![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/3a/f0b7cbde4d08f3da5313cd6a6204c64e.jpg)
(十三峠入口の石碑)
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(西行塚100mの案内)
(大井宿 5)
今回まで西行法師と縁が切れない。
十三峠の石碑を過ぎると、道路は石畳に変わる。
旧街道の臭いがしてくる。
そして西行塚までと西行の森までの
里程が記された中部北陸自然歩道の木の案内が旧街道らしさと、
「これから山登りだぞ」と覚悟させる表情を見せる。
(西行塚0.1km)の案内に、何処、何処と見渡す。
馬頭観音が藪の奥にひっそり立っている。
石畳を少し進むと「伝西行塚」右ですの案内と、
「五輪塔」「見晴台」右矢印の案内が急な階段と共に目に入る。
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(石畳の道)
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(馬頭観音)
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(西行塚への急な階段)
見上げると急な階段は上のほうで左折しており、
行き先が見えない。階段は一定の歩幅に造られているので、
ボクのように短足だと歩幅が合わずに登り難いものだ。
どんな急な坂でも、どちらかと言うと階段でないほうが登りやすい。
歩幅を自分の足に合わせて進めることが出来るからだ。
三回くらい休憩して、やっと西行塚が見えるところまで来た。
西行の五輪の塔があるところまでは、さらに数段登らねばならない。
岐阜県の指定(史跡)になっている西行塚について、
(恵那市の市街地を一望できる小高い丘の上に築かれたこの塚は、
歌聖 西行法師の供養のために造られたと言われています。
小さな塚の上には、高さ約1.4mの五輪塔が立っており、
形式的には、室町時代末期のものと推定されます。
西行がこの地で入寂したと言う伝説は古くからあり、
慶長十九年(1614)に書写された当市大井町の長国寺に伝わる
「長国寺縁起」に終焉の様子が細かく記されています。
西行塚は、大田蜀山人の旅行記「壬戊紀行」(1802)や
秋里離島の「木曽路名所図会」(1805)など、
江戸時代の出版物に登場し、古くから中山道の名所として有名で、
今も大切に祀られています。)(恵那市教育委員会)
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(伝西行塚)
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(見晴台から見た恵那市)
西行の五輪塔の横には、恵那市が造った見晴台があり、
確かに恵那市が一望できる。
ここで晴れ渡った空の下で少し休む。
恵那市が訪れた人に署名と感想を記入するノートが置いてある。
開いてみると、4日前に訪れた横浜の方の名前が記入されていた。
考えてみると昨日追い越していった、
お揃いの赤いリュックを背負ったご夫婦が
ボクの前を歩いているはずである。
その方はただ中山道を歩いていらっしゃったので、
この西行塚には寄られなかったのであろうか・・・
その昔、ボクを追い越していった人は、
中山道を14日で踏破すると話しておられた。
ボクのようにキョロキョロ見ながら歩く人は少ないのであろうか?
話を戻して、西行塚を跡に今度は塚の反対側に降りていくと、
山の中にしては、立派なお手洗いがあり、
中山道の石畳に出る。
十三峠は、この先長いので用は済ませておきたい。
十三峠とは、峠が十三あるところから名が付いていると言う。
中山道で今まで一番辛かったのが碓氷峠であるが、
この度の十三峠は、かなりしんどかった。
ボクにとって、中山道一の難所に感じられた。
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(石畳の中山道)
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(途中の中山道の案内)
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(槙ヶ根の一里塚)
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(一対のもう一つの一里塚。松が植えてある)
その先は石畳の上り坂である。
登りきって開けた明るい場所に出ると、
そこが「槙ヶ根の一里塚」で両側に一対になって残り、
いずれも松の木が植えてある。
山の中で地形上、場所が上手く取れなかったのか、
左右で約10m位置がずれている。
この先が西行の森になっており、
西行が好んだ桜の木を100種類、
合計130本が植えられていると言う。
ボクが歩いた時期には、桜ならぬ紅葉が陽に映えて美しかった。
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(西行の森、桜百選の園)
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(紅葉が美しい)
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(中山道の案内と枯葉)
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(広い舗装路)
道路は山の中の枯葉の砂利道を,
シャンソンの「Autumn Leaves(枯葉)」を思い出し、
熊よけに丁度良いと、口ずさみながら音痴丸出しで進む。
(この音痴には、さぞや熊もびっくりしたに違いない。)
所々「中山道」や「東海北陸自然歩道」の案内に助けられ、
道路に誤りが無いことを確認しながら進む。
やがて広い舗装道路に出る。
道路の左右に、水戸屋茶屋跡、槙ヶ根茶屋跡、etc.などを通り、
右手にコンクリート生コンの工場を見たら、
右の脇道に入る。
「熊出没注意!」の看板がある。
(音痴に驚いて、熊は遠くに逃げているはず。)
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(茶屋跡)
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(茶屋水戸屋跡)
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(コンクリート工場跡)
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(熊出没注意)
しばらくして、やや広い場所に出ると、左手に石碑があり
「右 西京 大阪、 左 伊勢 名古屋、」道と書かれている。
京 大阪への道の中山道は上街道、伊勢 名古屋への道は下街道といい、
下街道への追分になっている。
下街道を行けば、名古屋へ出ることになる。
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(立場茶屋の説明板)
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(立場があったと思われる場所)
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(かまど跡)
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(柵のあるところが 井戸跡)
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(下街道伊勢・名古屋への追分の道標)
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(下街道への分かれ道、柱の前の道)
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(下街道の枯葉道)
また槙ヶ根の立て場茶屋跡には、九軒の茶屋があったと言う。
そのかまど跡や古井戸跡が見受けられる。
なおも石畳道を登る。
やがて馬頭観音像のある地点の、
高い所に「姫御殿跡」の石碑が見える。
ここは祝い峠といい、
文久元年(1861)皇女和宮が通行された時、
仮小屋を立てて御小休みされた場所である。
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(なお登る石畳道)
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(路傍の馬頭観音)
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(姫御殿跡)
その先左側に「首なし地蔵」が屋根付きで祀ってある。
宝暦六年(1756)地元の人たちが旅人の道中安全を願って建てたもの。
お地蔵様の首を刀で切り落としたと言う伝説が残っているそうだ。
途中、「下座切り座」の標柱があるが、村役人が裃(かみしも)を着て、
土下座して向えた場所であると言う。
その後道路は急な下り坂になり、
行列も乱れるほどの急坂であったことから、
「乱れ坂」といい、坂を下り終えた場所が右に曲がり橋を渡る。
大変小さな橋であるが、川は深く「乱れ川」と
昔は言ったほどの急流であったため、
この橋を渡るときは有料であったと言う。
今は静かな川である。
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(首なし地蔵跡)
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(首なしのお地蔵様)
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(下座切座の碑)
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(乱れ坂の急な下りの石畳、先を右に廻った所に橋がある。)
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(乱れ坂の終りにある乱れ橋。3mほどの小さな橋だが川は深い)
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(橋からのぞいた川面)
楽しく、拝見!!
ありがとう~~ございます。
ようこそ!
下手で堅苦しい文章を読んでいただきありがとうございました。
この紀行文続けてお読み頂きますよう、
お待ちしております。
お訪ねいただきありがとうございます。
中山道を踏破するご計画があるとか、
無理をしないで体にお気をつけください。