ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】本日の残照撮影の予定を断念。沖縄市平和月間(23230814)

2023年08月14日 | 沖縄暮らし

2023年8月14日(月) 晴れ

 今日は頭の上から、足先まであちこちが痛い。15時頃から、昼寝。ということで、本日の残照撮影も中止。今週はリハビリ優先だから、当然の選択。一歩前進すれば、一休みもある。とかやっているうちに明日は8月15日。

 昨日行った、沖縄市のアシビナー小劇場は、沖縄市の建物の中にある。1階、2階が沖縄市立図書館。

 私は知らなかったのだが、沖縄市では「沖縄市平和月間」と称した、取り組みを続けているそうだ。会期は8月1日から9月7日。1993年制定。因みに私の携帯電話の番号は、この「0907」なのだが、これまでこの数字を教えても、殆ど反応を得たことがない。沖縄でも知られていないのだろうと、私は残念に、思っていた。

 沖縄市がこれを定めたのは、1993年当時の市長、新川秀清(しゅうせい)氏。1945年9月7日は、米軍に呼び出された沖縄諸島(石垣島・宮古島・奄美大島)の日本軍司令官との間で、降伏調印式が、行なわれた。その会場が嘉手納基地の中にある。

 もっとも日本国の降伏は、1945年9月2日であり、沖縄は9月7日だから、5日間ずれていた。米国・GHQは当初から沖縄の占領支配と日本国の支配を別に扱っていたのだ。狡知にたけていたのだ。実際問題、沖縄は軍事力でモロに占領支配されたのであり、当時の沖縄民衆にも別扱いだとかどうだとかを区別する余裕はなかっただろう。「やまと」の民衆は、どこまで承知していたのだろう。殆ど知らなかったのだろうが、そこが大問題だ。

 その9月7日をこうして平和月間、平和の日として、公的に条例で沖縄市が定めていることは意義深い。因に、「ゆたかゆたかコンサート」でも海勢頭豊、佐渡山豊ご両人は、この日について、言及していた。また1993年当時に活躍されていた方が登壇され、言及されていた。

 あれから78年目の夏を生きている私たちは、如何にするのか? 昨日のコンサートは「50年後へのメッセージ」とあり(2073年)、想像を絶する時間の流れを如何に生き抜くのか。生者と死者の交錯をどうするのか、悩ましすぎる。今を生きる私たちは、一縷の希望をかき立てていかなければならないことは、言うまでもない。



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