ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

あれから78年が経とうとも変らない中で(20230815)

2023年08月15日 | 考え直すために

本日は2023年8月15日(火)曇 

8月15日と言えば、天皇裕仁が「終戦の詔勅」をラジオで流した日だ。負けました、神である私の言うことを聴け!てな調子。ただしこの終戦の詔勅は1945年8月14日に出されたのだ。そのすったもんだにはついては、専門書に譲るが、本日の新聞から。沖縄タイムスも琉球新報もA級戦犯らへの散骨を「崇拝阻止」のために海に流すことを実行したと伝えている。

 彼らの遺骨がなくなれば、軍神として崇めることはなくなるだろうとの読み。さすがといおうか、当時の米軍は当時の日本人の心模様を呼んでいたようだ。しかしあれから78年後の今、敵国だった日米関係は、今や同盟国になり、「日米ミサイル共同開発へ」(琉球新報)となり、「超音速兵器を迎撃」と言うのだ。2つの悪魔が手を結べば、何でもできるのだという奢り!!

 反省したことない彼らには、いつまでも悪魔が宿っているようだ。軍事力は絶対不変という信仰は、早くなくなってほしいものだ。

 私は考える。私は私のために生きたいと。強者のために身を屈めない。屈することなく弱者と共に生きていこう。

 私は無神論者だが、友には信仰者は少なくない。同じ教えにも、時に真逆なことが潜んでいる。如何に生きるかを決めるのは、私たち一人一人による。葛藤のない人生はない。悩んで悩んで悩み抜く。まして時代が悪魔をかき集めてくるならば、私は良心を想起しよう。悪魔は現にそこにあるが、良心は希望でこそあっても、呼び覚ませるか否かは、私に、私たちに期するのだ。絶望的な闘いかもしれない。だが私は、微力ではあっても、無力ではないはずだ。変らない物に対して、私は変わりたい。明日も生き抜くために。



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