2012年3月11日(日)
今日は、3月11日。東日本大震災からちょうど一年になる。
日本が、がらっと変った一年だったなあ・・。
テレビでも、ここのところ特集を組んで、あの地震や津波、原発の
映像を流している。
ウィステたちのエッセイサークルも、我々は「三月十一日」に何をして
いたかをテーマにエッセイを書いたんだ。
そのエッセイ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「三月十一日」
平成二十三年三月十一日。それは、私達ラウンドダンスサークルの年に一度の
ダンスパーティの日だった。午前十時から午後二時過ぎまで、私は、ローズ色の
膝丈のドレスに銀色のパニエ(ペティコート)というドレス姿で仲間とダンスを
踊り続けた。全員女性のサークルなので、自称、「宝塚ワールド」である。
二次会は、カラオケ。ドレスを着替え、それぞれの車で、市のふれあいセンターから、
駅前のカラオケ店へと急いでいた。運転しながらも、友人たちと興奮を引きずった
おしゃべりをしている最中、駅への上り坂で、ふわっ、ふわっと、タイヤから
違和感がきた。私は、「パンクかもしれない」と、言い、車を道路脇に寄せた。
だが、前を走っていた車も脇に寄るのを見て、何かおかしいと気づく。揺れは
ますます大きくなる。ふわ~ふわ~っと舟に乗っているようだ。友人たちは、
「地震だわ」と、言い出した。街路樹の太い幹がばさばさと暴れている。
道路脇の美容室からは、カットの途中らしいお客さんたちが首まわりにカバーを
掛けたまま逃げ出してきた。前の車のドアが開き、運転手が外に出たのを見て、
友人が、
「外に出たほうがいいんじゃない?」
と、言い出したが、街路樹の様子では、外に出ても何かが落ちてくるかもしれない。
ぐずぐず車内に留まっている間に、だんだん揺れが収まってきた。
どこかで、大きな地震が起きたに違いないが、普段カーラジオをつける習慣が
無いので、とっさに操作が分からず、詳しいことが分からない。明るい余韻は
すっと消え、不安が湧いてきた。もちろん、もう歌を歌う気分ではない。
それでも信号に合わせて前の車が動き出したので、私も、とりあえず集合場所に
行かなくてはと、カラオケ店へ向った。そろそろと車を走らせていくと、
ファミレスの駐車場にお客さんたちが集まっているのが見えた。スーパーの前にも
人々が固まって立っている。スーパーの店内は暗く、電気がついていない。
事態の異常さがびんびんと響いてきて、さらに不安が広がる。
重苦しい気持ちでカラオケ店に入ると、レジには長い列が出来ていた。
カラオケをしていた人たちが、一斉に引き上げるようだ。当然だ。
私も家に戻りたいのだが……。入口に佇む同じサークルの人たちに、
「地震、大変だったよね」
と、声をかけると、
「震源地は宮城沖だそうよ。かなり大きな地震らしいわ」
と、カーラジオからの情報を教えてくれた。携帯を持っていない友人が、
とりあえず家に連絡したいと言うので、私の携帯を貸したが、繋がらない。周りのお仲間が、
「大きな災害らしいから、こういう時は、集中するから、なるべく携帯を使わないのよ」
と、言っている。〈こういう時〉こそ、まずは家族なのにと思っていると、私の携帯が鳴った。
名古屋に出張中のジナンからで、その無事な声にほっと安心した。
「市内は通じないのに、名古屋からは通じるなんて、不思議ね」
と、仲間と話している間にも、余震が来て床が揺れる。テレビの地震速報で
事態をつかみたいのに、カラオケ店では、どこにテレビがあるのか分からない。
見回しても、青く光るカラオケ画面ばかりだ。それに、この地震で、家の仏間の花瓶が
倒れて畳が水びたしになっているのではと、気がかりだ。それで、私が、
「ちょっとだけ、家の様子を見てくる。すぐ、戻ってくるから」
と言うと、家の近い勝田さん(仮名)が、
「私も乗せていって!」
と声を上げ、二人で家へ急いだ。
幸い、家の中は、壊れているものは無かった。テレビをつけると、ヘルメットを被った
女子アナが、スタジオから地震の被害を伝えていた。仏間の花瓶は倒れていなかったが、
仏壇にあげたお水は、容器は倒れていないのに、中味の水がかなり毀れ、周りが
びしょびしょになっていた。どんな地震の波だったのだろう?倒れていた夫の写真や
飾り物を直し、私は勝田さんに電話したが、近所でも電話は繋がらない。直接行くほうが早いと、
カラオケ店に戻る途中で、勝田さんを迎えに寄った。彼女の家では、粘土人形が落ちて
粉々に壊れたそうだ。勝田さんは、
「古くなっていたけれど、顔のあるもので、捨てられなかったのよ。でもいいわ、
