(お江戸日本橋3)
(日本橋の文字は慶喜揮毫か)
(日本橋の文字は慶喜揮毫か)
童謡 「一寸法師」は次のような歌詞になっている。
〽指に足りない一寸法師
小さな体に 大きな望み
お椀の舟に 箸の櫂(かい)
京へはるばる 上り行く〽
最後の一句「京へはるばる 上り行く」とある。
現在は新幹線などすべて、東京に向かって上りになる。
それは天皇が東京にいらっしゃるからだ。
しかし、五街道が出来た頃は天皇が京都にいらっしゃったので
「京へ上る」となる。この違いだけ頭に入れておきたい。
日本橋を後に、徒歩で京を目指すことにした。
途中、界隈に残る文明開化の足跡を訪ね、
往時の偉人を偲びながら、可能な限り史跡も訪ね、
写真もふんだんに撮りながら、できるだけ当時の様子を
伝えようと、盛り沢山に欲張って歩こうと思っている。
(お江戸日本橋の浮世絵)
♪お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり
行列そろえて アレワイサノサ
コチャ 高輪(たかなわ)夜明けて
提灯けす コチャエ コチャエ♪
とあるように、
昔の旅人は朝四時(歌の文句の/七つ立ち)に出発して、
♪お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり
行列そろえて アレワイサノサ
コチャ 高輪(たかなわ)夜明けて
提灯けす コチャエ コチャエ♪
とあるように、
昔の旅人は朝四時(歌の文句の/七つ立ち)に出発して、
第一番の宿場 高輪(品川)で夜明けを迎えた。
旅人は一日に約40キロの距離を歩いた。
しかし、始めに書いたように、ボクは史跡を訪ねながら
歩くので、そんなに遠くまでは歩けない。
中山道の第一の宿場 板橋に到着するのに
4日が必要であった。
真っすぐ歩けば十キロそこそこなのに、
ボクは優に60キロを超えていた。
旅人は一日に約40キロの距離を歩いた。
しかし、始めに書いたように、ボクは史跡を訪ねながら
歩くので、そんなに遠くまでは歩けない。
中山道の第一の宿場 板橋に到着するのに
4日が必要であった。
真っすぐ歩けば十キロそこそこなのに、
ボクは優に60キロを超えていた。
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