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(山中の下り道、山吹やつつじが咲いている)
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(二つ目の熊除けの鐘)
(藪原宿)
丸山公園から峠の坂道をぐんぐん降って来ると、
二つ目の熊除けの鈴がある。
大きく鳴らして先を急ぐ。
ここには鳥居峠について説明が出ているので書き留めておきたい。
(「鳥居峠」は、標高1197mの峻嶺で木曽川と
信濃川の上流奈良井川の分水嶺をなしている。
峠の東麓が楢川村奈良井で、西麓が木祖村薮原で、
頂上は木祖村に属し、
薮原駅から約3km、奈良井駅から約3.6kmである。
そこの眺望は非常によく西には霊峰御嶽山、
南に駒ケ岳の雄峰が目の前に眺められる。
旧中山道筋に当たる峠路は、新緑紅葉共に美しく、
ハイキングコースとしては最適で、
昭和46年信濃路自然歩道として長野県より指定されている。
峠路の開通は歴史が古く、和銅年間(708~714)に開かれたという
「吉蘇路」をこれに当てている。はじめに県坂といい、
中世においては「ならい坂」あるいは「薮原坂」と呼ばれ、
明応年間(1492~1500)になって、
木曽領主木曽義元が松本の小笠原と戦った時、
この頂上から西方はるかに御嶽権現を遥拝して戦勝を祈願。
霊夢によって勝つことが出来たので、ここに鳥居を建立したので、
それより「鳥居峠」と呼ばれるようになった。)(木祖村)
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(下りの道)
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(下りの石畳道)
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(原町稲荷社)
さらに降って左に原町稲荷社と書いた稲荷神社があり、
その先に三つ目の熊除けの鈴がある。
急な下り坂はこれで終わるのであろう、杖置き場が造ってあり、
山越えをしようという人に、
(友愛の杖で安心して楽しく峠越えをしましょう。木祖村)とあり、
数本の杖が置かれてあった。
考えれば、奈良井からの上り口には(杖置き場)など無く、
片手落ちだと思ったが、
熊除けの鐘も木祖村側(峠の下り側)にあったので、
これは木祖村の親切心の表れであろう。
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(三つ目の熊除けの鐘と杖置き場)
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(薮原600mの看板、右方面を見るとWCが見える)
杖はもう要らないということだから、山道はこれで終る。
しかし下り道はまだ続く。
やがて道路に交差するが、手前に藪原宿まっすぐ600mの看板があり、
右手に消防署らしからぬ消防署の建物がある。
消防署前の道を挟んだ向こう側に公衆トイレがあるので用を足しておきたい。
この跡は藪原宿の先にしかW.C.が見当たらないからだ。
道路をさらに下ると左手に赤い鳥居があり、「天降社」がある。
ここは「大もみじ」が木曽村天然記念物となっている。
さらに進み両側の家並みを抜け下り坂を行くと、目の前が開け右側に、
「尾張藩薮原尾鷹匠役所跡」の碑がある。
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(鳥居の奥に見える大紅葉)
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(お鷹匠役所跡)
説明によれば、
(はじめ美洲御鷹匠役所は妻籠宿にあったが、
伊奈川にあった鷹の飼育場を統合して享保15年、ここ薮原に移された。
この役所は明治四年に廃止されるまで存続したが、
土地の人々が「おたかじょ」と呼んでいるこの場所がその跡地になる。
毎年春になると、尾張藩から鷹匠と役人が出張して来た。
鷹巣を見つけて鷹の飼育や調教・鷹の公儀献上・巣山の管理および巡視等を、
木曽代官山村家の家臣や土地の人々の手助けを得て行っていた。
厳しい自然環境の中に棲みつき育った当地の鷹は優秀であり、
生まれた幼鷹とともに鷹狩を好む尾張藩主をはじめ、
将軍家に人気があったといわれる。)(木祖村)
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(さらに下り街中に入る)
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(飛騨街道追分の標柱)
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(右の階段様の道を右折)
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(人家の軒先の感じ)
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(跨線橋を渡る)
少し町並みを下ると左手に「飛騨街道追分(分岐点)」の標柱がある。
中山道はJRの線路にさえぎられ、線路の向こうに行くには、
この標柱の右側の人家の前に、
これが道かと思われる下り道があるので、降りていく。
線路に沿って右側を覗くと跨線橋が見えるのでこれを渡る。
跨線橋を降りて道なりに進むと左側に藪原宿本陣跡の碑があり、
さらに古い旅館の(こめや)米屋がある。
米屋与左衛門のいかめしい看板を横目にして、
今度はすぐ右手にお酒のみには有名な「木曽路」の造り酒屋があり、
その向かい側に線路をくぐるガードがある。
薮原神社と極楽寺がその先にある。
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(本陣跡)
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(旅館米屋)
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(「木曽路」の造り酒屋)