(浅間山古墳)
(本庄宿6)
中山道は、金鑚神社の社域に沿って道路を右折する。
4~50mさきの歩道橋手前を左折して旧中山道を進む。
4kmほどは、ただただ、ひたすら歩くのみで、
何もお話しすることはないし、史跡もない。
やがて、左手に赤い鳥居と小高い山がある。
これは浅間山古墳で、この上には浅間神社がある。
小さな階段を上ると、頂上と思しき所に、
金網でふさがれた洞窟ようの穴が見えるが、
これが古墳の址なのであろう。
他に、特にお伝えするようなものは何もない。
この古墳の鳥居の20mほど先の道路の右手に、
「中仙道」の石碑があり、
その先に「泪橋の由来」の碑と泪橋の橋げたが建っている。
(中仙道の石碑)
(泪橋の橋げた)
その由来の石碑に拠れば、
(この地武蔵国賀美郡石神村浅間山地先
中山道に、泪橋なる橋ありき。
昔徳川幕府は、大名諸役等通行の砌、
街道筋住民に伝馬なる苦役を課したり。
農繁期の最中に又酷寒風雪の日にも
伝馬の人々この橋に憩い、家族を偲び
身のはかなさを嘆じて泪しきりなり。)
とある。(本庄市教育委員会)
この地区の伝馬役に苦しんだ庶民の泪を思うと、
よほど厳しいお達しであったのであろう。
(泪橋の由来碑)
(本庄宿6)
中山道は、金鑚神社の社域に沿って道路を右折する。
4~50mさきの歩道橋手前を左折して旧中山道を進む。
4kmほどは、ただただ、ひたすら歩くのみで、
何もお話しすることはないし、史跡もない。
やがて、左手に赤い鳥居と小高い山がある。
これは浅間山古墳で、この上には浅間神社がある。
小さな階段を上ると、頂上と思しき所に、
金網でふさがれた洞窟ようの穴が見えるが、
これが古墳の址なのであろう。
他に、特にお伝えするようなものは何もない。
この古墳の鳥居の20mほど先の道路の右手に、
「中仙道」の石碑があり、
その先に「泪橋の由来」の碑と泪橋の橋げたが建っている。
(中仙道の石碑)
(泪橋の橋げた)
その由来の石碑に拠れば、
(この地武蔵国賀美郡石神村浅間山地先
中山道に、泪橋なる橋ありき。
昔徳川幕府は、大名諸役等通行の砌、
街道筋住民に伝馬なる苦役を課したり。
農繁期の最中に又酷寒風雪の日にも
伝馬の人々この橋に憩い、家族を偲び
身のはかなさを嘆じて泪しきりなり。)
とある。(本庄市教育委員会)
この地区の伝馬役に苦しんだ庶民の泪を思うと、
よほど厳しいお達しであったのであろう。
(泪橋の由来碑)
分からない事があったら、お尋ねねしますので、
よろしくお願いします。