司馬遼太郎の小説に『俄 浪華遊侠伝』というのがある。 俄師の話ではなく、維新前後の浪花を舞台に生き抜いた大親分の波瀾万丈の物語である。
その主人公万吉が、晩年に己の人生を振り返って述懐する。「わが一生は一場の俄のようなものだった」と。
たった一度の短い人生、アハハと笑うてオチをつけてお終いや、そんな思いなのだろう。「ほな往てくるで」と陽気にこの世を去っていく。
司馬遼太郎が小説の題名に『俄』と付けたのは、人生は俄のようなものだと言いたかったのだろう。
死ねば全てが終わる〈一回性〉、何が起こるかわからない〈意外性〉、そのときどきを生きる〈即興性〉、笑いで吹き飛ばす〈滑稽性〉、良くも悪くも良しとする〈遊戯性〉、最後にすべてを納得させる〈饗宴性〉、より良かれを神仏に祈る〈神事性〉が人生と俄の本質だと。
若いころ、32年ぶりに村の地車が新調されて、俄を作らなければならなかっとき、台本が残っていないか古老に聞いてまわったが、誰も持っていなかった。
ある古老が言うに「俄というのは一回きりのもんや。特に、祭りの宮入でやる奉納俄は二度としたらあかんと言われてたんや。同じものを神さんに奉るのは失礼やろ」。
そのため、俄の台本は残っていなかった。残す必要がなかったのだ。
「コピーたらいう便利なもんもなかった時代や。教へてくらはる人が言わはるセリフを、皆必死に帳面に書き写したがな」
口立ての時代だった。
「祭りの前ともなるとな、百姓(農作業)仕舞うて(終わって)、俄の稽古や言うて、夜に皆(青年団)が(村の)会所に集まるんやが、たいがい酒飲んでた。
酒代がのうなったら(無くなったら)、皆が自分とこの納屋から米盗んできて、それ売って酒代にした。
次の日は余った金で大軌(近鉄の前身)乗って飛田行って、後で親にばれてえらい怒られたもんや」
戦後とはいえ、まだまだそんな時代だった。みんな〈俄〉そのものに生きていた。
いたしかたなく、必死に台本を作った。
しかし、ワープロの時代だったので残っていない。
※『俄 浪華遊侠伝(上)』 (講談社文庫より)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます