ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

3つのリハビリ(2023年8月11日現在)

2023年08月11日 | ヤマヒデの歩み

本日は2023年8月11日(金)晴れ。今週から私はリハビリを始めた。

①身体のリハビリ。まずは歩くことだが、体力と気力がそろわないと、難しい。今日など、名護十字路まで行ったのだが、往路はバスに乗った。160円だということを忘れており、下りるとき焦った。私がバスに乗ったのは、6月25日以来のことだ。48日ぶり。帰路は普通に歩けたが、狭い道を前から車が走って来て、慌てた。身体がなめらかに動かないのだ。

 身体のリハビリと言っても、力任せではダメであり、なめらかに動けることが重要だ。

➁頭のリハビリは、どうしたらいいかと思っていた。昨日ある方に電話したら、宿題を頂いた。「核抑止論」をどう考えるのか?を話してくれと言う。

 あの「核抑止論」? 核軍拡競争の果てに、私たちは、どうなっていくのか? 5月のヒロシマサミットで、G7・岸田政権は、しらっと「核抑止論」を公然と肯定したのだ。広島・ヒロシマという場でだ。8月6日・9日の広島・長崎市長はそれぞれ、こうした考え方を否定し、核廃絶を訴えた。

 被爆地の人間が、生きるか死ぬかを考えれば、核廃絶以外の選択はありえない。ましてこれからの世代のことを考えれば、明確な核廃絶が求められる。

 ただし難しいのは、日常的に核との関係を問われることのないと思いこんでいる人たちの反応は、鈍い。鈍すぎる。こうした間隙を突かれていけば、反核の動きさえ、封じ込められていくだろう。核兵器禁止条約の動きをみていると、核保有国という大国に対して、非保有国は、中小国であり、核をもつことはできないし、マイナスしかあり得ない。核をもつということは、核実験場をどこにもつのかという事を避けて通れない。米国やロシアのような国土の大国は、こうした場所をもっているが、それでも、植民地のような場所が使われている。そもそも米国は先住民を追い出して、「ニューフロンティア」を作り、都市化を進めたのだ。「カウボーイと騎兵隊」のイメージは、こうした負の部分を全面的に覆い隠してきたのだ。核とはそもそも破壊と差別がなければ、成り立たない代物だろう。

 核抑止論とは、一層の核軍拡競争と、核兵器禁止条約の動きを押さえ込むことに、ダブっていくだろう。核戦争VS核廃絶の熾烈な攻防が益々激化していくだろう。私は、「核抑止論」を批判する際、忘れてはならないこととして強調したいのは、私たちが生きている場から考え抜くことだ。かなり広範な視野をもちながら、考えたい。

 もちろん、私が原爆について考えることは、沖縄との関係も考えなければならない。「核抑止」という以上、「攻撃と防御」が同時に求められる筋立てだ。沖縄は、その攻撃と防御の地としてつなげられていくだろう。核兵器の中でも最悪なのがSLBMだ。潜水艦からの核魚雷や核ミサイルの発射。隠れて隠れての長時間(365日)の攻撃は、当然、サポートが必要となる。ホワイトビーチの役割は、潜水艦の支援基地としても、より重視されていくだろう。

 頭のリハビリも楽じゃないな。

③心のリハビリ。5月に私は8月12日に行なわれる森山良子コンサートのチケットをとっていた(名護市民会館)。病気になって、これをキャンセルするしかなくなるのかと、危惧していたのだが、大丈夫そうだ。

 そして翌8月13日に「ゆたか・ゆたかコンサート」がある(沖縄市民小劇場)。連チャンはキツいだろうと思っていて、躊躇していたが、勢いで取った。同じフォークと言っても、海勢頭豊、佐渡山豊の二人は、沖縄フォーク。抵抗と反芻のフォークだ。良子さんの「さとうきびばたけ」や「涙そうそう」と、どれだけ違うのか、連チャンという時間の中で、確かめたい。

 連チャンコンサートは、心のリハビリの初っぱなになったので、また、次を考えていけばいい。

 しかし事態は色々と、動きが出てきており、カメラのリハビリを省略して来週から撮りにいかなければならないかもしれない。えらいこっちゃ! まだカメラを担いでいない。ザックも担いでいないのだ。

 無理しないでと言われているし、私自身、そう思うのだが、当面、省力化と集中のコンセプトでやれることをやりたい。本格稼働は9月からだ。



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