スナップ写部ログ

デジカメ写真のブログです!先客万歳コメント大歓迎! 

海王丸in福島

2012年12月23日 21時39分57秒 | 帆船~船
本屋さんに行ったら、目にとまったので。。



おぉ!  あこがれの夜行寝台特急♪
カシオペアや北斗星で北の大地へ、そして出雲へ。。

行ってみたいなぁ!

あ、でも、乗り替えや停車駅で連続殺人事件が起こったらアレだなぁ。。

●19日の月です。



アップにしてみる。。
40万キロメートル先のものが、こんなに写るって、今のカメラってすごいのですね♪



露出を伸ばしてみる。。



20日の月です。



木星です♪



22日の月です。





23日の月です~ ちょっとピントに不満あり。。



●さて、今秋で三度目の福島県に行きました。
いわき市の小名浜(おなはま)で、一般公開中の、4本マストの大型帆船・海王丸のデッキにあがってみました♪



早く着きすぎたので港を散策・・





最高の天気でした~











でも、、まだまだあちこちで工事中。。



場所は、水族館のアクアマリンの近く。津波被害で20万種をこえる生物が被害を受けて壊滅に近かったそうです。
左後ろの建物が水族館です。

乗船時間がせまったので進んでいきましょう。





ここから乗船します♪



最高の天気!  、、、寒かったけど。。









これは撮らずにいられない!





磨き抜かれたキャプスタンのヘッド?
ここが適当だったらカミナリが落ちるかも。







お土産に買ったピンバッチ300円。



前回、晴海で買った日本丸のと並べてみました。



単なる画像反転ではない、両船の特徴をとらえたピンバッチです。
(私ではないですが)細かいところを突っ込む人のために。。。

●まだ乗船したばかり、実は一回降りて、二回目も撮ってきたふくやぎです。。
 もうしばらく続けます。。

これは、以前アップの総帆展帆の日本丸。
再掲載ですいません。。



これまた、以前アップの浦賀沖の海王丸。
再掲載ですいません。。



では。。




月と水星

2012年12月16日 21時29分53秒 | 月・星・空


間が空いて申し訳ありませんでしたが、福島県のお話を続けます。。



福島市から相馬市にぬける国道115線です。。







こんな感じで、ここは放射線量はどうなのでしょう。。。?



福島市の、満願寺、黒岩虚空蔵尊。



境内から望む阿武隈川。  雄大で、勇壮で、豪快な。。









虚空さんですから、丑と寅の守りです。



















●さて、福島県の浜通りを北から言うと、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、いわき市です。

見て分かるように、原発のある町は『平成の市町村大合併』をしていません。

しかも、原発は町境をまたいで立地していますから話はややこしいのです。

海岸沿いが成立していないせいか、内陸部の飯舘村、川俣町、葛尾村、川内村なども『そのまま』です。

人は、『アレ』で合併が進まなかった、と噂するですが本当はどうなのでしょうね…

●走りながら聞いた福島のラジオで言っていましたが、原発が立地していない市町村には、本格的な原子力災害対策をしていたところは殆ど無かったそうです。

そもそも、国や電力会社は、何重もの安全対策が出来ているから危険は有りません!って言い続けてきましたから。

行政が細かい区分なので、よけいに対策が進まなかったのかも。

津波が心配で第一原発が危ないとなれば、南の第二原発方面、北の海岸沿いに逃げる人はまずいない。(時系列で言えば、福島第一よりも、第二の避難指示が先に出ています)人の心理として、大きな福島市を目指して山越えで行くでしょう。

そこをなぞるように雨風が通った今回の不幸でした。

そして、やっぱり細かい区割りなのだから事後にも困ったことが多い訳でして…

●先週の金曜日、東北を中心に大きな揺れがありました。

私は、Jリーグ鹿島アントラーズのホームスタジアム近くを走っていました。海岸から4百mくらいのところ。

茨城県沿岸は津波注意報でしたが、道路の電光掲示板に夏でもないのに海水浴場付近の渋滞情報がでて、ビビって内陸部?に逃げこみましたョ。

これで大津波だったらどんなにパニクったでしょう。

私が、中通りから浜通りに行くルートに悩んだことは話しましたが、浜通りから中通りへ避難するルート、これが、トンネルがある道もあるし選択しても3~4通りくらいしかないですよね?

●ここにきて、警戒区域や避難指示解除準備区域を見直す動きがあるみたいです。それについては賛否両論ありますが、安全よりも『保証金の軽減』目的では?と見る人もあり、それについてはまた、

(年内には…)

















心します。



ここは高台、見晴らしは良好です♪



さて、



●恒例の?  10日の月です。



11日の月です。



月の左には、水星が。。
これは、ふくやぎ的にもかなり珍しいのです。



●飛びまして、16日、今夕の月です。



今夜の月です。



では、、






焼海苔焼酎

2012年12月09日 22時19分23秒 | お買い物
ここでふくやぎが一句、

国民が
大事にされる
選挙前

なんてね!
選挙後も頼みますョ!
いや本当に。




●だいぶ間があいて申し訳ないですが、ふくやぎが福島県で買ったお酒は『焼き海苔焼酎』でした♪

呑むと、頭の上に『!』が立ちましたョ。
海苔だー!って。
ホントに磯の香り、海苔の味なんですね~

⇒福島県二本松市の人気酒造、国産焼き海苔・百%使用の本格焼酎。見かけたら是非!



