(1)杉並区長に当選した岸本聡子とは何者なのか?
2022年6月20日、杉並区長選が行われた。元杉並区民である私は、結果を気にしていたが、こちらの新聞には載らず、ネットでも知らないままに時が過ぎていった。7月に入り、187票差で岸本聡子が当選したことをネットで知ったのだった。
正直言って、「まさか」の結果だ。慌ててネットで調べたらご本人のHPがあった。杉並って、斬新な地域だとはいえ、驚かされた。
7月に区長就任式があり、そのときの岸本聡子さんの挨拶や、記者会見を私はネットで見た。真面目そうで、不器用で、偉ぶった感じはしなかった。自転車通勤が好印象だが、海千山千の保守の議員や管理職がいるだろう中で、いささか心配になった。
そんなわけで岸本聡子著「私がつかんだコモンと民主主義」(晶文社2022年7月刊)を早速買って読んだ。
(2)暮らしながらつかんできたこと
以下、雑ぱくだが同書から整理してみる。1部「日本からの移民イン・ヨーロッパ」、第2部「ロストジェネレーションの連帯」、第3部「フェミニズムを生きる」が本書をなしている。同書を読んでまず納得したのは、彼女は学生としてNGO活動に取り組んだのであり、修士・博士の資格をもっていない。だからインテリ臭さはない。
ある意味たまたまオランダ人の彼氏と出会い、彼の協力を得て、オランダに移住し、NGOのトランスナショナル研究所で働くことになったという。苦労して英語を学んだが、オランダ語は全然話せないらしい。それでもやりきってきたバイタリティーは、彼女の活動が生活と不可分なところからきているからだろう。
第2部は、ロスジェネ世代(1974年生まれ)としての体験の中から語られている。ここで印象的なことは、あのヨーロッパのオランダでも「新自由主義」の荒波が吹き荒れていたことだ。新自由主義が福祉国家を解体していく。だが本書の基調は政策の批判/検討ではなく、自己の歩みをつづる比重が圧倒的に高いのだ(個人史)。だから読みやすい反面、主張・政策については物足りない。
外国人(日本人)として苦労しながら問題点を見いだしてきたことは、わかる。自分がやりたい仕事は、「ケアの仕事(中略)どの地域社会にも必要なエッセンシャルワークである。地域の食料生産や流通を含めて、すべての人が尊厳をもって生きるために必要なエッセンシャルワーカーが報われる。そういう仕事を若い人がしたいと思う社会にしなくてはいけないと思う」とある。このエッセンスにも「生きる」ことと「くらし」がひとつにくくられており、私は共感を覚える。私が定義してきた「Life=生きるための営み」そのものだ。コロナ禍の日本で言われてきた「エッセンシャルワーク」よりも広義・本質的だろう。因みに、日本語に「エッセンシャルワーク」を表現する言葉がないことが、今の日本の水準を露呈しているのではなかろうか。
(3)「新自由主義」のただ中から生まれてきた
彼女がロスジェネ世代であり、オランダやベルギーで暮らしてきたことの双方から、彼女のこだわりは明確だ。大学に行くことは、経済力によって規定される日本のようにではなく、行きたい人が行けること。地域の人々を支える仕事をするための勉強が推奨され、若い人が希望を持って安心して働ける場所があること、仕事を通じて自分を磨きながら、若い世代を育てる社会。地域社会に不可欠な仕事に見合う対価と安心がきちんと払われること。
2020年5月オランダの有識者たちが「企業の民主化、仕事の非商品化、環境の回復」を訴える声明をあげ、持続可能な経済へ、エッセンシャルワークを脱市場化する意義が指摘されている。
こんな話を読むと、日本ではコロナ禍でも進む病院(病床)の削減などの動きの中で、くらくらしてくる。価値基準が違いすぎる。政治の劣化は言うまでもなく、人々の意識が現実の進行(悪化)に追いついていない。オランダの常識と日本の常識が違いすぎる。ここまで劣化してきた日本の問題を、私たちはきちんと考えなければならない。だからこそ、彼女の指摘になるほどねと思わせられるのだ。
ここから「私の環境運動は気候危機からはじまった」(第5章)が始まる。ここで1990年代のご自身の日本でのアシード・ジャパン時代から今日のヨーロッパにおける気候危機問題までの脈略が重ねて語られている。
