(薮原駅)
(宮ノ越宿)
今日は2009年5月15日(晴)AM8:15外気温13℃と表示がある。
東京とは6℃くらい気温が低い。
国土地理院の「地図の知識」に書いてあったが、
標高100mにつき-6.4℃と言うから、標高900mのここ薮原では
こんな気温になるのであろう。
昨夜一泊した旅館の部屋には冷房の装置は無かった。
真夏でも25℃を越える日はあっても、朝夕はきっと涼しいに違いない。
今日の最高気温は18℃の予報。日本橋から29日目である。
薮原駅前を国道19号線に向かって歩く。やがて19号線に合流し、
右側の歩道を歩く。
国道は右に左にカーブして木曽川を縫うようにして進む。
(国道19号線)
(鷲鳥橋)
(吉田洞門)
(曲がりくねっている19号線)
(藤の花が美しい)
(山吹トンネル)
(木曽町の信号)
(交差点の右側に宮ノ越宿の看板がわずかに見える交通量が多い)
(義仲館の看板)
まず獅子岩橋で木曽川を渡り、次に鷲鳥橋で、ついで菅橋(すげばし)、
落石を防ぐ吉田洞門の脇を抜けて吉田橋を、さらに第二山吹橋、
山吹山トンネルの330mを抜けて第一山吹橋を渡ると信号があり、木曽町とある。
途中藤の花が咲き誇る景色があり、
雪をかぶった秀麗な山が前方に見えるが、名前は知らない。
その先にある信号の右先に(宮ノ越宿)の看板、
左先に(義仲館まで1800m)の看板を見たら、山吹橋を渡り右折する。
すぐJR中央本線のガードをくぐる。
この間、右側は木曽川のせせらぎに新緑の枝が伸びて、
三脚を持ったカメラマンが撮影の用意をしている。
大変美しい景色の渓谷である。
(渓谷のせせらぎ)
ガードをくぐると小公園がある。
公園の中に橋があり「巴橋」とある。
橋の袂に「巴淵」の石碑が建っている。
伝説が残る巴が淵と題して次のように案内がある。
(歴史が漂うこの淵は、巴状にうずまき巴が淵と名づけられた。
伝説には、この淵に龍神が住み、化身して権の守
中原兼遠の娘として生れ、名を巴御前と言った。
義仲と戦場に馳せた麗将 巴御前の武勇は、
痛ましくも切々と燃えた愛の証でもあった。
巴御前の尊霊は再びこの淵に帰住したと言う。
法号を龍神院殿と称えられ、義仲の菩提所徳音寺に墓が苔むして並ぶ。
絶世の美女巴は、ここで水浴をし、泳いでは武技を練ったという。
そのつややかな黒髪のしたたりと乙女の白い肌元には、
義仲への恋慕の情が燃えていた。
岩をかみ蒼くうずまく巴が淵、四季の風情が魅する巴が淵、
木曽川の悠久の流と共に、今も世の人の胸に響き渡る。
(巴淵の碑と巴橋、奥の車の右側に手洗い水がある。)
・蒼蒼(あおあお)と巴が淵は岩をかみ
黒髪愛しホトトギス啼く)(日義村)とある。
その脇の石碑に
・粟津野に 討たれし公の 霊抱きて
巴の慕情 淵に渦まく
とある。
(粟津野にの歌碑)
巴橋を渡り、旧中山道を進むと、
(この先道路工事中のため通り抜け出来ません)とある。
橋の袂に爺ちゃんが子守をしているのに出会ったので聞くと、
この先道路工事中で人も車も通れない、
(道路に穴が開いていて、木曽川に落ちてしまうから通れません)という。
橋を渡ったところに「義仲手洗い水」があるので、
「これが手洗い水ですか?」と聞くと
「以前はもっと山の上に在っただが、山が崩れて危ねえためここに置いた。
産土の南宮神社を拝むときの手洗い水にしたんだ。
この山の上には、義仲が烽火を上げた場所があるよ。
ここから木曽福島に合図をした場所だ。」という。
爺ちゃんなんでも良く知っている。ついでに
「旗揚げ八幡神社までまだ距離がありますか?」と聞くと、
「この川下にある二つ目の橋を左に行くと八幡神社だ。
橋を渡ると徳恩寺と義仲館がある。八幡神社はこの山の上にあるが、
何もねえとこだよ」という。
(何にも無いね)これを聞いたら、行く気が無くなった。
しかも山を登ると聞いたら余計に気力がなえた。
しかし、案内によれば宮ノ越の地名は、(この神社から町を眺めると、
町が腰の辺りにあるので、神社の腰あたり→宮ノ越になった)と言うから、
この八幡神社に寄らない訳には行かない。
(手洗い水の清水)
(葵橋の左手のガード前の案内)
(旗挙八幡宮)