![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/14/aabd6759e53138bc52f9781fefba34b0.jpg)
(峠の茶屋2)
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(鳥居峠の眺望所、神社への距離案内)
(鳥居峠2)
水場の後ろに案内看板があり、
(中山道鳥居峠
御岳山眺望所まで 180m
明治天皇駐蝉所石碑まで 200m
御嶽神社・御嶽遥拝所まで 600m)とある。
道路の先を見ると、今来た道の左脇に急坂を登る狭い道が見える。
やっとの思いで登ってきたボクには、とても600mも左上に登る勇気が無く、
進むべき道路は平坦な広いほうの道と勝手に決める。
とりあえず美味しい水をたらふく戴き、小用も済ませて山間の道を行く。
峠とあるからには、向こう側は下り道に違いない。
山と山の間を通り抜ける風が強く、帽子が吹き飛ばされそう。
峠を抜けると目の前がひらけて道路は、二つに分かれる。
さてどちらかと見渡すと、
左手に「熊除けの鐘を鳴らしてください」の看板が目に付いた。
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(熊除けの鐘)
案内書に寄れば、熊よけの鐘がおいてあるので
「鳴らして進もう」とあったことを思い出した。
碓氷峠、和田峠で活躍した熊除けの鈴を持ってきたが、今回も役に立った。
鈴を忘れてきた人たちのために、大きな鈴がぶら提げてある。
子供が悪戯でもするように、カミサンと二人で交互に大きく鈴を鳴らす。
鈴は山にこだまして、もし熊がいればびっくりするほどだ。
その先は新緑に燃える栃の木の群生地があり、
「鳥居峠のトチノキ群」として木祖村の天然記念物に指定されている。
鳥居峠は中山道三大難所の一つに数えられているが、
碓氷峠の上り8.3kmが最もきつかった様に思う。次が和田峠であるが、
これは碓氷峠と比較して、上りは気にならなかったが、長い下りが大変で、
それらに比べると鳥居峠の登りは約2km、
下りも短く難所というほどのことは無かった。
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(栃の木群生地の石塔)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/01/95705b1f156843a370d544fbb0b33b3b.jpg)
(栃の木群)
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(道路脇のお地蔵様)
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(道路案内標識)
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(御嶽神社の石柱)
話を戻して、さらに進むと案内標識が見え、
右薮原宿、左奈良井宿、正面丸山公園とある。
正面道路には石の鳥居、石柱があり、「御嶽神社」とある。
奥の神殿の左右には沢山の石造物群があり、
その左側に御嶽山遥拝所がある。
そこから上に見える山が御嶽山であろうか、雪を頂いた山が見える。
遥拝所の前に急な階段があるので丸山公園に向かって下りていく。
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(御嶽山神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c0/0c108379e46a20be01791c598fb41304.jpg)
(御嶽山神社2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9d/93839cf86e6805627c46e75a5d340404.jpg)
(御嶽山神社3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a3/6e66f6d6908b902560b135abde06d2c7.jpg)
(御嶽山神社脇の石造群)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/46/e92a109e85f6838e79e1e4319f1743f5.jpg)
(神殿右横の石造群)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a6/0747cfeefb7e363f8953ba511b03a7fd.jpg)
(神殿左横の石造群2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d5/e94fab3e45d59ebad485a4de27e9cebf.jpg)
(さらに左の 遥拝所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/23/d0dbff5c40e63cc0f1ddfe922a871567.jpg)
(遥拝所から下る急階段)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f0/af0ee8f79844b551cf5c7cfe7abaf508.jpg)
(遥拝所から見た山、何山でしょうか?御嶽山?)
下りきったところが少し広場になっており、
右側に「義仲硯水」の案内看板が見える。
(昔、木曽義仲が平家打倒のため旗揚げして、北国へ攻め上がるとき、
鳥居峠の頂上で、戦勝祈願の願書をしたためるのに使った水と伝えられている。)と
「硯水の伝説」が残っている。
本来の硯水は、この場所より5~6m上に登ったところにある
水場であると案内があるので登ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/7b/6048d8e258c5f828f877a3dd7043e636.jpg)
(今の硯水/すずりみず)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c1/983868954d12f54da5781cc7ed87476b.jpg)
(数メートル山上の本来の硯水)
「義仲硯水」の場所よりさらに一段下ったところに丸山公園はあり、
そこにはまた多くの石造物がある。
「木祖村史跡鳥居峠」「信濃十名所鳥居峠」
松尾芭蕉の句碑、
・木曽の栃(とち) うき世の人の 土産かな
・雲雀より うへにやすらう 嶺(とうげ)かな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/16/b87132146dcebb58e799fc0a7e26bbe6.jpg)
(木祖村史跡鳥居峠の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/17/97a2f52c4e5b21a83237206a20c895ba.jpg)
(中央が「信濃十名所鳥居峠」右側が「雲雀より」の芭蕉の句碑、左は「嶺は今朝」の法眼の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2d/aaf589b4daa6924b4c1d3c0ac54a26a5.jpg)
(「木曽の栃」の芭蕉句碑)
さらに碑の頭部は欠けているが、雪月花の句碑で次の三句と推定されている。
・雪ならば 動きもしように 山桜
・染め上げし 山を見よとか 二度の月
・雪白し 世はほのぼのと あけの山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/40/836e58abdb177390d2c92e46e9ae4839.jpg)
(頭が欠けた石碑が雪月花の三句の碑)
また法眼護物の句碑
・嶺は今朝 ことしの雪や 木曽の秋
そして鳥居峠古戦場の碑は、
明治32年木曽村の有志によって建立された。戦国時代木曽氏が
甲斐の武田軍を迎え撃ったことや奈良井の「葬り沢」、
峠の様子が書かれていたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/76c4bb8bf92e9b766e900d57963950ee.jpg)
(古戦場の碑随分古ぼけて見える)
下りの急勾配の中山道を降りていくと、
林の間から山のふもとに広がる藪原宿が、
こじんまりと美しく見渡せる場所に出る。
この峠からが木祖村藪原宿である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/43/6eaf9b744ad65e47b911a9b62a959e35.jpg)
(下る途中に見える薮原宿)
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