5月26日に二見入り口から大川ー東江と歩いて、台風で暫く休んでいたが、台風はまだ来ない。本日は昼時にプリンターのインクを買いに出たら、晴間もある。よしとばかりに二見入り口から久辺郵便局まで歩いてきた。14時頃から17時過ぎまで。向こうは雲に覆われていたが、降られずに助かった。これで最新の辺野古の写真を東京に見せることができる。たいした写真はないけれど。
6月8日の学習・懇談会のレジュメを作るためにパンフレット等を読み込む。「新防衛計画大綱と憲法第9条」9条の会編を読み直した。大内要三さんが「『防衛計画大綱』改訂の現実とは」をお書きになっており、我が意を得たり。極めて要領よく2018年の防衛計画大綱批判をまとめられている。日本の軍事態勢がどこまできているのかを2018大綱から検証されている。
要するに2013年防衛計画大綱改定、2014年集団的自衛権の合憲化閣議決定、2015年ガイドライン改定、2015年安保法制強行採決、2018年防衛計画大綱改訂という一連のながれが、2022年の安保3文書に到達させているのだ。要するに権力は憲法を基準としたチェックを外してしまい、一途に戦う国造りに邁進してきたのだ。ここまで来ると、歯止めはない。明文改憲が来るのは、この先だ。何よりも維新勢力を引き込みながら、立憲民主党を叩き潰し、野党共闘を解体すれば、万全だ。そういう政治の流れに入っている。
だからこそあとは共産党と、れいわ新選組を潰すという段階に入ってきたようだ。ここで私たちは如何にしてこの袋小路から脱却するのか。よほど覚悟して係らなければ、ならないだろう。れいわ新選組は、自分たちだけが攻撃を受けているのではないと知らなければならない。
また私も軍事のみならず、マイナーカードの問題やら、入管法の問題も含めて、戦前に向かう動きだと捉えきらなければならない。78年前と違うのは、敵が違うことと、強権発動以前に、付き従う「臣民」に飼い慣らされていることだ。差別する心と、個人情報を掴みきれば、権力は何でもできる。頭、痛いな!
しかしここは正面突破を図るしかないだろう。そのための意思一致を図りたいが、徒手空拳では如何ともしがたい。少なくとも頭の整理をやりきり、話せる人には話しきり、一歩でも闇夜を拓く努力を怠るまい。