●あと、福島県郡山市・笹の川酒造の吟醸酒『ありがとう県警』と、本格麦焼酎『頑張れ県警』~復興支援義援金も価格に含む~も買いました。

上記は、奇をてらった企画ものに見えますが、味はしっかりした美味しいお酒でした♪







★1日の月です。



ちょっと飛んで、4日の月です。



5日の月です。



6日の月です。



7日の月です。



8日の月です。



9日の月です。
しつこいですか?



でもこれは、ふくやぎのブログ、好きにやるもんね♪


福島県南相馬市

2012年12月02日 21時11分01秒 | 日常
11月25日の月です。





26日の月です。





27日の月です。



28日の月です。この時は、半影月食でした♪



30日の月です。ちょっと雲が多め。。



31日の朝月です。 もう雲雲でブレブレ。
私のカメラは手ぶれ補正が無いのに、早朝のアレですから、、、
撮り直ししようと思ったらもう見えなくなってしまいました。。

でも、妙にアジがあるのでした、、、



●大震災から20ヶ月経って、距離で言えば第一原発から同じ20㎞離れた南の楢葉町と、北の南相馬市を立て続けに訪問してみて、そのあまりに雰囲気が違う事に驚いたのでした。

これはヤハリ、実際に両方に行ってみないと話せない事があるのでは、と思います。

長くなるので次回から序々にしますが、前回果たせなかったミッション、福島の酒をシコタマ買い込んできた事は報告いたします!



さて、白虎隊のお話はご存知でしょうが、概ね東北の諸藩は反薩長側でした。

その中心は会津藩でしたが、関東から攻めあがって会津を攻略しようとすると、急峻な山々に阻まれることになります。

もちろん、中通り…奥州街道~国道4号付近~を行くのが近いのですが、そこには仙台藩、後詰めの二本松藩が固めていました。

そこでカギとなったのが、奥羽越列藩同盟の三春藩。迫る薩長に『ほぼ』無血降伏をして、逆に三春兵はそのまま二本松攻撃に転じたのでした。

それに動じた仙台兵が総崩れとなり敗走、アッと言う間に本宮、二本松城は落ちてしまい、わずか2日間で薩長軍は会津国境(くにざかい)に迫る事態になりました。

注:福島県は大きく分けると、会津、中通り、浜通りの3つです。戊辰戦争は、ほぼ福島県全域を巻き込んだもので、浜通りの戦闘は、これが後に原発誘致に頼った遠因なのではないか?と思っています(私見です)

★来年の大河ドラマ、会津の話だそうですね

●ところで現代の今、田村市~三春町から北上する国道349号⇒県道12号がえらい混雑しているそうです。

沿道住民は、道路を歩くだけで命がけの生活であるとか…

かつて薩長軍兵士が怒涛のように進軍していった、そんな感じで?

要するに、復興関係者などが阿武隈山地により、狭く急峻な山岳街道に殺到している、その、そもそもの原因は、相馬や南相馬に行く直行ルートが『無い』ためなのです。

●ホントにルートを悩んだですね。今回、南相馬市を訪問しようとして…

いかに浜通りが、原発事故で無期限一般車通行止めになった陸前浜街道~国道6号線に依存していたのかを痛感しました。

で、結局は、福島西インターで東北道を出て、国道115号で相馬市を目指したふくやぎでしたが、それでもかなりの山道ドライブとなりました。

(このルートはお金がかかるんですよねぇ!だから、高速代がかからない山間部の道が混雑するのです)

もっと南寄りのルートなら、もっと複雑で大変なイメージがあったからです。飯館村や南相馬市の居住制限区域や帰宅困難区域、避難指示解除準備区域を避ける意味もありました…

●関東から相馬市や南相馬市、そして原発の北側に行こうとすると、なんと大変なことか!ワタシ、地図を前に一週間くらい考えていました。

やっぱり、道路が不便だと、復興の道のりがなかなか踏み出せないと感じましたよ。大臣先生ならヘリコプターでピューっと着くでしょうか。

●常磐道を北上していったふくやぎは、郡山市の手間、先に話しました三春町で一旦は降りまして、樹齢一千年とも言われる滝桜を見てきました。

昨年の大地震では軽微な損害だったそうですが、相変わらずに威風堂々と立っていた滝桜です。

日本中で、桜の名木を聞くと必ずベスト3には入る滝桜。何度か満開を見に行きましたが、そりゃあ見事な紅しだれ桜なのですよ!

