(広重の浮世絵)
(甚平坂ポケットパークにある浮世絵のレリーフ)
(大井宿 2)
広重の浮世絵、木曽海道69次之内「大井」について、
「中津川から二里あまりで大井宿にいたる。
図は、暮色迫る中、雪深い峠道を行く人馬が画かれる。
恐らくは中津川から大井へと至る甚平坂辺りを画いたものとされる。
山々はもちろん、人や馬の上にも雪は降り積もる。
背景の山は、右手の松の後ろに画かれているのが恵那山、
左手に見えるのが木曽の山々で、
一番奥に白い顔を出しているのが御嶽山であると言う。
――後略――)とある。
(中山道広重美術館編集、木曽海道69次之内より)
その甚平坂のポケットパークから見た恵那市の風景が、
広重が画いた場所であろうと考えられている。
その甚平公園を跡に道路を行くとすぐ左側の階段の上に、
根津神社があり、根津甚平のお墓がある。
(ポケットパークから見た恵那市風景)
(根津神社本殿)
(根津甚平のお墓)
(恵那市外を見渡せる道路を左折)
根津神社を過ぎると、大井宿を広く見渡せる場所に出る。
旧中山道はここを左折すると、国道19号線を陸橋で渡る。
西行葬送の寺 長国寺へは道なりに直進するが、
旧中山道は、道路反対側に見える(菅原神社の鳥居)まで進み、
その左手にあり階段を降りる。
階段の上には案内があるので間違うことは無さそう。
(菅原神社鳥居)
(大井宿へはこの階段を降りる。)
(階段を降りたところにある馬頭観音)
(寺坂の石造物群)
(淡きり地蔵)
階段を降りたところが寺坂で、馬頭観音増が鎮座する。
その少し先に沢山の石仏が並んでいるが、
これを上宿の石仏群とよぶ。
左から二体目が痰きり地蔵と言う。
ボクは寝る前に咳が出て、なかなか痰が切れないので、
賽銭を払って帽子を取り、両手を合わせてお祈りをする。
そのせいかどうか判らないが。旅行中咳き込むことも無く、
それなりのご利益があったと思っている。
しかしカミサンに言わせると、
「田舎で排気ガスも少なく、
また山の中の林の中を歩いたので、
空気が綺麗だったお陰ですよ」とは、
神も仏も無いお言葉であった。
さて、道路は明知鉄道のガードをくぐると、
下り坂になり、右側に大井宿高札場がある。
高札は八枚掛かっている。
(鉄道のガード)
(坂ある高札場)
(高札場2)
高札は制札ともいい徳川幕府が、
農民や商人を取り締まる基本的な決まりを
公示したものである。
(高札場は村のうち人通りの多い目に付きやすい場所に建て、
幕府の権威を誇るよう石垣や土盛を築き、
時には矢来で囲むこともあった。
そして管理を藩に命じ、村人に決まりを厳しく守らせ、
付近の掃除や手入れもさせた。
高札の書き換えは、決まりの改正や老中の交代、
年号の変わるたびに行われたが、
8代将軍吉宗以後は書き換えず、
正徳元年(1711)5月付けの高札が
幕末まで維持された。
慶応四年(1868)明治新政府は新しい高札に架け替えたが、
明治三年高札制度を廃止した。)(恵那市教育委員会)
高札場を過ぎて突き当たると、道路は左折している。
右側に「延寿院横薬師」がある。
これが第一の枡形になる。
(第一の枡形)
(延寿院)
大井宿には六個の枡形があり、今まで歩いた中山道で一番多い。
少し歩くと左手に大井宿本陣跡(岐阜県史跡)があり、その先を右折する。
これが第二の枡形になる。
(第二の枡形、本陣前)
左手には大井宿庄屋の古山家があり、
今では「中山道ひしや資料館」として
一般に開放されている。(入場料大人200円)
その先左手に第三の枡形があるが見落としやすく、
ボクも見落としてしまった。
ここには民家の窓下に「中山道 枡形」の看板があるので
注意が必要だ。また右側には大井宿の常夜灯、その反対側の民家には
「中山道」の矢印があるので見落とさないよう気をつける。
(大井宿庄屋、ますや資料館)
(第三の枡形、見落としやすい)
(曲がった所にある常夜灯、道路の左にも中山道の案内がある)
右折して奥をのぞくと通りの奥に鳥居が見える。
途中の左手は旧家のようで、近づくと大井村庄屋古屋家である。
奥の鳥居は、市神神社がある。
(奥を見ると鳥居がある)
(第四の枡形、市神神社)
(途中に二軒目の大井宿庄屋、古屋家がある)
ここが第四の枡形で左折する。
商店街は突き当たるのが見えるが、ここが第五の枡形で左折する。
少し行くと広い道路に出るが、ここが第六の枡形になり、
右手に大井橋が見える。
(商店街突き当たり。)
(郵便ポストの所。これが第五の枡形)
(大井橋、これが第六の枡形)
大井橋は欄干に中山道69次の浮世絵が掲げられており、
写真を取っていたら小学生に、
「おじさん何しているの?」と訊かれた。
「昔の人のように、中山道をてくてく歩いています。
昔の人がどんな思いで歩いたのかを感じているのです。
ボクは歩いているけど、
君たちは将来宇宙を旅行することが出来るよ」と話すと、
「ほんとに出来るようになるかなー」と言って、
行き過ぎていった。
早くそんな時代が来ることを願っている。
(欄干に木曽海道60次の浮世絵が掲げられている)
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