ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

5・15平和行進今年も中止だが(20210512)

2021年05月12日 | 暮らしと政治

 本日の沖縄タイムスによれば、5・15平和行進実行委員会(委員長:山城博治沖縄平和運動センター議長)は、コロナ禍の拡大により、今年も2年連続で平和行進を中止と決めた。

 やむをえないことかもしれないが、私は1972年5月15日の沖縄の日本への復帰が如何なる意味をもったのか、もっているのかを考えなければならないと思う。平和行進がなくとも私たちの意思を示すことはできる。

 この国が、沖縄に如何なる態度をとり続けているのかを知ることはできる。辺野古・大浦湾を見れば、普天間基地や嘉手納基地をみれば、ホワイトビーチ(海軍基地)、北部演習場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、ブルービーチ演習場などをみれば、また与那国島・石垣島・宮古島などの自衛隊基地建設の強行・運用をみれば、分かる。

 この国は、2010年の防衛計画大綱で「島嶼防衛」を国の防衛計画の中に打ち出した。防衛計画と言えば聞こえは良いが、従来の「専守防衛」を改め、国境の最西端まで軍事ラインを拡張し、軍事的緊張を高めるものだ。それから10年余りが経ち、いよいよはっきりと「敵基地攻撃能力」が整備され始めている。

 琉球諸島の島々の住民のことなど無視した「島嶼奪還作戦」を自衛隊は、日々訓練しているのだ。訓練がいつ本番になるのか? これは先島だけに留まらない。そうなれば、那覇空港の交通がマヒする可能性が高いのだ。そこが陸海空の軍事拠点でもあるからだ。日本国の政治がまともならば、沖縄を再び戦場にするようなことは断じて避けなければならない。しかし沖縄の日本復帰の結果が、再び戦争のとば口を開けるとしたら、これほどふざけた話はないではないか。

 1972年5・15は、沖縄が平和を求めたが、沖縄が生殺しにあっている今の起点になった日だ。私たち「日本人」は、総じてここに加担してきたのだ。懺悔の値打ちもないけれど、とはこのことをいうのだ。5・15はわじわじする。



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