中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

茄子川御小休所(なすかわおこやすみどころ)(旧中山道を歩く 220)

2010年12月21日 11時00分16秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2



(県道をくぐる手前の石造物群)


(左手前が馬の水のみ場。交差点先右側で家屋の前が坂本立場跡)

(中津川宿 7)
中津川宿から大井宿まで8kmほどであるのに、
随分長く感じるのは水田が続く田舎道、坂道が多いせいなのだろうか。
「三ツ家の一里塚」を過ぎて広い通りを横断し、
坂を登った先の比較的広い道を渡った右側に「坂本立場跡」の碑があるが、
立場の家などは無く、ここで馬を休めたのだろうか、
道路を渡る手前左側に「馬の飲み水場」の池がある。

中山道は左に右に折れて下り、
県道をくぐる手前左側に沢山の石造物が並んでいる。
県道をくぐると川に出るが、
この川の橋を渡った先に「坂本の観音様」が右側にある。
さらに進むと茄子川の高札場跡の碑が左手にあり、
この先が江戸時代の茄子川村の入口になる。


(坂本立場跡の碑)


(馬の水のみ場の池)


(坂本観音様。右奥の建物)


(茄子川村高札場跡の碑)


(尾州白木改め番所跡の碑)

中山道を現す白と黄土色を混ぜたアスファルト道路を進むと、
右手の田んぼの端に「尾州白木改番所跡」の碑がある。
木曽の白木製品を隠して領外に持ち出せないよう監視を行った所で、
中津川の東側にも改番所があった。
(http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2010/10/post_866a.html参照)
木曽の材木を幕府は管理して、重量材は木曽川をくだり、
軽量な白木製品が領外に出るのを監視した。
しかも徳川家を絶対裏切らない親戚、尾張徳川家に管理を委ねていた。

間もなく古い家並みの住宅街に入っていくが、すぐ左手に篠原家があります。
大井宿と中津川宿の間は距離が長く、中間に茄子川御小休所が置かれました。
それが篠原家です。

説明によると
(篠原家は、加賀前田家の重臣篠原一孝の子弥右衛門が、
十七世紀の初め頃当地に移り住んだことに由来する。
篠原家の当主は代々「長八郎」と名乗り、茄子川村の村役人、
尾張領の庄屋、戸長など歴代にわたり務めた。
――中略――
家の脇には中山道から遠州秋庭道への分岐となる大灯篭が置かれています。
篠原家は中山道通行時の休泊施設として、
和宮、明治天皇が御小休した建物が現存し、
休憩した部屋、厠、表門などは当時のままに保存されています。)
(中津川市教育委員会)


(篠原家)


(篠原家の休息所の碑)

家の先に常夜灯が秋場道を挟んで両側に建っている。
(茄子川村は御三家の尾張徳川家の支配地で、
東西を中山道が縦貫し、ここにある常夜灯は安永五年(1776)に建てられ
「これよりあきばみち」と刻まれた道標にもなっている。)(中津川教育委員会)

道路は古い家並みを抜けて、田んぼの中を抜けて、
江戸時代から陶磁器の生産をしていた茄子川焼窯場跡を過ぎると、

大井宿に入っていく。


(秋葉道の常夜灯。左側が秋葉道)


(秋葉大権現の常夜灯。右が秋葉道)


(茄子川窯場跡)










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