あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ
「鹿鳴集」會津八一
この前、NHKの番組に出演していた高倉健の台本カバーに書かれていた一首が頭から離れない。
法隆寺夢殿の救世観音を詠んだ一首とされるが「きみ」は唯一無二の存在と読んでも間違いではないだろう。
あめつちにわれひとりゐてたつごときさびしさ。シンプルで多分、たくさんの人が感じるであろうさびしさだ。そのさびしさをほほゑむ存在。このほほゑみはすべてを理解し包み込むほほゑみだ。このほほゑみを見た瞬間にさびしさは消える。さびしさは誰かに理解されることでしか解消されないのだ。
さびしさの理由ではなくさびしいという感情を抱いていることを。
長々と述べたがこの一首のようなほほゑみを誰かに向けたことがあるだろうか。反省するばかりだ。
「鹿鳴集」會津八一
この前、NHKの番組に出演していた高倉健の台本カバーに書かれていた一首が頭から離れない。
法隆寺夢殿の救世観音を詠んだ一首とされるが「きみ」は唯一無二の存在と読んでも間違いではないだろう。
あめつちにわれひとりゐてたつごときさびしさ。シンプルで多分、たくさんの人が感じるであろうさびしさだ。そのさびしさをほほゑむ存在。このほほゑみはすべてを理解し包み込むほほゑみだ。このほほゑみを見た瞬間にさびしさは消える。さびしさは誰かに理解されることでしか解消されないのだ。
さびしさの理由ではなくさびしいという感情を抱いていることを。
長々と述べたがこの一首のようなほほゑみを誰かに向けたことがあるだろうか。反省するばかりだ。