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Echo and Narcissus, 1903, by John William Waterhouse
4 ナルシスとエコー
ぐらい奇妙なカップルは珍しいでしょう。しょっちゅう一緒でしたから、恋人同士に見えましたし、たぶんそう呼ばれてもいいのでしょうが、この二人の会話は、次に見るような具合でした。
「風が肌を刺さないようになった。もう春なんだね」
「もう春ね」
「オキザリスはもう咲いた。オオイヌフグリの花はまだかな」
「まだかしらね」
「山へ行こうかな。花もきれいだが、オオアゲハとかサンジュウロクホシテントウムシなんかが飛んでいるのを見られるかも知れないぞ」
「見られるかも知れないわね」
「いや、やっぱりよそう。アナコンダやホラアナグマが目を覚ましたのに出くわすのはいやだ」
「いやあね」
こんなふうに、エコーはいつも、ナルシスの言葉の、最後のあたりをただくりかえすだけでした。
それはこういう理由からです。ナルシスは、質問されたり、反対意見を言われたりするのが何よりも嫌いでした。それなのに、今まで彼と仲良くなろうとした若者や娘達は皆、話をしているうちに、軽い気持ちで、例えばこんなふうに言ってしまうのです。
「まだ春というにはちょっと早いんじゃないかなあ」
「山には行かない、とすると、あなたはどうなさるおつもり?」
そんなときナルシスは、たちまち機嫌を悪くして、もうその人たちとは口を利かないどころか、目を合わせることすらなくなってしまうのです。
エコーは、元々はとても活発でおしゃべりな娘でしたが、ナルシスに恋をしてから変わりました。できるだけ長く彼と一緒にいるにはどうしたらいいか一所懸命に考えて、とうとう、自分の頭から言葉を出すのではなく、ナルシスの言ったことを言った通りに口にすればいいのだ、と気がついたのです。そうすれば、ナルシスは、エコーを見つめることはありませんでしたが、邪魔にもしなかったからです。世界一気難しい若者を愛する身としては、とりあえずそれで満足するしかないようでした。
しかしここにはまた、エコーも知らない深い事情があったのです。
ナルシスの母親はレイリオペという名の水の妖精でした。彼が生まれて言葉を話し始めてから間もないある日、名高い予言者のテレンシアスに出会って、こう尋ねてみる気になったのでした。
「この子は長生きできますでしょうか」
「ああ。自分自身を知らないでいればな」
と、予言者はいつものように謎めいた言い方で答えました。
レイリオペにはその意味がなんとなくわかるように思えました。「自分を知る」、いやむしろ「自分を見つける」、それはたぶん恐ろしい試みに違いないだろう、と。
レイリオペも、一日に一時間以上は鏡の前で過ごしはしましたが、それはむしろ、誰もがうっとりするほど美しくなって、「私って、結局、何?」なんて疑問が他人の頭に、そして自分の頭にも、浮かばないようにするためでした。あまりに純朴な我が子には、どうもそういうことはできそうにありません。すると、どういうことになるのでしょう?
また、我が子がしたことの理由を尋ねたりするのも、どうかと思われました。結局のところ、親は、幼子に「それをしてはいけない」と教えるために訊くのでしょう。でも、「なぜやってはいけないのか」まではいいとして、またそれは理解されたとして、次に来るのは、「ではなぜ僕はやってしまったのか」、それから「それをやってしまった僕って何なのか」という問いではないでしょうか。
たいていの人は、そんな問いに長く関わっていたくないからこそ、余計なおしゃべりをして時を過ごすのですが、ナルシスは、一度こんな疑問に取り憑かれたら最後、どこまでも一途に考え込まなくてはすまない、そういう性格ではないか、と、母親の直感でわかっていたのです。
そこでナルシスは、鏡を見ることもなく、「なんでそんなことをするの」と尋ねられることもなく、「いけません」とさえ滅多に言われずに、子どもから青年へと成長しました。おかげで、よそからはひどく傲慢でいやな男だと思われるようになりましたが、実際には、自分でも知らないうちに(それが大事なのです)、母親の望み通りになった、非常によい子だったわけです。
だけでなく、彼は誰よりも、この世で生きていくための重荷を感じず、毎日愉快に暮らしていたのです。この日突然悲劇がやって来るまでは。
