稲田は全敗だった。
この1年早稲田のためだけに勉強したのに。
あのときはマジで自分を呪った。
特に絶対イケると信じていた商学部の受験日、
いつもできていた英語がその日に限ってできなくて、
帰ってから自分に対する苛立ちのあまり携帯を2つに折った。
あのとき、俺には執念があった。
なんとしてでも早慶に入ること。
中学の友達はみんな一流大学に行った。
ここで俺も最低でも早慶に入らなければ、
絶対にバカにされると思い、
この身が滅びようとも
早慶どっかには喰らいついてやると思っていた。
やはり早稲田がよかったが、もう慶應でもよかった。
その執念のおかげか慶應の商学部だけ受かった。
受験当日、試験が終わった後、諭吉像の前で
「もう2度と来ることがありませんように」
とお祈りしたにも関わらずだ。
しかも過去問も4年分ぐらいしか解いてない。
でも受かった。
こうして俺は俗に言う慶應ボーイとなったのである。
慶應生はチャラいというイメージがあったが、
半分当たってて、半分外れているなというのが
実際に慶應に入学して思った正直な感想かな。
まずはサークルに入ろうと思うのだが、
浪人の1年はろくに人と話していなかったので、
自分一人で入るのが怖かった。
そのため知り合いがいるサークルに入ろうということで、
布施のいるバドミントンサークルに入ることにした。
しかしまわりにいる人やサークルのやり方などが合わず、
すぐに行かなくなった。
あとはずっとバイト。ジュンク堂で。
オープニングスタッフだったので先輩・後輩がなく、
とてもやりやすかった。
みんないいやつらばっかで親しみやすかったから、
書店業務に興味があったわけではないが長続きした。
2年になって水泳サークルに入った。
やっぱり大好きな水泳を続けたいと思ったからだ。
バイトが忙しくてそんなに練習出れたわけではないけれど、
みんなノリがよくて面白くて、
それでいて好きな水泳ができるのだからいい環境だった。
ここで知り合った先輩がきっかけとなり、
俺は次の3年でとあるエグゼミに入ることになる。
中条潮研究会。
やってる内容はまっっったく興味なかったけれど、
先輩たちの優しい人柄に惹かれて入ることを決意。
斉藤のマーケティングと迷ったが、人で選んだ結果である。
マーケティングは興味があるので、
自分でも勉強できると思った。
俺は興味のあることは自発的にやる方なので。
それがアドベンにつながるのだが。
このゼミのいいところは、
人の個性を大事にしているところかな。
俺は三田論は特にがんばったわけではないけれど、
なんだかんだでみんなそんな俺を許容してくれている。
そして怒涛の就職活動。
これまで書いてきたように、「映像」に興味があった。
FFⅥがきっかけとなって、
人を感動させるものを作りたいと思うようになった。
それができる仕事がしたいと思っていた。
だから最初はゲームクリエイターを目指していた。
でも年収とか社会的地位とかも気になりだした。
うちはそこまで裕福ではないので、
お金に対する執着心はあったと思う。
浪人生の頃から何となく意識していた就職活動。
だからといって特に何かしていたわけではないけれど
(何かやっとけばよかったと思っているけど)、
気づいたら広告代理店は志望していた気がする。
でも「みんなの就職活動日記」で
テレビ局の年収が高すぎることを知り、
一気に志望業界は変わった。
テレビ局の中で順位があったわけではないけれど、
やっぱり映画も好きだったので、それに力を入れていて、
なおかつドラマが面白かったということで、
フジテレビが第一志望だったかな。
ずっとテレビ、広告の志望順位は変わらなかった。
ただ自己分析していく中で、
「自分はどういう人生を送りたいか」
という最終地点を軸に
「自分の好きなもの・興味のあるものに関わっていたい」
という答えが出て、
そこからテレビ、広告に加えて、メーカーが挙がった。
なおかつ「モノ作り」がしたいという想いもあった。
メーカーもいろいろあるけれど、
会社の雰囲気や
そこで働いている社員の人柄や知名度も参考にして、
業界選びというよりは完全に企業選びになり、
バンダイ、サントリー、資生堂などが挙がった。
あとはスクウェア・エニックス。
これはまたベクトルがちょっと違ったな。
俺の価値観を変えたわけだから。
特にバンダイは俺の好きなものも扱っている上に、
モノ作りができ、
さらに働いている人の人柄もよく、
