吾のみじかき生命線を幾たびも爪でくきくきくき伸ばす君
くきくきくきと爪で伸ばす君を見ている吾、君といたから経験したことで君以外ならなかった時間だろう。
山少し越えたところに君はゐてすがた変はれどいつも、いつも
「いつも、いつも」に込められた意味は、現世だけではない。だから、姿が変わる。そして、山を少しほんの少しだけ越えた所にいたのだ。
作者の相聞歌が好きだ。
くきくきくきと爪で伸ばす君を見ている吾、君といたから経験したことで君以外ならなかった時間だろう。
山少し越えたところに君はゐてすがた変はれどいつも、いつも
「いつも、いつも」に込められた意味は、現世だけではない。だから、姿が変わる。そして、山を少しほんの少しだけ越えた所にいたのだ。
作者の相聞歌が好きだ。
とくに何も言ってない、ただあすこに君がいるのだということだけ。姿は、山だったり君だったりわたしだったり時代だったりなんだって良い。「いつも、いつも」に残る余韻が要です。
読点要るかなーなかったらなんかふつーかもね。難しいところや。
「いつも、いつも」の「、」は矯めでしょう。読み方として「いつも」息を飲む「いつも」余韻。僕が映画監督ならこう指導します。
追伸、相手の「性」に固執することなら諾えるのですが。(イヤラシイ意味だけではないです)
再追伸、短歌のことを語ると何故、こんなにテンションが上がるのでしょうか。平居さんのコメント、本当嬉しいです。異論、反論、肯定論、どしどしお待ち致しておりまする。