この際、断捨離よ」
と、きっぱりと言ったが、ゆらゆらと揺れている感覚はまだ収まらないそうだ。
「まさか、もうカラオケ、やらないよね」
と言う勝田さんに、
「とても歌えないわよ。でも、黙って、消えてしまうわけにもいかないしねえ」
と答えながら、サークル員としてのあるべき行動に則ってカラオケ店に戻ると、
駐車場でご主人に送られて来た役員さんに会った。駆け寄って、強張った顔の彼女に、
「どうだった?」と、聞くと、
「家、ワイングラスが棚から落ちて、居間がぐちゃぐちゃで。私、掃除したいんだけれど、
役員だから、とにかく来たのよ」
と、きっぱりとした声が返ってきた。けれど、カラオケ店に入るとガランとしていて、
店員さんのほうから、
「今日は臨時休業します」
と、言ってきた。サークルの人たちも帰ったそうで、これで解散と区切りがついた。
帰ろうとメインストリートを右折した所で、向こうからダンスの先生の赤い車が
やってくるのが見えた。私は、車の窓を開けて手を振り、おまけにクラクションも
鳴らして、先生の車を止めた。先生の車はご主人が運転していて、助手席の先生が
青い顔で、
「カラオケ、行くところ」
と、言う。自分が責任者だから!という気合が伝わってきたけれど、私が、両手で
バッテンを作って、
「カラオケ、臨時休業です。サークルの人、もう誰もいません」
と、言うと、先生は、安心したように、肯いた。
こうして、私達のラウンドダンスのパーティは終わった。
家に戻りテレビをつけると、家屋を飲み込みながら押し寄せる津波の映像が映され、
緊迫したアナウンサーの声が響いてきた。時代が変わるという予感に身が引き締まり、
私はただただ映像を見続けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その時は、被害の甚大さも分からず、ただうろうろしていた「ぬるい」空気の
エッセイなんで、申し訳ないような気分です・・。
でも、この大震災の前と後で、日本がまるごと変ってしまった。
NHKの震災特集「被災地の夜」を見ていると、津波を生き延びた方たちの
言葉が重い・・。
「まだまだ先が見えない」被害の様子が伝わってくる。
不安だけれど・・・なんとかして未来が開けてきますように。
東日本大震災で亡くなられた方々の魂に平安がありますように・・。
今日は、3月11日。東日本大震災からちょうど一年になる。
日本が、がらっと変った一年だったなあ・・。
テレビでも、ここのところ特集を組んで、あの地震や津波、原発の
映像を流している。
ウィステたちのエッセイサークルも、我々は「三月十一日」に何をして
いたかをテーマにエッセイを書いたんだ。
そのエッセイ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「三月十一日」
平成二十三年三月十一日。それは、私達ラウンドダンスサークルの年に一度の
ダンスパーティの日だった。午前十時から午後二時過ぎまで、私は、ローズ色の
膝丈のドレスに銀色のパニエ(ペティコート)というドレス姿で仲間とダンスを
踊り続けた。全員女性のサークルなので、自称、「宝塚ワールド」である。
二次会は、カラオケ。ドレスを着替え、それぞれの車で、市のふれあいセンターから、
駅前のカラオケ店へと急いでいた。運転しながらも、友人たちと興奮を引きずった
おしゃべりをしている最中、駅への上り坂で、ふわっ、ふわっと、タイヤから
違和感がきた。私は、「パンクかもしれない」と、言い、車を道路脇に寄せた。
だが、前を走っていた車も脇に寄るのを見て、何かおかしいと気づく。揺れは
ますます大きくなる。ふわ~ふわ~っと舟に乗っているようだ。友人たちは、
「地震だわ」と、言い出した。街路樹の太い幹がばさばさと暴れている。
道路脇の美容室からは、カットの途中らしいお客さんたちが首まわりにカバーを
掛けたまま逃げ出してきた。前の車のドアが開き、運転手が外に出たのを見て、
友人が、
「外に出たほうがいいんじゃない?」
と、言い出したが、街路樹の様子では、外に出ても何かが落ちてくるかもしれない。
ぐずぐず車内に留まっている間に、だんだん揺れが収まってきた。
どこかで、大きな地震が起きたに違いないが、普段カーラジオをつける習慣が
無いので、とっさに操作が分からず、詳しいことが分からない。明るい余韻は
すっと消え、不安が湧いてきた。もちろん、もう歌を歌う気分ではない。
それでも信号に合わせて前の車が動き出したので、私も、とりあえず集合場所に
行かなくてはと、カラオケ店へ向った。そろそろと車を走らせていくと、
ファミレスの駐車場にお客さんたちが集まっているのが見えた。スーパーの前にも
人々が固まって立っている。スーパーの店内は暗く、電気がついていない。
事態の異常さがびんびんと響いてきて、さらに不安が広がる。
重苦しい気持ちでカラオケ店に入ると、レジには長い列が出来ていた。
カラオケをしていた人たちが、一斉に引き上げるようだ。当然だ。
私も家に戻りたいのだが……。入口に佇む同じサークルの人たちに、
「地震、大変だったよね」
と、声をかけると、
「震源地は宮城沖だそうよ。かなり大きな地震らしいわ」
と、カーラジオからの情報を教えてくれた。携帯を持っていない友人が、
とりあえず家に連絡したいと言うので、私の携帯を貸したが、繋がらない。周りのお仲間が、
「大きな災害らしいから、こういう時は、集中するから、なるべく携帯を使わないのよ」
と、言っている。〈こういう時〉こそ、まずは家族なのにと思っていると、私の携帯が鳴った。
名古屋に出張中のジナンからで、その無事な声にほっと安心した。
「市内は通じないのに、名古屋からは通じるなんて、不思議ね」
と、仲間と話している間にも、余震が来て床が揺れる。テレビの地震速報で
事態をつかみたいのに、カラオケ店では、どこにテレビがあるのか分からない。
見回しても、青く光るカラオケ画面ばかりだ。それに、この地震で、家の仏間の花瓶が
倒れて畳が水びたしになっているのではと、気がかりだ。それで、私が、
「ちょっとだけ、家の様子を見てくる。すぐ、戻ってくるから」
と言うと、家の近い勝田さん(仮名)が、
「私も乗せていって!」
と声を上げ、二人で家へ急いだ。
幸い、家の中は、壊れているものは無かった。テレビをつけると、ヘルメットを被った
女子アナが、スタジオから地震の被害を伝えていた。仏間の花瓶は倒れていなかったが、
仏壇にあげたお水は、容器は倒れていないのに、中味の水がかなり毀れ、周りが
びしょびしょになっていた。どんな地震の波だったのだろう?倒れていた夫の写真や
飾り物を直し、私は勝田さんに電話したが、近所でも電話は繋がらない。直接行くほうが早いと、
カラオケ店に戻る途中で、勝田さんを迎えに寄った。彼女の家では、粘土人形が落ちて
粉々に壊れたそうだ。勝田さんは、
「古くなっていたけれど、顔のあるもので、捨てられなかったのよ。でもいいわ、
この際、断捨離よ」
と、きっぱりと言ったが、ゆらゆらと揺れている感覚はまだ収まらないそうだ。
「まさか、もうカラオケ、やらないよね」
と言う勝田さんに、
「とても歌えないわよ。でも、黙って、消えてしまうわけにもいかないしねえ」
と答えながら、サークル員としてのあるべき行動に則ってカラオケ店に戻ると、
駐車場でご主人に送られて来た役員さんに会った。駆け寄って、強張った顔の彼女に、
「どうだった?」と、聞くと、
「家、ワイングラスが棚から落ちて、居間がぐちゃぐちゃで。私、掃除したいんだけれど、
役員だから、とにかく来たのよ」
と、きっぱりとした声が返ってきた。けれど、カラオケ店に入るとガランとしていて、
店員さんのほうから、
「今日は臨時休業します」
と、言ってきた。サークルの人たちも帰ったそうで、これで解散と区切りがついた。
帰ろうとメインストリートを右折した所で、向こうからダンスの先生の赤い車が
やってくるのが見えた。私は、車の窓を開けて手を振り、おまけにクラクションも
鳴らして、先生の車を止めた。先生の車はご主人が運転していて、助手席の先生が
青い顔で、
「カラオケ、行くところ」
と、言う。自分が責任者だから!という気合が伝わってきたけれど、私が、両手で
バッテンを作って、
「カラオケ、臨時休業です。サークルの人、もう誰もいません」
と、言うと、先生は、安心したように、肯いた。
こうして、私達のラウンドダンスのパーティは終わった。
家に戻りテレビをつけると、家屋を飲み込みながら押し寄せる津波の映像が映され、
緊迫したアナウンサーの声が響いてきた。時代が変わるという予感に身が引き締まり、
私はただただ映像を見続けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その時は、被害の甚大さも分からず、ただうろうろしていた「ぬるい」空気の
エッセイなんで、申し訳ないような気分です・・。
でも、この大震災の前と後で、日本がまるごと変ってしまった。
NHKの震災特集「被災地の夜」を見ていると、津波を生き延びた方たちの
言葉が重い・・。
「まだまだ先が見えない」被害の様子が伝わってくる。
不安だけれど・・・なんとかして未来が開けてきますように。
東日本大震災で亡くなられた方々の魂に平安がありますように・・。