本日は2022年5月11日。梅雨空。2020年、21年とコロナ禍で5月15日の行動はなかった。今年は「復帰50年」であり、コロナ禍ではあるが、平和行進も極形式的に行うようだ。また、公式行事とは無関係に、いくつかの取り組みが行われる。
私は辺野古テント村と離れており、自主的に過ごす。いくつかの行動、集会に出て、「復帰50年」を考える。この50年とは何だったのだろうか。1972年5月15日。米国からすれば、ベトナム戦争の敗北的結末を如何にして処理していくのか、転んでもただは起きない「巨星」として、アジアに踏みとどまる。それが沖縄を日本に返還し、米日共同で沖縄・アジアを抑え込む構想だったのだろう。後退戦の中から、態勢を立て直し、次に向かう。
これは1973年の米空母の横須賀寄港・拠点化とあいまって、アジアの支配戦略を立てたのだろう。日本をバックグランドにしながら米ソ冷戦構造を押さえ、米国の陣地・経済圏を保持すると。この国は、米国に見込まれたのだ(あはは)。そして現実にそうなってきた。1991年、めでたくもソ連邦は崩壊。米国の一人勝ち。よししゃ!
ここで世界地図を開けば、この国はロシア・中国の南に位置し、極近い。米国は遙かに遠い。遠いから安全であり、遠隔操作を測りながら、日本にロシア・中国の喉元で軍事的な槍になれ。兵站基地になれ。しかし科学技術の発展は、ミサイルどころか、電子戦、サイバー戦の時代を迎えてしまった。こうなると、いつ如何なる形で、戦が始まるか、見えなくなる。火の手が上がる前に攻撃が開始される。化かし合いが、高度化していく。
50年経とうが、100年経とうが、人間は生身の身体。デジタル化で穴蔵に隠れることはできない。水を飲み、飯を食い、愛を育む。経済的利益の前に、生きている価値を考えておかなければ、このままでは、死に果てる。
人間は何語を話そうが、人間なのだ。肌の色が何色であれ、人間だ。水を飲み、飯を食い、愛を育む人間だ。ところが、誰かの贅沢のために殺される不条理。「復帰50年」というが、それぞれの50年を考えよう。分断の27年が終わりながら、友好の50年だったのか。お互いに考えなければ、多数者が少数者を弾く。分断は少数者の儲けを保障するだけだ。
何重もの分断。こうしたことはデジタル化では、決して解けない問題だ。私が沖縄から考えたいと思ったのは、ある意味偶然であり、出会いがあったからだ。「5・15」がこうした出会いとなれば、大きな前進になるだろう。それをいかし合う出会い・交流に、私は今年も務めたい。
思えば、一年365日のなかで、一番忙しかった日々。もうあの場所は帰ってこないが、場所を変えても、方法を変えてもできるはず。そう思えば、気が楽になる。