2012年3月4日(日)
長くなったので、エッセイの続きを・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
待合室に、犬や猫を連れた方たちが次々とやって来ている様子だ。ポチを預け、私は一旦、
家に戻った。だが、心不全という言葉に、いてもたってもいられない。
〈あの、三時に、何かあったんだ。人間なら、きっと救急車を呼んだと思う。
でも、ポチは犬だから、九時まで待ってしまった。その間に、すごく悪くなって
しまったんだ〉
〈だけど、ポチ、苦しいって言えないから、分からなかったし。夜間の救急病院も無いし〉
私は、自問自答を繰り返しながら、しんとした家の中をそわそわと歩き回った。
お昼過ぎに電話があって行くと、ポチは酸素室の中で、丸い目をむきながら立っていた。
ゼ~ゼ~と苦しそうな息は変わらない。先生が、ポチを見ながら、
「あの目……、苦しいんですよ。この子は、ごろんと横になることが出来ないんです。
横になると、圧迫されて肺が小さくなるんです。本能的に、肺を精一杯広げようとして、
立つんです」
と、言うので、朝、ポチが四足で踏ん張って立っていた姿を思い出した。あの時から
苦しかったのか……。見ていると、ポチが座った。顎までべたっと床につけるいかにも
リラックスしたという臥せの姿勢ではなく、胸を張ったお座りだ。そして、又、四足で立つ。
「立ちっぱなしは疲れる。それで座るけれど、また苦しくなって立つんです」
と、言われると、ポチの辛さが伝わってくる。それから、
「可能性ですが、心臓の弁が切れたかもしれません」
と、とんでもないことを言われた。人間なら、救急車で運ばれて、即、心臓手術だそうだ。
「弁を縫い合わせるんですが、動物はなかなか難しくて。設備も整ってないですし」
と、処置室の中央の小さな手術台を示した。心臓の弁が切れた!と、ぞっとしたが、彼は、
「この肺の状態を乗りきれば、それからなんとか、考えられます」
と、じっとポチを見つめながら言った。
それから私は、酸素室の前で、ガラスをトントンと叩いて、「ポチ、ポチ」と、呼びかけたり、
ポチの力んだ目と目線を合わせ、
「ここに居るよ。一人じゃないよ」と、念を送ったりした。
看護師さんが下の段のケージで点滴をしている大きな犬の世話をする間、脇に寄ると、
壁の張り紙の中の「患畜」という文字が目に飛び込んできた。「患者」じゃないんだ。
いつもの女医さんは、「ポチ君」「この子」と呼び、診察券も「○○ポチ」なのだけれど……。
ぐりぐりと目をむき、四足で踏ん張るポチは、「畜」、動物として本能的に肺を広げている。
だんだん座るのも辛くなったのか、横になるポチの見慣れた姿には、一人暮らしの私の家族
なんだという思いが湧く。
立ったり座ったり、姿勢を変え続けるポチを見守るしか出来なかったのだが、二時間ほど
すると午後の診察の準備の時間なのか、夕方また来てくださいと言われ、私は再び家に戻った。
一人でいると、先ほど様子を見に来た時の先生の言葉が気持ちをかき乱す。
「心不全を起こすと、血栓が飛んで、脳だと、脳梗塞になる場合もあるんです。それに、
この酸欠で、脳がダメージを受けているかもしれません」
寝たきりのポチ、垂れ流しのポチ、うつろな目で意思の疎通も出来ないポチ。
鯉のように一息一息口をぱくぱくさせ、必死に酸素を取り込もうとしているポチの行く先は、
そんな姿なのだろうか?救急車で運ばれた「患者」なら、すでに手術を済ませ、
今はただ生きて欲しいと、家族で祈る時なのだろうに、どうしても縁起でもない姿を
想像しては心が沈む。
午後五時前に、動物病院から、「すぐ来てください。様態が悪くなりました」
と、呼び出しがあった。慌てて行くと、ポチはガラスの扉の向こうで、力なく横たわっていた。
口を開けゲ~ゲ~と息をしている。
「ああ、このままでは、この子、じきに呼吸が止まります!気管にこの管を入れて、
肺の水をできるだけ吸い出してやると、なんとか乗り越えられるかもしれません。
……だけど、その最中に、心臓が止まることもあります」
と、先生は手に透明のビニールのような管を持って言う。私は、
〈もうこのまま、ポチを楽にして〉と思ってしまうのだが、その言葉を口から出せず、
ポチの命を諦める言葉の代わりに、
「もし、ここを乗り切っても、心臓の弁が切れたポチは、その先、どうなるのでしょう?」
と、聞いた。先生は、
「切れたと決まったわけではないし、弁は、後から、薬で治療することも出来ます」
と、言う。管を使いたい様子が明らかだ。
ポチの命の道すじをどうするか、私の意思で、どちらかを選ばなくてはならない。
(続く)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ、続くんだ・・。
