世の中には、
専門家という存在がいる。
この人たちのおかげで、
世の中は動いている。
しかし!
よくよく考えると、
専門家も、お金を儲けようとしている以上、
「その仕事が本当に、必要かどうか?」
は、不明である。
それどころか、専門家はしばしば、
「必要でない仕事」を、
上乗せして、請求することが多い。
わかりやすい例が医者だ。
医者はしばしば、必要のない薬を処方する。
そしてもうひとつ!
その必要性について、
コマーシャルが、
「それは当然」などと、
市民の心理を、
大いに「あおる」。
たとえば、
昔はリンスなんか必要なかったのに、
いつのまにか、「リンスをしましょう」ということになった。
「バレンタインデーには、
チョコを送りましょう!」
・・・ということになった。
もっと前には、
「クリスマスにはケーキを食べましょう!」
・・・ということになった。
そういう習慣が、
何十年も続くと、
「これだけは、絶対必要だろう」と
思いがちだ。
でもさ!
本当は、たいていのことは、
自分でできるものなんだ。
だって、世の中にある商品は、
人間が作ったものだ。
とすれば、俺たちだって、
がんばれば、作れるものが多いはずなんだ。
そして最後に!
最終的には、自分が責任を取ればいいわけだ。
とすれば、「最後は自分で決めるのがスジ」・・ということになる。
食べ物に関しては、わかりやすい。
「ああ、今、自分は健康だな」
と思えたら、
何を食べてもいいと思う。
(ゴキブリを食べて、健康になったら、
ゴキブリは食べるべきなのだ!)
不安な場合は、
少しだけ食べてみる。
大丈夫だったら、
たくさん食べればいい。
昨日、ネットを見たら、
「女たちは、丁寧すぎる言葉遣いの男は、大嫌い」
と書いてあった。
なるほどなと思った。
常識では
「やさしい男がもてる」
とある。
でも実際は、しばしば逆だ。
乱暴で、冷たい言葉遣いの男が、しばしば好かれる。
殴られたり、痴漢されるのが、好きな女もいる。
そういう女がいる以上、
普通の女だって、
乱暴なキスの男に、ひかれても不思議はない。
人生、常識ではない。
最後には、
その人、その時、その場所を見るのが
大切だ。
そういう人が、成功するんだろうな。
最後に、聖書に、面白い言葉が載っているので、紹介しよう。
「狭い門より入れ。
滅びに至る門は広く、その道は広々としている。
そこを通って入る者が多いからだ。
命に至る門はなんと狭く、
その道はなんと狭められていることか!
それを見い出す者は少ない」(マタイ7:13)
ここから生まれたのが、
アンドレ・ジイドの小説『狭き門』だ。