中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

万日堂と藤塚の一里塚(旧中山道を歩く 84)

2007年03月13日 10時23分43秒 | 3上州(群馬県)の.旧中山道を歩く(66~10



(君が代橋から見える阿弥陀堂)

(高崎宿6)
左側に烏川に架かる君が代橋が見える。
橋は両側に歩行者用の通路があるが、右側を歩こう。
川を渡り終えたところから土手の向こう側に阿弥陀堂が見える。
万日堂である。

(万日堂)

阿弥陀伝説によれば、
[万日堂に安置されている本尊仏を見返り阿弥陀という。
昔、永観律師が不断念仏を思い立ち、本尊をめぐって行道念仏中に
つい眠くなって立ち止まっていたところ、本尊が「永観遅いぞ」と後ろを振り向いて声を掛けられたという。
みかえり阿弥陀尊はその故事によってつくられた。京都禅林寺にあるものは国の重要文化財になっている。
ここの阿弥陀尊はそれらより時代は下るが、それでも室町時代と推定される。
関東では唯一のみかえり阿弥陀であろう。
この像を明治時代に盗み出して売り払おうとした男があったが、
君が代橋を渡る途中急死してしまい仏像は事なきを得た。
大正時代にもう一度盗まれたが、この男も君が代橋で大雷雨に遭い、
男は感電死したが、仏像は無事であったという。

この阿弥陀堂の前に句碑が立っており、これを涅槃句塚と呼び、
 路柱庵馬酔居士による俳句がある。

 ・おもしろひ ゆめみる かおや 涅槃像

このみかえり阿弥陀は全国で五体しかなく、関東ではこの一体だけしか見当たらない。]
                       (高崎市教育委員会)
「みかえり阿弥陀」について高崎市のHPをご覧ください


(馬酔居士の句碑)

この句碑を見て、
みかえり阿弥陀とはどんな姿をしているのかと好奇心が湧く。
幸い万日堂の一部から中を覗けるようになっているので覗いてみる。
その阿弥陀様が首をすこし左向きにして立っている。
その姿がお釈迦様の涅槃像立たせた姿に似ている。
なるほど句碑で涅槃像と呼んだことに納得がいく。

この万日堂の左側が旧中山道であるが、すぐ突き当たり、君が代橋から来た国道18号線に合流する。
君が代橋をわたり終えたところに
「君が代橋西」の信号があり、向こう側はファミリーレストランになっているが、
そのファミリーレストランを左に見て、旧中山道は右へ道をとる。
すこし進むと県道26号線の、左 安中の案内看板があり
「下豊岡町西」の信号があるので左折する。
すこし歩くと左側に阿弥陀堂らしい建物の裏側が見えてくる。

(君が代橋西の信号)

(直進国道18号、ここを右折)

(「下豊岡町西」の信号を左折)

(千日堂)

万日堂に対して千日堂で、享保四年(1719)の地蔵尊がある。
旅の無事を祈願して先にしばらく進むと、また国道18号線にぶつかるが、
信号の手前右側に道祖神を祀った不動尊(金ヶ崎の不動尊)がある。
その先の「上豊岡町」の信号が国道18号になっており、18号線の向こう側の土手には碓氷川がある。
土手に沿って先を見ると一里塚らしい大きな木が見えてくる。
国道18号をはさんで、向こう側には赤鳥居の浅間社がみえるが、
昔はここに対になった一里塚があった場所である。
この一里塚を藤塚の一里塚といい、群馬県下に唯一残る一里塚で、
お江戸日本橋から28里(112キロ)である。

(道祖神)

(金ヶ崎の不動尊)

(上豊岡町)

(上豊岡町の交差点、右側から来て信号を渡ったところ左側は見えないが碓氷川)

(一里塚)


(浅間社)