(太田宿脇本陣林家住宅)
(太田宿 2)
太田宿らしい古い町並みが続く。
その街並みの中の右側に造り酒屋の新旧混じった家があり、
左手に元太田脇本陣林家住宅とその隠居所がある。
前号で述べたが、日本アルプスの偉大な登山家であった播隆上人が
アルプスの帰り道、具合が悪くなり休んだ家が、この林家である。
残念なことに、この林家で播隆上人は人生を全うされる。
この旧脇本陣は今でもご子孫の方がお住まいで、
その隣の隠居所が公開されているので、見学しよう。
美濃加茂市によると、
(林家は、初代市左衛門が中山道太田宿の現在地に屋敷を構えて以来、
脇本陣のほか太田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達も勤めていました。
また、質屋や味噌醤油の製造販売も営んでいた旧家です。
往時には、東西25間の間口を持ち、
土蔵十棟、馬屋三棟、離れ座敷などをもつ壮大な構えでした。
主屋は、明和六年(1769)に建築された居室部と、
やや遅れて建てられた座敷部とからなり、
街道に北面して立っています。
切妻の両端には立派なウダツが設けられ、
この家の権威と格式を示しています。
――後略――)とある。
(隠居宅は右側の口のあいている所)
隠居所を見学したら、道路向かい側に旧太田宿本陣門があるので、
その門を見て、昔はその裏手に本陣の家屋敷があったことを想像してみよう。
この門は、文久元年(1861)時の天皇の御妹君、
皇女和宮が下向の際新築されたものである。
和宮は十月二十七日ここ太田宿で一夜を過ごされた。
今ではこの門は美濃加茂市の有形文化財に指定されている。
この斜め向かいに中山道会館があるので訪ねてみよう。
(旧本陣の門)
(中山道みたけ館)
街道沿いは古い昔を偲ばせる作りに工夫している。
駐車場の空き地を囲うのにも昔風な造りを考えている。
道路を西に進むと、右角に石標がある。
「右関 上有知道 左西京 伊勢道」とある。
往時はこの辺りに高札場があったという。
右奥を覘くと、「清流山 西福寺」の石碑が見える。
ここが西の枡形で、ここを左折し突き当たるまで進む。
ついで突き当りを右に進み、
国道41号線をくぐり、出たところ右手には小学校が見える。
太田小学校である。
この太田小学校に昔太田代官所が置かれていた。
そこの役人の息子が坪内逍遥である。
坪内逍遥って誰?と言われる方に補足して置きたい。
坪内逍遙:1859年(安政6年)- 1935年(昭和10年)は主に明治時代に活躍した
日本の小説家であり、評論家であり、翻訳家であり、劇作家。
代表作に『小説神髄』『当世書生気質』