(中山道 恵那市に入る境界の案内看板)
(大井宿)
茄子川村の御小休所跡を過ぎて古い家並みの間を進み、田んぼの中に
左に大きな中山道の石碑、右に恵那市の案内看板の間を抜けて行く。
ここから恵那市に入っていく。
道路は「広久手坂」と言われて、
登り坂で右手に馬頭観音が置かれ旅人の安全を祈願している。
進むと左手に大きなヒノキの木がたっている。
これは中山道大井宿岡瀬沢の社宮司(しゃぐじ)です。
中山道の南側10mで地目原野29平方㎡が社宮司です。
信州の諏訪が元になっている土地の神の信仰であり、
木の神とされます。
(広久手坂)
(馬頭観音)
(社宮司)
(岡瀬沢の常夜灯)
(甚平坂ポケットパーク)
(ポケットパーク内の旧中山道)
(ポケットパーク内の旧中山道案内)
(根津神社入口の階段)
(階段上から見て)
その先は広い道路と交差する。
交差点の先左側に岡瀬沢の常夜灯がある。
その先数百mで甚平坂になり、
甚平坂ポケットパークがある。
甚平坂は、鎌倉時代の根津甚平の活躍による名である。
岐阜県によれば、
(むかし信濃の国の桔梗が原に八重羽のキジという化け鳥が居た。
口ばしは槍のようにとがり、羽根は刀のように鋭く、
羽風に当ると災いが起きると言い、
里人や旅人の内で命を奪われる人が多かった。
困った鎌倉幕府は根津甚平に化け鳥退治を命じた。
甚平は馬に乗り、犬と鷹を連れ、
多くの家臣と息子をひきつれてキジを追った。
キジは羽音高く飛び立って西の空に姿を消したが、
数日の後にこの坂に追い詰めた。
しかし馬はここで倒れ、
犬と鷹はなおも追い続けたが、犬は日吉(現瑞浪市)で力尽きてしまった。
そこで里人はこの坂に犬と馬のなきがらを葬ったと言う。)(岐阜県)
その先に根津神社がある。
神社の後ろにある宝篋印塔は根津甚平の墓であると言う。
(伝説の「馬塚」。残念ながら犬塚は見落とした)
この甚平坂は江戸の浮世絵師
広重が大井宿の浮世絵を書いた場所として有名である。
広重も休んだであろうが、
ボクもここで昼食を頂いた。
(広重画く浮世絵。木曽海道69次之内「大井」)
(広重の浮世絵は、甚平パークのこの場所から画いた雪の図と言う)
わたしだったら、うれしいかも。