中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「お若けえの お待ちなせいやし」(旧中山道を歩く 47)

2005年07月08日 08時23分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65


(鴻巣 5)
中山道を進み、武蔵水路のかかる仲宿橋を渡ると、
まもなく箕田追分に出る。この追分にある案内板に、
箕田源氏の由来について国立博物館蔵
「中山道分間延絵図」からの抜粋があり、
判り易く説明している。

(武蔵放水路の仲宿橋)

(追分のバス停)

(追分の跡碑)

(追分の跡碑2)

(箕田源氏ゆかりの地の案内)

追分の案内には、
(朝、日本橋を出発した旅人は、その日の夕方には鴻巣宿に着き、
旅籠屋に宿を取って、翌朝、再び中山道を西に向かって旅立ちます。
鴻巣宿からほぼ一里ほど行くと、箕田村の追分辺りに着き、一休みすることもあります。
追分からは、北に向かって三ツ木・川面を経て忍(おし、今の行田市)や
館林(群馬県)城下へ向かう道が分かれるので、
ここを箕田村追分と云うようになりました。)
(東京国立博物館蔵「中山道分間絵図」より)

道路は二つに分かれるので
左の道を行く。まもなく消防団の小屋の前道路の左側に、
こじんまりと一里塚の標識に出会う。

(一里塚の標柱)

そのまま進むと、吹上町の「前砂」の信号で、
またY字路に出るので右側を行く。
すぐの歩道上に中山道道案内の看板が建っているので参考にする。
高崎線を右に見ながらしばらく歩き、踏み切りの向こう側に
NTTの電波塔が見えたら、高崎線の「第四中山道踏み切り」を
渡りすぐ左折する。

(前砂の信号)

(中山道道案内の看板)

「妙見地蔵堂」を左に見て進むと吹上の市街地である。
JR吹上駅を左に見ながら、本町交差点まで進み左折すると
右側に「いぼ地蔵尊入り口」の石碑があるので立ち寄る。

(妙見地蔵)

(いぼ地蔵入り口)

(いぼ地蔵)

いぼ地蔵尊の裏手が墓地になっており、入ると「東曜寺」である。
古い宝篋印塔のある墓地を左折して中山道に出ると、
道は右に急カーブしており、カーブが終わったところに吹上神社がある。
吹上地区の鎮守。山王、氷川、稲荷の三社が合祀されている。
100メートルもいくと、高崎線の歩道橋があり、
その下に「中山道間の宿」の石碑がある。
(東曜寺)

(吹上神社)

(間の宿)

中山道はそのまま線路に沿って歩くと、線路の左向こうに
斜めに進む道路が見え、これが中山道であるが、
線路があって進めないので、先の踏切まで行って線路を渡る。

(踏み切りの案内看板)

しばらく歩くと、荒川土手に突き当たり、土手の手前に
「権八延命地蔵堂」がある。鴻巣宿に入る手前の
「勝願寺」境内にも「権八地蔵」があった。

(権八延命地蔵)

子供の頃、芝居で
「お若けえの お待ちなせいやし」
「待てとおとどめなされしは、あっしのことでござんすか」
のセリフが恰好よくて、ふざけて遊んだ記憶がある。
「待て」と止めたのが侠気の塊のような
幡随院の長兵衛であったからだ。

このセリフが白井権八と遊女の小紫の芝居であったのは、
成人してから知ったが
ずいぶん昔を思い出させてくれる。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本橋から鴻巣まで50キロ近くありますよ! (どら)
2005-09-22 11:22:11
日本橋から鴻巣まで50キロ近くありますよ!
一日で こんなに歩くってむかしの人は 足腰が強いのですね? いまより道路状況もわるかったでしょうに。
自分がいかに軟弱になっているか思い知らされました。
間の宿が無かったら 野宿になりそうです。
白井権八 名前は聞いたことあるけれど どんな人か知らないな! 
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この台詞、私もなぜだか覚えています。 (salasala)
2005-09-30 12:16:09
この台詞、私もなぜだか覚えています。
このあたりが舞台だったのですね。
返信する

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