(高崎宿6)
藤塚の一里塚がある場所から碓氷川を挟んで対岸に、
ダルマ市で知られる黄檗宗 小林山達磨寺がある。
道は碓氷川の土手沿いに歩くと、鼻高橋に出るのでこれを渡る。橋の歩道は右側にある。
渡り終えたところに信号があるので左折すると右側に目当てのダルマ寺がある。
山門は立派であるがどこか中華風に見える。
ダルマ市の立つときは混雑するであろうが、ボクが訪ねたときは平日であったので閑散としていた。
(小林山入り口の信号)
(鼻高橋の欄干の可愛い達磨)
(達磨寺の山門、足に自信のない人は、右側の白雲関の門を行くとよい)
(200段もある階段)
門を潜り抜けると、見上げるような階段が繋がっており、思わずたじろぐ。
門の外に戻ってみると右脇にくぐり戸があり、足に自信のない方用に、なだらかな坂道が用意されている。
今日は高崎駅から歩いてきたので、足も疲れおり、なだらかな坂道を選ぶ。
その坂道は階段の途中を横切りさらに登るが、階段よりは楽である。
そろそろ頂上と思われるところに、小さな家が一軒在る。
(先心亭の標柱)
(先心亭)
(先心亭2)
「洗心亭」といい、案内によると建築家ブルーノ・タウト氏の住まいである。
「ブルーノ・タウト氏は1880年ドイツのケーニヒスブルグに生まれた
世界的大建築工芸家で、ナチ政権を逃れて昭和8年5月敦賀に上陸し、京都、仙台に遊び、
9年8月より11年10月まで2年3ヶ月間をここ洗心亭に居を構えていました。
日本における彼の著書の大部分はここで執筆されました。」(環境庁・群馬県)
住まいを覗いてみたが、六畳間に床の間があり、その奥に三畳程度の部屋がある程度の小さな間取りであった。
この部屋を見て、何時だったか訪ねた茨城県の常陸太田市にある西山荘を思い出す。
ご承知のように水戸の黄門様は、晩年大日本正史の編纂に尽力されたが、
この大日本正史の製作にあたった場所がこの西山荘であった。
住居はブルーノ・タウトの住まいに似て、六畳間二つ程度の狭い住まいで、
家来二人と下僕(下僕はすぐ隣に家を持って居り、黄門様の住まいより大きかった)の
四人での作業であったようだ。
(達磨寺の本堂)
(本堂の大願成就したダルマたち)
(世の中にはずいぶん沢山願いが叶った人が居るものだ)
(溢れるばかりのダルマたち)
さて、道路は右に折れてさらに登りダルマ寺の本堂に出る。
本堂の外側の廊下には、祈願成就した両目に墨の入ったダルマが山と置かれており、
沢山の人がご利益に預かった様子が良くわかる。
本堂の隣には、ダルマ博物館があり、いろんな種類のダルマが陳列してあった。
(ダルマ博物館のダルマ)
(博物館のダルマ2)
帰りには来るときは敬遠した階段を降りる。二百段もありかなり急勾配で、
急がないご婦人やお年よりは、ゆっくりなだらかな坂道を登るに限る。
いつの間にかボクも年寄りの仲間入りしたことを実感させる急勾配の階段であった。