あの、滝桜のそばには仮設住宅がありました。。

●さて、昔の成績は、甲乙丙丁(こう、おつ、へい、てい)だったそうですね。

甲乙…は、昔の『十干』由来の事で、例えば阪神タイガースの甲子園球場は、甲子(きのえね・こうし・かっし)の年、大正13年に建てられ、それに由来して名付けられました。

それに、子牛寅…の十二支を組み合わせて、『干』と『支』だから『干支~えと』って言います。干支の組み合わせが60通り有りますから、一巡りしたのを還暦と呼びます。

今年の干支は、
壬辰(みずのえ たつ)、
来年は、
癸巳(みずのと み)です。

●さて、前回の『戊辰~つちのえ たつ』は、1988年=昭和63年、
その前の戊辰は、1928年=昭和3年、
そのまた前の戊辰が、1868年=慶応四年⇒明治元年でした。

戊辰は、『ぼしん』とも言い、慶応四年正月三日に起こった鳥羽伏見の戦いからの一連の戦(いくさ)を総称して戊辰戦争と言われています。

計算は簡単です。平成の年数に、2還暦?の120年を足せばいいんです。
思えば、慶応三年末に坂本竜馬が暗殺されて、すぐ四年になって、その9月8日には明治元年になった、非常に密度の濃い144年前の慶応四年でした。

●奥州における戊辰戦争で、やはりあれほど大規模な戦闘になった主因は仙台藩六十二万石の参戦だったのでしょう。だからこそ、奥羽越列藩同盟が結成されたのでした。

その仙台を目指して、慶応四年に、江戸・品川から平潟港に薩長軍が軍船から上陸しました。今の北茨城市ですね。

そして、同盟軍の棚倉藩、泉藩、湯長谷藩、磐城平藩を根こそぎ制圧して、一気に(今の)福島第二原発~第一原発の辺りまで進出するのです。

すぐさま、相馬中村藩と戦い始めますが、相馬藩は飢饉などで苦しい台所事情、最新鋭の大砲と鉄砲で武装した薩長軍にたちまち追い詰められてしまいます。

雨でも連発出来る新鋭銃に対する仙台・相馬は水濡れ厳禁の火縄銃。大雨の戦でもあっけなく勝負はついてしまいました。

 ↓ その、相馬中村藩の居城、中村城のあとに残る相馬神社です。













ムーミンとミントです♪



















薩長軍は、相馬藩に軍馬ですら数万頭?も要求したそうですが、、







七五三のころでした。。





神社の看板犬。





●相馬の道の駅に着きました。





そこから、南下をしていきます。。

福島第一原子力発電所の方向へ。。



















●そして、前回にたどりついたセブンイレブンに着きました。

ここから先は、しばらくは、自由に進んで良いところですが、夜間は(たとえ自宅でも)泊まれない地域です。

境目には警察官が監視しています。

他県ナンバーがウロウロしてもアレですから、ここから先、少し走ってUターンします。

イレブンの、数十メートル先には食堂があります。同じ敷地内ですが・・





、、、ここから先は、住んではいけない地帯です。



水田だった、と思われます。





●ここから、少し戻って『今は普通の地域』に行きます。

海岸の方へ。。。

規制は無いので、普通に復興しても良い地域です。



、、、何も無い。。。



、、壊れたままの、廃墟のような新築の家、土台だけの家、倒壊したままの墓地、どれも撮れませんでした。。

これでは、報道カメラマンにはなれませんね。。

やっと撮ったガードレール。 ピンボケでした。



、、、これが福島県の現実なのです。 撮影は、11月の末です。

ピンボケが分かったので取り直しました。



今回、行ったのは、赤い地域の右端ギリギリです。。



では、、

ブログ訪問は、例によって後日から。。。


●相馬が降伏すると、薩長軍は仙台国境に進出しましたが、そこで駐留となりました。

おそらく、ですが、軍備は古くても、青葉城を落とすとなれば大損害は免れない。それより会津を孤立させていけば根負けして屈するだろうと。

何しろ、江戸時代は戦(いくさ)がなかった諸藩、京都守護職の会津兵ですら、西方に出兵した者以外は敵と戦った事がない状態でした。

●そこで相馬に落ち着いた薩長軍は、降伏した相馬藩に食料から雑役(ざつえき)の人手を遠慮なく要求してきたのです。

薩長兵士だけでなく、集めた人足、軍馬の食料、経費、接待の女性までを2ヶ月以上出し続けた浜通りの藩や集落、まさに極貧状態になってしまったとの話しです。

田畑も荒らされ、働き手も連れて行かれた上で。

●それが尾をひいて苦しい財政状態が続き、原発誘致につながった、とは極論でしょうが、負けた同盟軍の海沿いの領地と、東電や東北電力の発電所の位置って、妙に重なって見える私です。

⇒長くなりすぎました。今日の話しは、私見混ざりです。福島訪問の本題は次回に。