「人々を感動させたい」ということを目標にしていて、
会社の雰囲気もよかったので、
俺にとってのベストプレイスとなっていた。
年収は下がるけれども、
ある意味フジテレビよりも志望度は高かったかもしれない。
テレビ局はモテるし、金もいいけれど、
忙しすぎる上に会社の雰囲気がガツガツしすぎていて、
俺に合わない気もしていた。
モノ作りも場合によってはできなさそうだし。
採る人数も少ない上にコネもたくさんあるので、
あまり現実的ではなかったかもしれない。
結局ESから数えてちょうど半分のところで切られた。
しかし同時にバンダイにも切られ、
スクウェア・エニックスに至っては性格検査で切られた。
フジはまあいいとしよう。
自分でも向いてないかもと思っていたし。
スクエニの性格検査もまだ何とかあきらめられる。
だってWebだもの。あっけなさすぎてどうでもよかった。
ショックだったけれどね。
しかしバンダイは二次面接まで進んでいたため
本当にショックだった。
女の子にフラれた気持ちとまったく同じだった。
俺の本心でオリジナルの気持ちを素直にわかりやすく伝え、
こう言うと勘違いと思われそうだけれど、
本当に絶対合ってると思ったし、イケると思った。
性格検査で切られたとしか言いようがない。
自主留年して
1年後にチャレンジしようかどうしようか迷った。
好き嫌いがはっきりしている俺は、
他に代替が効かないのである。
人で選ぶという軸もあるけれど、
正直、企業には多くの人がいるから合う人もいるし、
合わない人もいるのだ。
だからあまり参考にはならない。
自分が見た数少ない人から判断するしかないのである。
友達が
「面白い人とやればつまらないものでも面白くなるし、
つまらない人とやれば面白いものでもつまらなくなる」
と言っていた。
基本的に一度好きになったものは嫌いにはならないし、
好きだったらつまらない人がいても平気だろうと思った。
でもこれまでを振り返ってみるとそうではないかもしれない。
高校の部活、水泳大好きだったのに、
まわりがつまらないから水泳もつまらなくなってやめた。
ゼミ選びも興味のあったマーケティング、
人が合わなさそうだったのでやめた。
反対に今のゼミは、
やってることは俺にとってつまらないものであるが、
まわりが面白いので、まあいまだに興味は無いけれど、
なんとかやっていける。
そう考えると、
興味のない企業でもまわり次第かなと思い始め、
今ではどこでもいいやー的な流れになっている。
「いっしょにやる人も大事」というのが
新しい軸となって現れた。
というよりもともとあったのかもしれない。
好きなものや興味のあるものを仕事にするといっても、
まわりの人がいい人で自分に合うというのが
大前提でのことだったのかもしれない。
やってることも興味あって、
まわりもいい人ばかりという点で、
アドベンは楽しかったし、
バンダイはベストプレイスであった。
まあ終わってしまったことだから仕方ないけれど。
そんなこんなで、「好きなこと・興味あること」、
「モノ作り」、「人」を主軸に
「知名度」、「年収」などを考慮して
うまく選考が進んだところが、
俺の行くべき場所なのだろう。
ヒト、モノ、カネの3つのうち、
2つがダメになるとその仕事をしたくなくなると、
任天堂のOB訪問したときに言われた。
確かに。
いっしょに働くヒトがよくても、
扱っているモノが興味なくて、給料も低かったら、
働く気を失くすだろう。
自分の好きなモノ扱ってても、
給料が低くて、職場のヒトと合わなかったら、
働きたくなくなるだろう。
給料が高くても、
職場のヒトと合わず、興味ないモノ扱っていたら、
つまらない仕事だろう。
どれか2つが満たされていれば、きちんと働ける。
どの企業に入るにせよ、
とりあえず5年は修行だ。
次の5年で実践。
仕事を楽しもうと努力する。
目的はバンダイかスクウェア・エニックス、
もしくは映画やテレビ局への転職。
そうやって10年経って、
まだ行きたかったら、そこに中途で入ろう。
リベンジを一応の目的とする。
高2のときも去年の6月もリベンジを誓ってがんばって、
気づいたら忘れていたので、また同じようになるのだろうか。
まあ人と会社は違うけれどね。
これからどんな物語が書けるか楽しみである。
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