昨年末に中島みゆきさんのコンサートに行ってきましたが、
その公演パンフレットの写真の一枚がちょっと気になりましたので、
その撮影された場所に行ってきました。
、、、畳の上でしたね(笑)
その写真がこの見開きの一枚。。 やはり畳の上で。。 (小さく掲載します)
●そんなわけで私は、京浜東北線・横浜駅の一つ手前、東神奈川駅にて下車しました。
そのまま海岸方面に行くと、すぐに京浜急行の仲木戸駅、手前を下って進みます。
高速の出口はすぐそば。
とりあえず第一京浜、国道15号線を目指して・・
第一京浜の歩道橋は驚きのガラス張り。
高架をくぐればここは村雨(むらさめ)橋。
埋め立て地の運河が多いです。
鈴繁埠頭?
桜の季節でした。
って、これは4月2日、このあと皇居の公開に行きました。
いよいよ見えてきました今回の目的地の瑞穂橋。
辛うじて読める千鳥橋。
いたるところに水路。
やっと着いた瑞穂橋。
ここは概ね一般人は立ち入り禁止です。
橋の先には米軍の施設があります。
USアーミー アメリカ陸軍です。
むこうは、みなとみらい地区。
たもとにはバーが二軒あります。
結構、有名らしいですよ。
さて、先ずは、
写真が撮られたポイントに立って見ます。
でもこれでは米軍施設が丸見えで。
まさか米軍のクレーンをみゆきさんの体で隠すわけもなく。
なので出来るだけ屈んでローアングルで。
そもそも、彼女の(公式スケジュール以外の)行動の殆どは非公開です。
それなのに、その写真には撮影場所が簡単に特定できる
ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル が写り込んでいました。
パッと一目でポイントが特定できるなんてラッキー! と、最初は思っていたのですが。。
でも、良く考えたら、これ、わざとわかるように撮ったんじゃないかと思えてきました。
瑞穂橋の先にあるものは・・・
アップすると。。
在日米軍、アメリカ陸軍の港湾輸送施設、ノースドック。
この橋は、近年に日本に返還されたのでして、それまでは立ち入り禁止区間でした。
ここらへんまで渡ると、米兵がすっ飛んできたらしい・・
なるべく正確な撮影ポイントを探る・・
でも、あれほどの超広角レンズではないので。。
みゆきさんが立っていた場所。
そこに立ってみましょう。
この形、パンフレットの写真にもバッチリ写っています。
橋は古いものですね。
こちら側からは離れます。
反対側から・・ こういうところで撮影していたんですね。
こっちには英語で。
使われていない線路が残っています。
廃線マニア?には有名スポットらしいですよ。
ここのバー、米兵が通う飲み屋だそうです。
ここの前での撮影、そもそもここは一般道で、大型車がバンバン通過していきます。
普通はこんな目につくところでやらないよね。。
でもあえてここでやった意味は。。
パンフレットの写真にはなにも写っていないけど、みゆきさんの視界には入っていた軍事施設。
やはりここに来てみなければ見えないものが有ったのです。
先ほどの廃線はここの先から分岐していました。
千鳥橋に戻ってきました。
さらに戻って、ここは村雨橋。
この橋、かつては大変な騒動があった場所です。
ベトナム戦争の時に、アメリカ軍の戦車部隊がここを通って瑞穂橋からノースドックへ、、
そういう計画がありましたそうです。
当時の横浜市は、道路交通法上は戦車の重量オーバーとして拒否したそうです。
がしかし日本政府は急きょ法律を『改正』して戦車部隊を通してしまいました。
そうして多くのアメリカ兵が戦争へと出撃していったのでした。
今は平和の風景、なのかな?