そして今回のコロナ危機で浮き上がった問題を見つめている。「環境を破壊しながら無制限に市場を拡大させ、持続不可能な選択肢を無限に押しつけてくる経済のあり方そのものが問題なのだ」と。第6章が「水の正義とエネルギーの民主化」だ。新自由主義に対して環境的正義などと重なり合って、グリーンディール(公的資金の大規模な出動で環境危機を抑える政策)が推し進められてきた中で、自分の仕事の課題も見えてきたとある。
(4)フェミニズムを生きる
ここで改めて筆者は、学生時代の社会学専攻に戻る。選んだテーマは「夫婦別姓」だったと。別姓問題から戸籍の問題にまで踏み込んでいる。そして恋人とのオランダ暮らしを始めるのだが、パートナーシップ一つで滞在許可と労働許可を得たという。そして相手が外国人だと日本でも同一姓にする必要がない(ただし日本法―戸籍法による外国人との婚姻手続きは、極めて面倒だ。私は戸籍課で他人の戸籍をつくることまでやらされた。因みに私は一貫して「非婚」の関係)。お子さんが日本で生まれ、2番目がオランダで生まれたが、共に岸本姓にしたようだ。
ここで女性運動と環境運動の接点に触れている。環境保護・保全と社会正義・公正を統合するトレーニングを受けたようだ。ここで沖縄の基地問題が出てくるのだ。日本という国は沖縄に米軍基地の70%を押しつけながら涼しい顔をしているが、有害物質などを強制している。平和問題と環境問題はつながっているのだと。このつながりは権力構造によって(沖縄では「構造的差別」と言われて)がっちりと組み込まれている。この構造の中に女性は、被抑圧者として押さえ込まれており、同時に原発や基地などでは女性も加害・抑圧者でもあると。
「私は政治家に一番大切な資質は、自分とは違う立場の人たちをどこまで想像できるか、自分の知らない不都合を当事者から学び続ける謙虚さだと思っている。他人への想像力がその仕事の本質だとすれば、政治家の仕事は女性に向いている仕事だと思う」(2020年5月記載)。確かにね。なかなか男である私は、すっきりと整理できていない。他者への対抗意識を克服できていないのだろう。
最後にやや小難しいことがでてくる。「政治のフェミナイゼーション」とは「競争ではなく共有を、妥協ではなく共同を、かけひきではなく協力を」の政治をめざしたいと。お互いにケアをかけあうありかただ。他人に気づき、自分に気づく。また発言者の男女の数を半数にする努力の中での気づきが興味深い。どうしても女性が少なかったが、女性は経験が足りない、奪われていたからだと気づいていく。新しい発言者をみつけ、協力し合い、自信をつけていく。実践のみが事態を前に進めていくのだろう。
フェミニズム・エコノミックスが論じられている。交換価値の背後に隠されてきたライフメイキングシステム(命を育む仕組み)を軍事や武器といった人を殺す仕組みを制し、社会/経済/政治の中心にしていこうというティティ・バタチャーリァの提起に確信を深めていく著者。昔、イバン・イリイチがシャドウワーク論を提示しており、重なるところがあるだろう。女性がという積極性があるに違いないが、私も一度読んでみたい(訳書はあるだろうか)。
(5)コモンズと自治
終章は2020年ブリュッセルで書かれたようだ。コモンズ(公共財)をいろいろと見直しているのだが、沖縄剛柔流(空手)の道場に彼女は通い出す(再開)。沖縄から来た先生との通訳も著者はかって出たようだ。地域のスポーツ活動もコモンズだということだ。
浜松市の水道民営化反対や京都の市議選を通じた「戦争のない平和の街、多様で持続可能な食と農に彩られた街」をめざす取り組み。こうした運動が紹介された後で、ミュニシバリズム運動が報告されている。私も初めて聞く言葉だが、2011年のスペインで始まったようだ。公共財を自分たちの物であり、誰の物でもないものとして自治的に解決していく政治=生活運動だ。
こうしたオランダやベルギーでの研究、活動を通した取り組みを経て、岸本聡子さんは2022年6月の杉並区区長選に立候補したのだ。杉並での取り組みは始まったばかりだ。同じように沖縄でも、あちこちでも活用できそうだ。在沖縄の私は、杉並の彼女たちの取り組みに注目していきたい。理想と現実の狭間の中で、苦闘を強いられるだろう。しかし様々な問題が、交錯しながら重なっていることを理解している人たちは、解き明かす手立てを手放すまい。次世代のために応用問題を解いていくのは私たちの責任だ。