2022年7月24日(日)晴れ
連日名護は晴れ渡り、暑さが盛り上がっています。盛り上がらんでいいのに。
昨日私は、特定健診を受けてきました。7年ぶりかな。結果が出るのは先だそうです。行きはタクシーで行きましたが、帰りは歩いた。90分。少々道を間違え、西に偏った。なんと名護市の中央図書館のそばまで行ってしまったのだった。20分あまりのロスタイムだろう。うっかり地図を持たず行ったのが誤り。
検診は血液検査もあり、食事抜き。13時過ぎに外で食事としました。3日前から、ある原稿に難儀しています。沖縄に来て如何に勉強していなかったか。何事も積み上げなので、もう、もう、もうの有様です。国葬反対の論拠として、沖縄から見えることを整理しています。奴らが「閣議決定」しようがしまいが、なぜ反対するのか、明確に打ち出したい。
もっとも「主権在民」の今の日本で、誰か特定の人を「国葬」にするやりかたじたいが、民主主義に反します(別記事あり)。今の日本は「天皇主権」じゃないのだ。右翼はこれだから。天皇が絶対で、下々は付き従うのだと。
しかし今の日本は米国が絶対で、日本国も日本国民も米国に付き従います。故安倍晋三氏もその典型。米国追従+ナショナリズムが日本的ナショナリズム。だから、米国追従を隠したいから、ナショナリズムは妙に歪んでいる。アジア太平洋戦争はアジア侵略の挙げ句の米英欄中等との全面戦争に。
私は戦後50年代生まれだから、米国文化に席巻されていました。「名犬ラッシー」、数々の西部劇、「ルート66」「サンセット7,7」「コンバット」「史上最大の作戦」。その後見た米国映画はド派手で、派手にぶち壊す。大量生産・大量破壊(大量消費)の悲哀を見たものです。「おごれる者は久しからず」なのに、日本もその道(大量生産・大量消費)を行き、破綻しています。
第3の道を求めなくては、人類は過剰生産のなかでお釈迦(オシャカ)になるでしょう。否、過剰生産もできない。反省を忘れて、ただ回顧・回帰したい右翼・保守。我が世の春を謳歌したいって、無理無理。何も反省しないから、トンチンカンなことで、ごまかしている。
沖縄の人々が「沖縄戦、沖縄戦」と喚くのは、超具体的な出来事だったから。人が人を殺すというリアル。「集団自決」(強制集団死)の中で生き残った金城重明さん(93)が今月19日になくなった。「集団自決」の現場で、肉親同士がお互いに殺し合う。それを金城さんは初めて、証言した。顔見知りの人たちの惨状を語るのは、どれだけの制動をはねのけてのことだったのだろうか。同じような過ちをならぬとした重明さんの思い。もう彼の話を聞くことはできないのだ。人間を「死に神」にしてはならない。
どんなに暑くても考えながら、前に進みたい。頑張るぞ、い。