話は前後してしまいましたが、もっと横浜を散策する予定でしたのですが、
前日の新聞で皇居の乾通り公開が延長されると知り、
悩んだけどとんぼ返りで東京駅に戻りました。
それが前回の記事だったのです。
●九州の地震にはこころいためております。
どうかこれ以上被害が広まりませんように。
義援金やらいろいろやります。
九州の物産を積極的に購入いたしましょう。
その公演パンフレットの写真の一枚がちょっと気になりましたので、
その撮影された場所に行ってきました。
、、、畳の上でしたね(笑)
その写真がこの見開きの一枚。。 やはり畳の上で。。 (小さく掲載します)
●そんなわけで私は、京浜東北線・横浜駅の一つ手前、東神奈川駅にて下車しました。
そのまま海岸方面に行くと、すぐに京浜急行の仲木戸駅、手前を下って進みます。
高速の出口はすぐそば。
とりあえず第一京浜、国道15号線を目指して・・
第一京浜の歩道橋は驚きのガラス張り。
高架をくぐればここは村雨(むらさめ)橋。
埋め立て地の運河が多いです。
鈴繁埠頭?
桜の季節でした。
って、これは4月2日、このあと皇居の公開に行きました。
いよいよ見えてきました今回の目的地の瑞穂橋。
辛うじて読める千鳥橋。
いたるところに水路。
やっと着いた瑞穂橋。
ここは概ね一般人は立ち入り禁止です。
橋の先には米軍の施設があります。
USアーミー アメリカ陸軍です。
むこうは、みなとみらい地区。
たもとにはバーが二軒あります。
結構、有名らしいですよ。
さて、先ずは、
写真が撮られたポイントに立って見ます。
でもこれでは米軍施設が丸見えで。
まさか米軍のクレーンをみゆきさんの体で隠すわけもなく。
なので出来るだけ屈んでローアングルで。
そもそも、彼女の(公式スケジュール以外の)行動の殆どは非公開です。
それなのに、その写真には撮影場所が簡単に特定できる
ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル が写り込んでいました。
パッと一目でポイントが特定できるなんてラッキー! と、最初は思っていたのですが。。
でも、良く考えたら、これ、わざとわかるように撮ったんじゃないかと思えてきました。
瑞穂橋の先にあるものは・・・
アップすると。。
在日米軍、アメリカ陸軍の港湾輸送施設、ノースドック。
この橋は、近年に日本に返還されたのでして、それまでは立ち入り禁止区間でした。
ここらへんまで渡ると、米兵がすっ飛んできたらしい・・
なるべく正確な撮影ポイントを探る・・
でも、あれほどの超広角レンズではないので。。
みゆきさんが立っていた場所。
そこに立ってみましょう。
この形、パンフレットの写真にもバッチリ写っています。
橋は古いものですね。
こちら側からは離れます。
反対側から・・ こういうところで撮影していたんですね。
こっちには英語で。
使われていない線路が残っています。
廃線マニア?には有名スポットらしいですよ。
ここのバー、米兵が通う飲み屋だそうです。
ここの前での撮影、そもそもここは一般道で、大型車がバンバン通過していきます。
普通はこんな目につくところでやらないよね。。
でもあえてここでやった意味は。。
パンフレットの写真にはなにも写っていないけど、みゆきさんの視界には入っていた軍事施設。
やはりここに来てみなければ見えないものが有ったのです。
先ほどの廃線はここの先から分岐していました。
千鳥橋に戻ってきました。
さらに戻って、ここは村雨橋。
この橋、かつては大変な騒動があった場所です。
ベトナム戦争の時に、アメリカ軍の戦車部隊がここを通って瑞穂橋からノースドックへ、、
そういう計画がありましたそうです。
当時の横浜市は、道路交通法上は戦車の重量オーバーとして拒否したそうです。
がしかし日本政府は急きょ法律を『改正』して戦車部隊を通してしまいました。
そうして多くのアメリカ兵が戦争へと出撃していったのでした。
今は平和の風景、なのかな?
話は前後してしまいましたが、もっと横浜を散策する予定でしたのですが、
前日の新聞で皇居の乾通り公開が延長されると知り、
悩んだけどとんぼ返りで東京駅に戻りました。
それが前回の記事だったのです。
●九州の地震にはこころいためております。
どうかこれ以上被害が広まりませんように。
義援金やらいろいろやります。
九州の物産を積極的に購入いたしましょう。