おはようございます。今朝の沖縄タイムスの1面に「辺野古陸自も常駐」「海兵隊と極秘合意ー日米一体化 中核拠点に」と。遂に出たのだ。私が2011年以来主張してきたことだ。だから私は驚かない。憤りを新たに噛みしめている。
今朝は時間がないのでざらっと復習しておく(関連記事、何度も書いている)。先ず今日の報道は2012年に日本の陸上自衛隊幕僚監部が海兵隊と現地で協議を始め、2015年在日海兵隊ニコルソン司令官と陸自の水陸機動団の新基地への常駐を合意したということ。なお、同紙には「政府内には陸自常駐が表面化すれば沖縄の批判を招くとの判断があり、計画は一時凍結されている。防衛省全体の決定を経ておらず、背広組の内部部局からは文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱した『陸の独走』との批判がある」とでているが、私は疑わしいと思う。
私が「普天間代替施設ー辺野古移設」論に疑問を抱いたのは、2006年の在沖海兵隊のグアム移転の話が出たときからだ(「在日米軍再編実施のためのロードマップ」2006年5月)。そうなれば沖縄の海兵隊は3分の1に減るのだ。なのに移設にこだわるのは何故か? そうなれば誰が使うの?
私がいぶかってきたのは軍事とはある意味、合理性がなければならない代物だからだ。情念だけでは戦えないのだ。昔の皇軍(天皇の軍隊)のような精神主義ばかりは愚の骨頂である。この米軍のグアム移転は中国を意識したものだ。沖縄は中国と戦うとすれば最前線となる。だからこそ基幹部隊は後ろに下げざるをえないのだ。1カ所に集中して駐留していたら一発で全滅もあり得るのが現代戦だ。だから分散配置を考えるのが合理的なのだ。
日本国(民主党政権時代)防衛省は、2010年の「防衛計画大綱」で、「基盤的防衛力構想」を捨て、「動的防衛力」を掲げた。前者は東西冷戦の時代の米ソのバランスの上で米軍の一端を担うものであり、後者は東西冷戦後の不安定な、いや、不安定を望む米軍と共に軍事介入できる軍事力を整備していくものだ。こうした流れは、1991年の湾岸戦争から始まり、2003年のアフガン戦争、04年のイラク戦争と続いてきた。自衛隊はアフガン戦争で洋上給油を中心に兵站を担い、イラク戦争ではサマワでの兵站を担い、且つ空自は米兵等の輸送を担っていた。
私は、この防衛計画大綱を見た2011年初頭、そこに「島嶼防衛」が踊っていたことに驚きを禁じ得なかった。こうして私の疑問が解け、以来、私は与那国島・宮古島・石垣島に通い始めた。講演会でも、辺野古でもこうですよと語り続けてきた。その頃は私の分析が稚拙だったこともあり、「え?中国と事を構えるなんてバカなことをするの?」と本気にされず、私の主張は空を切るばかりだった。それもあって、私は東京から沖縄に居を移したのだった。
2016年に与那国島にレーダー基地(沿岸監視隊)ができ、2018年に佐世保に水陸機動団(2個連隊)と、奄美大島にミサイル部隊、宮古島に警備隊が整えられ、19年ミサイル部隊も配置された。今後、石垣島にミサイル部隊ができ、佐賀空港に陸自オスプレイ部隊を配置し、馬毛島・種子島に日米の共同演習場他の部隊を配置し、九州の空自基地を強化し、また海自の空母の配備と艦載機の拠点基地をつくり、電子戦や宇宙戦やらの部隊を配置し、辺野古に水陸機動旅団の第3(第4?)連隊をもってくれば、中国との戦争の最前線に「我が軍」が立ちますという構想なのだ。こうした軍事網は日本列島に繋がっているのであり、『本土』も安心ではないよ。原発もたくさんあるしね。
「昔、陸軍、今、安倍・菅政権」ということばがあるが(私だけか?)、猪突猛進の姿勢は変わっていない。大日本帝国がやってきたことの侵略に係わる間違いもだが、明らかな軍事の失敗も反省したことがないから同じような過ちに再び陥っているのだ。コロナ禍での市民無視、コロナ禍でのオリンピックへの猛進など、信じられないほどの没論理。科学無視。足し算引き算の計算もできないらしい。
しかし今気がつくべきなのは私たち一人ひとりだ。このことに私たちが気づかなければ、戦争以前に殺されてしまう。『自助』という名前の自滅への扉は大きく開かれているのだ。沖縄の闘いにある「勝つ方法は、あきらめないこと」という現場・座右の銘は、このことも示唆しているようだ。
私は、改めて新基地建設を許さぬ闘いを強化するとともに、関連して闘われている皆様とも連係し合って闘っていきたいと考えます。各地でできることに取り組んで頂きたい。