(ダルマ屋さんの軒先にあるダルマ)
(板鼻宿)
小林山達磨寺を出て、碓氷川を渡り国道18号線に出て左折する。
旧中山道は今は18号線に合流している。
道路わきにはダルマ市に出品するダルマ屋さんが散見される。
道路を西に進むと「板鼻宿跡」の信号が見えるので、
国道18号を横断すると、
その歩道上に用水路の上に橋供養の石碑が見える。
(板鼻宿跡の案内標識)
(橋供養塔)
説明によれば、
大田蜀山人が中山道を旅したとき、
「板鼻川の橋を渡れば、板鼻宿はずいぶん近い。
その石橋は麦畑の中にあり、
本陣家の木嶋七郎左衛門が享和二年(1802)石橋の改修時に建てた供養塔というが、
石仏を作るより功徳は勝っている」と褒めたという。
(板鼻下町の信号、ここから見ると道路は二股にしか見えない)
国道18号を西に進むと、「板鼻下町」という大きな交差点に出る。
説明書によれば、旧中山道は左側の道をとるとなっているが、
どう見ても左側の道は、自動車道路である。
やむを得ず右側の道を行くと、少し先に左へ入る道が見えてきた。
旧中山道らしきせまい道である。
つまり「板鼻下町」の信号から見れば真ん中の道である。
(どう見てもこの信号からはY字路にしか見えないが、
真ん中にもう一つ道がある。そこが旧中山道である。)
(旧中山道は右側の道をすこし歩いた先の左へ入る道)
(旧中山道の案内標柱)
(板鼻川橋)
やっと見つけた旧中山道は約6メートル幅の片側一車線の道路で、その道路に入るとすぐ、
「中山道 左板鼻宿 0,5km 右高崎宿 5,6km」の標柱が見え、
ホッと安心する。
道路標識に従って歩き、板鼻川橋を渡るが、
これが前述の大田蜀山人がほめた橋なのだろうかと首をかしげながら歩く。
道路の右側に可愛らしい双体道祖神がある。
男女がお酒を酌み交わす瓢箪と盃を持った像
(祝言像というらしい)が描かれ、享保21年(1736)と刻まれている。
(道祖神)
(双体道祖神)
すこし歩くと信越線の踏切を渡るが、渡った先に「板鼻二丁目」の信号があり、
交差点手前の右側に道しるべとなる石柱が立っている。
石柱には、正面に「やはたみち」とあり、
(道しるべ)
右面には「はるな、くさ津、いかほ、河原湯、 かねこ、沢たり、 しぶ川、みち」とある。
この信号を右折すると、国道が上にと立体交差するが、
国道の手前下に道祖神など石像群がある。
一番左側にある南無阿弥陀仏の石には安永五年(1776)
「右 やまはみち、左 はるなみち」とある。
真ん中には、先ほど見た酒を酌み交わす祝言像がある。
信州には良く見られる祝言像であるらしい。
(国道との立体交差、手前右側の木立の下に石像群がある)
(その道祖神石像群)
(酒を酌み交わす、ほほえましい祝言像)
このあと碓氷峠を越えると信州に入るので、今後注意して歩きたい。
見つけ次第また紹介しよう。
板鼻宿は碓氷川の渡しがあったところで、
川が増水すると川留めになったこともあり、
旅人が沢山逗留して賑わった。
天保14年(1843)で人口1422人、家数312軒、本陣1、脇本陣2、旅篭54軒あったとされる。
中山道を進むと右側に板鼻公民館があるが、
ここが木嶋本陣跡で、公民館の裏手に本陣の一部が残されている。
(板鼻公民館の案内)
(板鼻宿)
小林山達磨寺を出て、碓氷川を渡り国道18号線に出て左折する。
旧中山道は今は18号線に合流している。
道路わきにはダルマ市に出品するダルマ屋さんが散見される。
道路を西に進むと「板鼻宿跡」の信号が見えるので、
国道18号を横断すると、
その歩道上に用水路の上に橋供養の石碑が見える。
(板鼻宿跡の案内標識)
(橋供養塔)
説明によれば、
大田蜀山人が中山道を旅したとき、
「板鼻川の橋を渡れば、板鼻宿はずいぶん近い。
その石橋は麦畑の中にあり、
本陣家の木嶋七郎左衛門が享和二年(1802)石橋の改修時に建てた供養塔というが、
石仏を作るより功徳は勝っている」と褒めたという。
(板鼻下町の信号、ここから見ると道路は二股にしか見えない)
国道18号を西に進むと、「板鼻下町」という大きな交差点に出る。
説明書によれば、旧中山道は左側の道をとるとなっているが、
どう見ても左側の道は、自動車道路である。
やむを得ず右側の道を行くと、少し先に左へ入る道が見えてきた。
旧中山道らしきせまい道である。
つまり「板鼻下町」の信号から見れば真ん中の道である。
(どう見てもこの信号からはY字路にしか見えないが、
真ん中にもう一つ道がある。そこが旧中山道である。)
(旧中山道は右側の道をすこし歩いた先の左へ入る道)
(旧中山道の案内標柱)
(板鼻川橋)
やっと見つけた旧中山道は約6メートル幅の片側一車線の道路で、その道路に入るとすぐ、
「中山道 左板鼻宿 0,5km 右高崎宿 5,6km」の標柱が見え、
ホッと安心する。
道路標識に従って歩き、板鼻川橋を渡るが、
これが前述の大田蜀山人がほめた橋なのだろうかと首をかしげながら歩く。
道路の右側に可愛らしい双体道祖神がある。
男女がお酒を酌み交わす瓢箪と盃を持った像
(祝言像というらしい)が描かれ、享保21年(1736)と刻まれている。
(道祖神)
(双体道祖神)
すこし歩くと信越線の踏切を渡るが、渡った先に「板鼻二丁目」の信号があり、
交差点手前の右側に道しるべとなる石柱が立っている。
石柱には、正面に「やはたみち」とあり、
(道しるべ)
右面には「はるな、くさ津、いかほ、河原湯、 かねこ、沢たり、 しぶ川、みち」とある。
この信号を右折すると、国道が上にと立体交差するが、
国道の手前下に道祖神など石像群がある。
一番左側にある南無阿弥陀仏の石には安永五年(1776)
「右 やまはみち、左 はるなみち」とある。
真ん中には、先ほど見た酒を酌み交わす祝言像がある。
信州には良く見られる祝言像であるらしい。
(国道との立体交差、手前右側の木立の下に石像群がある)
(その道祖神石像群)
(酒を酌み交わす、ほほえましい祝言像)
このあと碓氷峠を越えると信州に入るので、今後注意して歩きたい。
見つけ次第また紹介しよう。
板鼻宿は碓氷川の渡しがあったところで、
川が増水すると川留めになったこともあり、
旅人が沢山逗留して賑わった。
天保14年(1843)で人口1422人、家数312軒、本陣1、脇本陣2、旅篭54軒あったとされる。
中山道を進むと右側に板鼻公民館があるが、
ここが木嶋本陣跡で、公民館の裏手に本陣の一部が残されている。
(板鼻公民館の案内)