最初に述べたようなことを言いながら、ナルシスは春先の野に出ました。後にはエコーが影のように寄り添っていたのですが、彼はいつものように彼女を意識することもほとんどありませんでした。ふと、泉のせせらぎが聞こえてくると、急に喉の渇きを覚えた彼は、そちらへ行って、一口飲もうとしました。
その時です、ナルシスは水底に、非常に美しい若者がいて、こちらを見つめているのに気がついたのです。息も詰まる思いがして、自分でも知らないうちに、こう言っていました。
「君は誰?」
これは彼の口から出るには全く相応しくない言葉でした。質問されることが嫌いなので、質問することもなかったからです。
その上、この質問はそのまま彼に返されました。声は聞こえませんでしたが、泉の中にいる若者の赤く優雅な唇も、「君は誰?」と動きましたので。そして、エコーが心底から驚いたことに、ナルシスが答えたのです。
「僕はナルシスだ。君は誰なんだい?」
同じ答えと、質問とが返ってきます。ナルシスはこれまで一度も味わったことのない激しい感情に襲われて、大声で叫びました。
「どうして答えてくれないんだ。僕は本当に君のことが知りたいんだ」
そばで見ていたエコーには、彼の言葉を繰り返すことはもうできませんでした。こんなに心乱れたナルシスは初めて見たからです。
とてもよくないことが起ころうとしている、いえ、もう起きてしまったことはエコーにもわかりました。たぶんもう手遅れなのです。それでも彼女は、それまでの習わしを破り、自分は知っているのにナルシスは知らないことを、口から出さずにはいられませんでした。
「無駄よ、ナルシス。あなたが話しかけているのは、水に映ったあなたの像なんですもの。答えてくれるはずはないわ」
「そうだったのか。僕はこんなに綺麗だったんだな。
それだけじゃない。あの褐色の、大きな目は何を見ているのだろう。僕か? そりゃそうだ、これが僕だとしたら、僕以上に見る値うちのあるものがどこにあると言うんだ。
栗色の艶やかな巻毛に半分隠れているあの耳は、何を聞いているのだろう。僕の声だけ、に決まっている。それ以外の何かを聞いたとしても、それが何になるだろう。
この世に僕以上に、僕以外に、見たり聞いたりして、知らなくちゃならないものなんて何もなかったんだ。どうして僕は今までそれに気づかず、どうでもいいつまらないことばかりにかまけて、生きてきてしまったろう」
「しっかりしてよ、ナルシス」
とエコーが必死に叫びました。
「そこにあるのはあなたじゃないわ。とても綺麗だけど、ただの影に過ぎないのよ。そんなの、あなたが泉の傍を離れたら、たちまち消えてしまうのよ。
あなたが本当にいる場所は、あたしたちの間なのよ。お母様やあたしのようにあなたを愛していたり、他のたくさんの若者たちのようにあなたを嫌っている人たちの中で、怒ったり笑ったり泣いたりしているのがあなたなのよ。つまらなくても、くだらなくても、それが生きるということなのよ。
ねえ、戻ってきてよ、お願いだから」
しかしこの言葉はもうナルシスには届かないようでした。彼はいつまでも水の中の彼自身を眺めていようと決心したのです。
すると、母親譲りの、妖精の力が働き出しました。彼の体はするすると縮こまり、小さな玉のようになったかと思うと、緑と白と黄色いものが音もなくそこから生えてきて、気がつくと、ナルシスがいたところには、可憐な水仙の花が一輪、そよ風に揺られておりました。
エコーは長い悲鳴を上げました。花になったナルシスに触れることも、彼が魅入られた泉の中を覗き込むことも恐ろしく、他にどうしようもありませんでしたから、泣きながらその場を離れました。
以下は後日談です。この水仙は、たまたま通りかかった裕福な商人の娘の目にとまり、抜かれて、彼女の家の花瓶に移されました。それから、ともかくそれまで誰も見たことがないほど美しい花ではありましたから、枯らすのは惜しいと、天井から吊り下げられて、ドライフラワーになりました。
こうしてナルシスは、ガラスケースの中に入れられて、ただ見られるだけの存在となって、長くこの世にとどまりました。テレンシアスの予言は、このようにして成就されたのです。
エコーのほうは、あまりにも悲しかったので、ナルシス抜きの、人と人の間の世界に完全に戻る気にはなれず、姿を隠しました。でも、声だけはときどき現れます。山の中で大きな声でしゃべると、自分で言った話の最後のところがどこからか聞こえてくるでしょう。あれが、今もまだナルシスの面影を慕い続けている、エコーの声なのです。