長くなったので、エッセイの続きを・・・
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待合室に、犬や猫を連れた方たちが次々とやって来ている様子だ。ポチを預け、私は一旦、
家に戻った。だが、心不全という言葉に、いてもたってもいられない。
〈あの、三時に、何かあったんだ。人間なら、きっと救急車を呼んだと思う。
でも、ポチは犬だから、九時まで待ってしまった。その間に、すごく悪くなって
しまったんだ〉
〈だけど、ポチ、苦しいって言えないから、分からなかったし。夜間の救急病院も無いし〉
私は、自問自答を繰り返しながら、しんとした家の中をそわそわと歩き回った。
お昼過ぎに電話があって行くと、ポチは酸素室の中で、丸い目をむきながら立っていた。
ゼ~ゼ~と苦しそうな息は変わらない。先生が、ポチを見ながら、
「あの目……、苦しいんですよ。この子は、ごろんと横になることが出来ないんです。
横になると、圧迫されて肺が小さくなるんです。本能的に、肺を精一杯広げようとして、
立つんです」
と、言うので、朝、ポチが四足で踏ん張って立っていた姿を思い出した。あの時から
苦しかったのか……。見ていると、ポチが座った。顎までべたっと床につけるいかにも
リラックスしたという臥せの姿勢ではなく、胸を張ったお座りだ。そして、又、四足で立つ。
「立ちっぱなしは疲れる。それで座るけれど、また苦しくなって立つんです」
と、言われると、ポチの辛さが伝わってくる。それから、
「可能性ですが、心臓の弁が切れたかもしれません」
と、とんでもないことを言われた。人間なら、救急車で運ばれて、即、心臓手術だそうだ。
「弁を縫い合わせるんですが、動物はなかなか難しくて。設備も整ってないですし」
と、処置室の中央の小さな手術台を示した。心臓の弁が切れた!と、ぞっとしたが、彼は、
「この肺の状態を乗りきれば、それからなんとか、考えられます」
と、じっとポチを見つめながら言った。
それから私は、酸素室の前で、ガラスをトントンと叩いて、「ポチ、ポチ」と、呼びかけたり、
ポチの力んだ目と目線を合わせ、
「ここに居るよ。一人じゃないよ」と、念を送ったりした。
看護師さんが下の段のケージで点滴をしている大きな犬の世話をする間、脇に寄ると、
壁の張り紙の中の「患畜」という文字が目に飛び込んできた。「患者」じゃないんだ。
いつもの女医さんは、「ポチ君」「この子」と呼び、診察券も「○○ポチ」なのだけれど……。
ぐりぐりと目をむき、四足で踏ん張るポチは、「畜」、動物として本能的に肺を広げている。
だんだん座るのも辛くなったのか、横になるポチの見慣れた姿には、一人暮らしの私の家族
なんだという思いが湧く。
立ったり座ったり、姿勢を変え続けるポチを見守るしか出来なかったのだが、二時間ほど
すると午後の診察の準備の時間なのか、夕方また来てくださいと言われ、私は再び家に戻った。
一人でいると、先ほど様子を見に来た時の先生の言葉が気持ちをかき乱す。
「心不全を起こすと、血栓が飛んで、脳だと、脳梗塞になる場合もあるんです。それに、
この酸欠で、脳がダメージを受けているかもしれません」
寝たきりのポチ、垂れ流しのポチ、うつろな目で意思の疎通も出来ないポチ。
鯉のように一息一息口をぱくぱくさせ、必死に酸素を取り込もうとしているポチの行く先は、
そんな姿なのだろうか?救急車で運ばれた「患者」なら、すでに手術を済ませ、
今はただ生きて欲しいと、家族で祈る時なのだろうに、どうしても縁起でもない姿を
想像しては心が沈む。
午後五時前に、動物病院から、「すぐ来てください。様態が悪くなりました」
と、呼び出しがあった。慌てて行くと、ポチはガラスの扉の向こうで、力なく横たわっていた。
口を開けゲ~ゲ~と息をしている。
「ああ、このままでは、この子、じきに呼吸が止まります!気管にこの管を入れて、
肺の水をできるだけ吸い出してやると、なんとか乗り越えられるかもしれません。
……だけど、その最中に、心臓が止まることもあります」
と、先生は手に透明のビニールのような管を持って言う。私は、
〈もうこのまま、ポチを楽にして〉と思ってしまうのだが、その言葉を口から出せず、
ポチの命を諦める言葉の代わりに、
「もし、ここを乗り切っても、心臓の弁が切れたポチは、その先、どうなるのでしょう?」
と、聞いた。先生は、
「切れたと決まったわけではないし、弁は、後から、薬で治療することも出来ます」
と、言う。管を使いたい様子が明らかだ。
ポチの命の道すじをどうするか、私の意思で、どちらかを選ばなくてはならない。
(続く)
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まだ、続くんだ・・。